2005年より使用していたブログの記事を世界遊戯博物館に全て移動しました。
今後は、世界遊戯博物館のブログの欄でお読み頂ければと思います。
移動した内容は、2017 年 6 月 1 日投稿の「世界遊戯博物館とブログの刷新」という記事の前に掲載しています。
このブログに投稿した文章の題名には、過去に投稿した日付が書かれています。
長い間、このブログをお読み頂き、誠にありがとうございました。
今後も何卒よろしくお願い致します。
世界遊戯博物館 伊藤拓馬
※このブログもそのまま旧博物館内のブログとして残しておきますので、ご覧頂けたらと思います。
この度、世界遊戯博物館と世界遊戯博物館ブログを刷新致しました。
世界遊戯博物館は、今から15年程前に作ったサイトなので、時代と共にシステムが古くなり、更新が難しく滞ったままになっていました。
ブログは時折更新していましたが、世界遊戯博物館の方は、長い間手つかずのままでしたので、これを機に新しいサイトで様々な情報を発信していこうと思います。
新しいサイトとブログは、以下のものになりますので、今後、何卒よろしくお願い致します。
※このブログもそのまま旧博物館内のブログとして残しておきますので、ご覧頂けたらと思います。
今年、最初の記事ですが、中華圏の謎のゲームについて書いてみたいと思います。
その謎のゲームとは、手本引きと類似したもので、シンガポールのTVドラマ「双天至尊(1993年)」の第一話に登場します。
この双天至尊は、天九や牌九の最強役である「双天・至尊」という題名が示す通り、内容が賭博もので、劇中に様々な賭博ゲームが登場します。
賭博ゲームは、シンガポール華僑のルーツである広東・福建由来のものが多く出てくるのですが、その中に日本の手本引きに似たものがあり、長年謎に思っていました。
手本引きは、1〜6までの数字を親が一つ選び、子がそれを予測して賭けるというもので、日本国内では博打の最終駅や究極の賭博などと呼ばれています。
それと同様に、親が象棋の12種類「帥・将・仕・士・相・象・俥・車・傌・馬・炮・砲」の札を一つ選び、子がそれを予測して賭けるというゲームが劇中に登場します。
その場面が出て来る賭場のシーンは、動画開始27:00頃から始まります。
市場の倉庫のような場所で興じられる賭博の数々。
謎のゲームに使われるお金を賭ける台紙。
親が選ぶのは、袋の中に入った象棋のタイル状の札です。
映像を見ると、一見して無作為に札を選んでいるようですが、手で一枚一枚吟味して順番に確認している様が伺えます。
札を選んだら、小さなケースに入れて蓋をします。
親が選んだ後に、子は台紙に賭け金を張ります。
子が台紙に張り終わったら、親は蓋を開けて選んだ札を公開します。
香港の賭博用品店には、このゲームと同じ「帥・将・仕・士・相・象・俥・車・傌・馬・炮・砲」のサイコロが販売されています。
手本引きを骰子で行う賽本引きがあるように、この謎のゲームにも骰子と同じ台紙を使うゲームがあるのではないかと思っています。
手本引きが創られた明治時代には、イギリス人が福建・広東地方から連れて来た中国人労働者を横浜、神戸などの港湾都市で使役しており、これらの華僑労働者から伝わった賭博もいくつかあるといわれています。
この賭博が、港湾労働者と関係の深い近代の任侠組織に伝わり、手本引きのヒントの一つになっていたら面白いなと、妄想が膨らみました(あくまでも妄想ですので…)。
それでは、今年も引き続き、この方面の探求を続けていきますので、どうぞよろしくお願い致します。
前回、タイの将棋・マックルックの変則規定を紹介したので、今回は香港や澳門(マカオ)で盛んな象棋を使った別の遊びを紹介したいと思います。
港澳(香港と澳門の略称)で遊ばれている象棋を使ったゲームは、駒を裏返して遊ぶものです。
遊び方の名前を現地で遊んでいる人に聞いたら、「暗象棋」と言っていましたが、これが一般的な名称か定かではありません。
同じように象棋駒を裏返して遊ぶゲームに台湾の「暗棋」がありますが、港澳の暗象棋は象棋本来の遊び方を改変したもので、台湾の暗棋とは遊び方が全く異なっています。
↓<台湾の暗棋>↓ 盤の半分のみを使って遊びます。
同地域の広東省でも現地の縁台象棋を数多く調査しましたが、暗象棋を見かけることは無かったので、恐らく縁台などで行われているのは港澳地域のみだと思われます。
遊び方を以下に記しますので、象棋のお好きな方は、是非ともお遊び下さい。
港澳・暗象棋規則
■初期配置
お互いの駒の色(黒・赤)を決めて、相手に自分の駒16枚を渡す。
相手の駒から「将・帥」の王駒を取り除き、裏返してかき混ぜる。
そして、裏返したまま盤上に駒に配置する。
配置の位置は、象棋の初期配置と同じで、「将・帥」だけは表向きで配置する。
お互いが駒を配置したら、盤を180度回転して、裏返した配置のまま相手に返す。
■駒の動き
裏向きの駒を最初に動かす時は、配置された位置の駒の動きをする。
例えば、馬の位置に配置された裏向きの駒は、馬の動き、砲の位置に配置された裏向きの駒は、砲の動きをする。
一旦動いた駒は、移動が終わると同時に表向きになり、次にその駒を動かす時は、その駒本来の動きになる。
「仕・士」や「象・相」は表向きになった状態で、河界を越えて、敵陣でも動く事が出来る。
■その他の規定
相手の駒は裏向きでも表向きでも取る事が出来る。
取った駒は、裏向きで相手に見えないように置いておく。
取った駒は、相手に見えないように自分だけ確認することが出来る。
相手の王駒を取ったら勝ちとなる。
以上が、暗象棋の遊び方です。
象棋と違って運の要素も多分に含まれているので、実力差が異なる者同士でも充分楽しむことが出来ます。
対局を見ていると、なるべく裏返しの駒を表にせず、表にした駒を進めて行くという戦法が、多く採られていました。
暗象棋は、非常に面白い遊びなので、多くの人達の間で遊ばれる事を願っています。
【1000年以上の歴史を持つ盤上ゲーム】木製中国将棋(シャンチー)

2012年9月23日に開催される第23回三鷹国際フェスティバル(10:00~15:30)で、世界の盤上遊戯を体験できる催しをゲーム仲間と共に担当することになりました。
井の頭公園の西園で行われるこの催しでは、各国の料理と共に、世界の盤上遊戯を遊ぶことができます。
今回の要請は、西アジアとオセアニア、ヨーロッパ、アフリカ地域のゲームを紹介してほしいというものでした。
紹介予定のゲームは、オーケイ、マンカラ、スラカルタ、ムトレレ、各地域のドミノやチェッカー、バックギャモン、ラミイキューブ、そしてヨーロッパのドイツゲームなどです。
そこで、実物のないスラカルタとムトレレの盤を製作しました。
スラカルタはインドネシアのゲームで、今回の該当地域ではないのですが紹介されることになりました。
画像はスラカルタの別案。合計2種類製作しました。
■スラカルタの盤
ムトレレは、ニュージランドのマオリ族が、1912年にイーストケープ地方で遊んでいたとされるゲームですが、起源や伝承的にどうも眉唾的な感じがするのですが、事実はどうなのでしょうか。
■ムトレレの盤
これらのゲームは、すべて三鷹国際フェスティバルで遊ぶことが出来るので、ご興味のある方は9月23日に井の頭公園の西園へ是非ともお越し下さい。
「Okey(オーケイ)」は、トルコの伝統的な牌ゲームで、「セット(3枚以上の同数字の組合わせ・麻雀の刻子)」と「シークエンス(同色の数字が3枚以上連続する組合わせ・麻雀の順子)」で手牌を構成して上がるラミー系の遊びです。
「oktaka.com」の詳細は、Youtubeに説明動画がありますが、
Oktaka.com Okey Game.com, Okey, Okey oyna, Okey oyunu
ご説明しますと、まず最初の画面・上部右側にあるオレンジ色のアイコン「Kaydol」を押して登録します。
「Kaydol」を押した後は、「Kullanici adi(Rumuz)」:(登録名入力)→「Email adresiniz:(Eメール入力)」→「Parola:(パスワード入力)」→「Guvenlik Kodu(右側にある文字入力)」→「Gonder(確認)」という流れで登録をします。
登録が済んだら、次回からは最初の画面の青いアイコン「Oturum ac」を押し、Rumuz:(登録名)とParola:(パスワード)を入力し、下の青いアイコン「Gris yap」を押して入室します。
「istanblue (イスタンブール)」・「izmir (イズミール)」・「Ankara (アンカラ)」などといったトルコの地名が「Okey(オーケイ)」のサロンとなっていますので、好きな場所に入ります。
例えば、「istanblue (イスタンブール)」のサロンに入ったら、今度は「istanblue okey salonua gir」という青いアイコンを押します。
これでイスタンブールサロンに入ったら、参加人数4人に足りていない卓をクリックしてゲーム参加です。
サロンに入ったり卓に参加した時点で、トルコのラジオ放送が垂れ流しになっているので、右下側にあるボリュームで音量調節したり、「Kalp Fm」 「Super FM」 「Joy Turk」などから番組を選ぶことができます。
ゲーム卓に参加したら、左端の「Dyunu Basfet」を押し、「Renge Gore」を押して牌を配置します。
これでゲーム開始です。
ルールの詳細は、世界遊戯博物館のオーケイのページをご参照ください。
■主な操作の手順
●牌を取るときは、目の前の牌山にカーソルを持っていって取ります。
●牌を捨てるときは、いらない牌を自分の右下端の位置に持っていって捨てます。
●上家(左隣)が捨てた牌が必要であれば、取ることができます。
●上がるときは、捨てる牌を牌山の上に置いてあがります。
●オーケイ表示牌(オーケイ牌ではなく)と同じ牌が手にあったら、好きなときに牌山の上に持っていくと、「ゴスタルゲ(Gosterge)」といって他のプレイヤーから1点が引かれます。
●手前のボールペンをクリックすると、得点が確認できます。
※オーケイのプレイ中、オーケイ牌(山で一枚だけめくられている「オーケイ表示牌」の次の数字)を誤って捨ててしまうことがあるので、注意が必要です。
トルコの方々は律儀な性格のようで、誰かが上がると、「tebrik(祝福)」と声をかけ、それに「Tesekkur(ありがとう)」と答える挨拶が毎回交わされていました。
トルコでは、オーケイはかなり一般的なゲームで、日本の雀荘のような場所も存在するようです。
最近、対人でやりたいゲームの筆頭はオーケイなので、機会をみつけて遊びたいと思っております。
2009年の2月11日発売の「パズルコレクション」91号より連載しておりました「ゲームの基本」と「ゲームの歴史」が雑誌終了と共に、無事終了いたしました。
今まで掲載しました内容を以下に記しておきますので、ご興味のある記事がありましたら、ご覧頂きたく思います。
この仕事を執筆することになった経緯は、度々仕事をもらっていたデザイン事務所がこの雑誌の取引先で、パズルコレクションの試作版や第一号から、私はレイアウトには関わっておりました。
この雑誌の原版はフランスの雑誌で、その翻訳版を90号まで作っておりましたが、91号より日本語版で内容をすべて作ることになり、私が担当することになった訳であります。
また機会がありましたら、色々な媒体を通して、世界の遊びの文化を紹介していきたく思っております。
■アシェットコレクションジャパン発行「パズルコレクション」
● 2009.2.11 91号
ゲームの基本「打棋子(ダァチーズ)」/ゲームの歴史「マックルック」
● 2009.2.25 92号
ゲームの基本「番攤(ファンタン)」/ ゲームの歴史「天九牌 」
● 2009.3.11 93号
ゲームの基本「コップダム・コップデン」/ ゲームの歴史「ワールド マインド スポーツ ゲームズ」
● 2009.3.25 94号
ゲームの基本「ミゼルカ」/ゲームの歴史「花闘」
● 2009.4.08 95号
ゲームの基本「四色牌」/ゲームの歴史「オーケイ」
● 2009.4.22 96号
ゲームの基本「マリアーシュ」/ゲームの歴史「チャンギ」
● 2009.5.06 97号
ゲームの基本「ドラフツ」/ゲームの歴史「闘獣棋」
● 2009.5.20 98号
ゲームの基本「ルーマニアン・ホイスト」/ゲームの歴史「東莞牌」
● 2009.6.03 99号
ゲームの基本「暗棋」/ゲームの歴史「ユンノリ」
● 2009.6.17 100号
ゲームの基本「ピシュティ」/ ゲームの歴史「連珠」
● 2009.7.01 101号
ゲームの基本「斜釘(チェーデン)」/ゲームの歴史「ごいた」
● 2009.7.15 102号
ゲームの基本「カルーキ」/ゲームの歴史「禽将棋」
● 2009.7.29 103号
ゲームの基本「香港二人麻雀」/ゲームの歴史「タロッコ・シチリアーノ」
● 2009.8.12 104号
ゲームの基本「ドミノ・花と蠍」/ゲームの歴史「中将棋」
● 2009.8.26 105号
ゲームの基本「ゴーストップ」/ゲームの歴史「バグチャル」
● 2009.9.09 106号
ゲームの基本「魚蝦蟹」/ゲームの歴史「フランスのタロット」
● 2009.9.23 107号
ゲームの基本「ドッペル・コップ」/ゲームの歴史「ベトナムのゲーム」
● 2009.10.07 108号
ゲームの基本「牌九」/ゲームの歴史「うんすんかるた」
● 2009.10.21 109号
ゲームの基本「ジュ・ドゥ・タロ」/ゲームの歴史「シットゥイン」
● 2009.11.04 110号
ゲームの基本「カシノ」/ゲームの歴史「花札」
● 2009.11.18 111号
ゲームの基本「ウィザード・カードゲーム」/ゲームの歴史「闘球盤」
● 2009.12.02 112号
ゲームの基本「詰めドラフツ」/ゲームの歴史「掛合トランプ」
● 2009.12.16 113号
ゲームの基本「シュビメン」/ゲームの歴史「象棋の歴史」
● 2009.12.30 114号
ゲームの基本「ジンラミー」/ゲームの歴史「旗源平」
● 2010.01.13 115号
ゲームの基本「ダックスープ」/ゲームの歴史「パイゴウポーカー」
● 2010.01.27 116号
ゲームの基本「ラミキューブドミノ」/ゲームの歴史「宣和牌」
● 2010.02.10 117号
ゲームの基本「コテッチョ」/ゲームの歴史「バカラ」
● 2010.02.24 118号
ゲームの基本「トラッカーズ」/ゲームの歴史「ルーレット」
● 2010.03.10 119号
ゲームの基本「チロリアンルーレット」/ゲームの歴史「クリベッジとノッディー」
● 2010.03.24 120号
ゲームの基本「スエカ」/ゲームの歴史「八八」
● 2010.04.07 121号
ゲームの基本「囲碁六路盤」/ゲームの歴史「ダブリングキューブ」
● 2010.04.21 122号
ゲームの基本「ソッタ」/ゲームの歴史「酒令」
● 2010.05.05 123号
ゲームの基本「天九」/ゲームの歴史「将棋の普及と家元制」
● 2010.05.19 124号
ゲームの基本「過五関斬六将」/ゲームの歴史「中国のサイコロ遊び」
● 2010.06.02 125号
ゲームの基本「馬吊牌と麻雀」
※125号で雑誌終了
4月の末に一週間ほど台湾に行って、現地の遊びを色々と調べてきました。
台湾に行ったのは、実に15年振りで、今回が4度目の訪台となりました。
初めて台湾を訪れたのが20年前で、友人の留学生に招かれての訪台でした。
それがきっかけでアジアの魅力にとりつかれ、亜洲迷として色々とマニアックになっていった訳であります。
その原点である台湾に、実に15年振りに訪れたということで、感慨も一入でした。
現地では、縁台の暗棋やネット対戦で遊ばれている象棋麻将、そして台湾十六張麻将などを調べました。
特に台湾麻将は、現地の友人が詳しい人物をわざわざ呼んでくれ、実際に打つことが出来ました。それだけでなく、色々ともてなして頂き、本当に感謝感激でした。
そのほか、花札を沢山持っていき、遊び方を教えて普及してきました。
15年振りに訪れた台湾は、台北周辺の看板が小さくなったり、道が綺麗になっていたり、便利な高架鉄道が出来ていたりと変化はあったものの、媽祖や関聖帝、文昌帝といった神様が祀られた寺廟が点在し、線香と漢方薬の匂いが溢れる街中の印象は、驚くほど変わってはいませんでした。
ゲームとは関係ない話ですが、学生時代に訪台した時には、台語歌曲の先駆となった林強が注目を集めていました。
友人の運転する車中で聴いた林強の「向前走」に入っていた「黒輪伯仔」が気に入ってテープを買い、彼のファンになりました。
再びの訪台で「春風少年兄」を買い、台語歌曲の響きがさらに気に入りました。
そして、当時では革命的であった台語歌曲も、現在では多く発表され、この20年間で台湾も色々と変わっていったのだと思いました。
私が訪台した時には、候考賢監督の「非情城市」が公開され、ようやく2.28事件が語られるようになり、李登輝が総統になる頃で、ちょうど台湾の変革期だったと思います。
まだ九份も金瓜石も観光地化されていなく、金瓜石の日本が作った金鉱で、金を掘り続けているお年寄りを取材するという現地の学生に招かれ、同行したこともあります。
また、テレサ・テン(鄧麗君)が死んだというニュースを見たのも、3度目の訪台時のことであったと記憶しています。
台湾好きの私は、日本に帰っても絶えず台湾の情報を集めていましたが、あれから日本で取り上げられる台湾の情報も随分と変わっていったと感じました。
数年前の政権下の影響もあったのでしょうが、台湾に行ったことも無い人が、情報に流され、政治的な観点のみで台湾を賞賛する様は見ていて違和感を覚えました。
そのような層は、メリットが無くなったり政治的に敵対すれば、手のひらを返すことは明らかで、本当に台湾が好きではないので危険に思えます。
台湾の魅力は、豊かな自然と今なお息づいている豊富な伝統文化、そして義理堅くて親切な人々だと思います。
政治や思想的な意図ではなく、文化を通した交流こそが大切だと思いますので、今後も遊びという文化を通して、異文化の人たちと交流していきたいと思いました。
台湾には個人的に思い入れが強いので、この先何度も訪れて多くの人と交流し、台湾に対する理解を深めたいと思っています。
林強-黒輪伯仔(映像の冒頭で牌九を遊ぶ場面もあります)
4月の末に一週間ほど台湾に行って、現地の遊びを色々と調べてきました。
台湾に行ったのは、実に15年振りで、今回が4度目の訪台となりました。
初めて台湾を訪れたのが20年前で、友人の留学生に招かれての訪台でした。
それがきっかけでアジアの魅力にとりつかれ、亜洲迷として色々とマニアックになっていった訳であります。
その原点である台湾に、実に15年振りに訪れたということで、感慨も一入でした。
現地では、縁台の暗棋やネット対戦で遊ばれている象棋麻将、そして台湾十六張麻将などを調べました。
特に台湾麻将は、現地の友人が詳しい人物をわざわざ呼んでくれ、実際に打つことが出来ました。それだけでなく、色々ともてなして頂き、本当に感謝感激でした。
そのほか、花札を沢山持っていき、遊び方を教えて普及してきました。
15年振りに訪れた台湾は、台北周辺の看板が小さくなったり、道が綺麗になっていたり、便利な高架鉄道が出来ていたりと変化はあったものの、媽祖や関聖帝、文昌帝といった神様が祀られた寺廟が点在し、線香と漢方薬の匂いが溢れる街中の印象は、驚くほど変わってはいませんでした。
ゲームとは関係ない話ですが、学生時代に訪台した時には、台語歌曲の先駆となった林強が注目を集めていました。
友人の運転する車中で聴いた林強の「向前走」に入っていた「黒輪伯仔」が気に入ってテープを買い、彼のファンになりました。
再びの訪台で「春風少年兄」を買い、台語歌曲の響きがさらに気に入りました。
そして、当時では革命的であった台語歌曲も、現在では多く発表され、この20年間で台湾も色々と変わっていったのだと思いました。
私が訪台した時には、候考賢監督の「非情城市」が公開され、ようやく2.28事件が語られるようになり、李登輝が総統になる頃で、ちょうど台湾の変革期だったと思います。
まだ九份も金瓜石も観光地化されていなく、金瓜石の日本が作った金鉱で、金を掘り続けているお年寄りを取材するという現地の学生に招かれ、同行したこともあります。
また、テレサ・テン(鄧麗君)が死んだというニュースを見たのも、3度目の訪台時のことであったと記憶しています。
台湾好きの私は、日本に帰っても絶えず台湾の情報を集めていましたが、あれから日本で取り上げられる台湾の情報も随分と変わっていったと感じました。
数年前の政権下の影響もあったのでしょうが、台湾に行ったことも無い人が、情報に流され、政治的な観点のみで台湾を賞賛する様は見ていて違和感を覚えました。
そのような層は、メリットが無くなったり政治的に敵対すれば、手のひらを返すことは明らかで、本当に台湾が好きではないので危険に思えます。
台湾の魅力は、豊かな自然と今なお息づいている豊富な伝統文化、そして義理堅くて親切な人々だと思います。
政治や思想的な意図ではなく、文化を通した交流こそが大切だと思いますので、今後も遊びという文化を通して、異文化の人たちと交流していきたいと思いました。
台湾には個人的に思い入れが強いので、この先何度も訪れて多くの人と交流し、台湾に対する理解を深めたいと思っています。
林強-黒輪伯仔(映像の冒頭で牌九を遊ぶ場面もあります)
内容は、「ゲームの基本」というページで世界のゲームの紹介、「ゲームの歴史」というページでは、世界各地のゲームの歴史について書いております。
私は「パズルコレクション」の91号(2009年2月25日発売)より書いております。
本屋、またはネットで購入できますので、どうぞよろしくお願い致します。 現在発売号まで書いた内容は、
2009.2.25 91号ゲームの基本「 打棋子(ダァチーズ)」
2009.2.25 91号ゲームの歴史「マックルック」
2009.3.11 92号ゲームの基本「番攤(ファンタン)」
2009.3.11 92号ゲームの歴史「天九牌」
2009.3.25 93号ゲームの基本「コップダム・コップデン」
2009.3.25 93号ゲームの歴史「ワールド マインド スポーツ ゲームズ」
2009.4.08 94号ゲームの基本「ミゼルカ」
2009.4.08 94号ゲームの歴史「花闘」
となっています。
次号は、ゲームの基本「四色牌」、ゲームの歴史「オーケイ」です。110号まで連載予定なので、御高覧頂けたら幸いです。
何卒よろしくお願い致します。
先日、ベトナムの紙牌「Tổ Tôm(トートム)」について、ベトナム留学生の方に色々と教えてもらいました。
「Tổ Tôm(トートム)」は、馬吊牌系の紙牌で、「萬・Vạn(ヴァン)」、「文・Văn(ヴァン)」、「索・Sách(サッ)」の3種類がそれぞれ「1~9」まで4枚ずつあり、特殊札3種が4枚ずつ、合計120枚のカードで構成されています。
これは、馬吊牌の「萬貫(ワングァン)」、「文銭(ウェンチェン)」、「索子(スオズ)」と同じで、このスートが「萬子(ワンズ)」、「索子(スオズ)」、「筒子(トンズ)」になり、骨牌(グゥパイ)の素材と結合して現在の麻雀になったといわれております。
「Tổ Tôm(トートム)」には、何種類か遊び方があり、その中で、「親に24枚、子に19枚」ずつ配り、合計100枚の札を使用して5人で遊ぶ「chắn(ジャン)」という遊び方の概要を教えてもらいました。
ベトナムも元々は漢字文化圏で、「Tổ Tôm(トートム)」も用語が漢字ならば一目瞭然で理解できると思うのですが、現在、ベトナムで漢字を使用する人はいなくなってしまいました。
19世紀にベトナムに来ていた宣教師が、現地の寺院など宗教施設を破壊するよう煽動して迫害されたので、その宣教団の保護を名目に、ナポレオン3世にフランス軍派遣の要請を出し、フランスとスペインがベトナムを攻撃し、フランスがベトナムを侵略して植民地にしました。
そして、ベトナムの漢字と独自の漢字文字「字喃(チューノム)」をローマ字表記する為に、カトリックの宣教師が考案した文字が、現在ではベトナム公用文字「クオック・グー(国語)」となり、漢字を読めるベトナム人は、学者以外にはいなくなってしまいました。
日本も敗戦後、アメリカによって漢字とひらがなを廃止して、ローマ字表記にさせられそうになった歴史もありましたが。
現在はローマ字表記が識字率を向上させたとベトナム国内でクォック・グーを肯定する趨勢になっていますが、長年培ってきた文字という根幹的な文化を異民族の都合で破壊され、先祖が遺した過去の貴重な文献さえも読めず、それに学べなくなってしまう様は、文化の断絶に繋がっているので複雑に思っています。
「ドッペルコップ」と「スカート」は、ドイツでかなり盛んなトリックテーキングゲームです。
どちらもかなり面白く、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
終了後に、Tさんにお願いして、ドイツの「ドッペルコップ」の専用デッキを譲ってもらいました。
ドッペルコップの専用デッキは、各スートの「9・10・B(ブーベ・J)・D(ダーメ・Q)・K(ケーニッヒ・K)・A」の24枚を2組、合計48枚のカードで構成されています。
以前から家にあったオーストリアの地方札で、24枚1デッキのものがあり、使用用途は何かと思っていたのですが、枚数的にもしやと思い、デッキのパッケージを見てみたら、「Doppelkopf(ドッペルコップ)」と思いっきり書かれていました。
つまり、この24枚のデッキは、2組揃えてドッペルコップをする用のデッキだったのでした。
オーストリアの地方札もジャーマンスート(ドイツのスート)で、ドイツとの歴史関係からも、ドッペルコップが行われていても不思議ではないと思いました。
この「ドッペルコップ」と「スカート」は、一生を通して遊べるゲームで、ドイツ人の方々とも仲良くなれるので、これからもやり込んでいこうと思っています。
「世界智力運動会(ワールドマインドスポーツゲームズ)」の試合中、ひょんなことから会場運営をしている現地の方と友達となり、閉会式後、中国選手の集まる部屋に連れて行ってもらい、翌日は、彼の所属する「五子棋(連珠)」の倶楽部に招待されました。
その「那威五子棋倶楽部」という倶楽部は、北京の現代的な胡同(フートン)の倶楽部が集まる建物の中にありました。
北京の現代的な胡同は、お城のような大きな門の中にある集合団地の敷地で、団地の下には様々な商店や食堂、麻将が出来る「棋牌室」がずらりと並び、公園の中では人々が象棋(シャンチー・中国将棋)や、麻将(マージャン)、扑克牌(プゥカーパイ・トランプ)で遊んでおりました。
友達となった中国人の張鉄良さんは、私がゲームを色々と調べているので、公園でゲームをしている人達に、「どうもこんにちわ!彼は日本の友達で、遊戯を調べているので、色々と見せてください!」と次々に大声で話しかけてくれ、北京麻将をやっている「棋牌室」にも連れて行ってくれました。
また、「那威五子棋倶楽部」では、代表の姚志勇主任から、「竹林報平安」と書かれた竹林の水墨画を頂き、北京烤鴨(北京ダッグ)等をはじめとする豪華北京料理をご馳走してもらうという至れり尽くせりの接待を受け、感激が尽きない一日でした。
この時の模様は、「中国連珠網(五子棋)」に「日本游戯研究家拜訪那威倶楽部」という記事で紹介されております。
中国で知り合い、友達となった方々の恩遇に対し、感謝の念は絶えず、本当に一生忘れない思い出であります。
やはり世界最高峰の強豪が集まる大会として、レベルの高さを体感しました。
一日平均7時間以上の対局を、5日間連続で続けるというきつい日程でしたが、いざ試合始まってしまうと、集中して時間の感覚を忘れ、勝負の濃密な空間に入り込むことができました。
今回、中国は設備の行き届いた大きな会場の提供と、素晴らしい選手村に招待してくれましたが、次回の五輪会場であるイギリスのロンドンでは、イギリスが資金を出すことを渋り、残念ながらこの大会は開催されないそうです。
ですので、その次回のこのゲーム五輪は、8年後のロシア・モスクワで開催されることになっております。
短期ですが集中して特訓した練習期間に加え、強豪との実戦を繰り返し、ドラフツの面白さにハマってしまったので、今後も長い目で試合に参加していこうと思っております。
近々このサイトでも「ドラフツ」のページを発表しようと思っております。
ゴールデンウィーク中にマックルックの駒を製作してみました。
素材は陶器用粘土なので、焼いてみないと仕上がりは判りませんが、若干の形のズレなどが、陶器ならではの味になればよいと思っております。 タイでは過去に、スワンカローク焼きという陶磁器で、駒が作られていたこともあります。
スワンカローク焼きのマックルック駒
完成は焼き窯の都合もあり、随分と先になってしまいますが、完成しましたら、またこのブログで紹介しようと思っております。