まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

箱根の木造文化財旅館めぐり 萬翠楼福住

2019-05-24 22:23:04 | ディテール
箱根の続き。

箱根の木造文化財旅館めぐり、最後にやってきたのは萬翠楼福住。仲良く並んで建つ金泉楼と萬翠楼。
前回も、この2つの古い建物を川越しに眺め、どこかよく見えるところがないかと敷地のまわりをぐるぐると
うろついてみたのだが全然近寄れるところがなく、建物を見るには泊まるしかないのかと思っていたが、
見学できる機会がついにやってきたのだ!


川側から見て左が金泉楼、右が萬翠楼。
萬翠楼福住は1625(寛永2)年創業、何と400年近くも前だ!!しかし何度も火災にあっており、
現存するのは明治初期に再建された建物である。金泉楼の方が少し古くて1876(明治9)年、萬翠楼は
1879(明治12)年竣工。どちらも国の重要文化財に指定されている。
木骨石造2階建てに土蔵造寄せ棟屋根の3階が載っており、ビルの屋上にペントハウスを増築したような見かけだが
元からこういう形の設計らしく、明治10年代の写真でも今とほぼ同じ外観を見せている。


後年に建てられた「昭和棟」のエントランスを入ると、正面にこの階段が!階段の上は客室だろうか、
こちらは今回の見学の対象外だった。


そして右手のロビーの奥の石の壁が金泉楼である。昭和棟は金泉楼、萬翠楼の外壁を内部に取り込む形で
増築されたようだ。


使われているのは凝灰岩だろうか。


段々状に噛み合う形の扉はまさに蔵。度々の火災を教訓としてこのような耐火構造の建物が作られたようだ。
図面によると、行き止まりの中廊下に面して2つの客室が配されているようだが、、、何か座敷牢を思わせて
閉所恐怖症の私はちょっと怖い(苦笑)。
金泉楼の中は見られなかったが、天井の中心飾りや上げ下げ窓など、大胆な和洋折衷の空間なのだとか。


廊下を奥へと進み、萬翠楼へ。
入口の足元にはきれいな大理石が。・・・と思ったら、何とこれ、フェイク大理石だそう。ええっ、本当に!?
這いつくばって眺めても石にしか見えない。。。欠けた部分の断面を見ると、確かに漆喰の上に着色したもののようだ。
名古屋市市政資料館の階段ホールの柱や、青森の盛美館の壁など、大理石風仕上げは明治建築などで
ちょくちょく見かけるが、ちゃちいものも多い。ここの完成度が高すぎる左官技術には本当に驚いた!


2階へ上がる曲がり階段はらせん状にひねっていて結構急勾配。2階の窓からの明るい光が1階まで届く。
見学は残念ながら1階のみ。


階段の手前の床は木だが、松笠のような網代のような、変わった組み方。


中へ入ると小さな暗い控えの間があり、その奥にいくつかの座敷があった。ここは1フロアが丸ごと1つの客室で、
4室合計で30畳という特別室だ。各部屋の意匠もすごい!10畳間の格天井は天井画で埋めつくされている。




8畳間の天井はこんな斬新な市松模様。


縦長窓には頑丈な鉄格子が。。。(汗)


この窓の外が早川。


そして6畳の次の間も面白い。控えの間との境にこんな変な形の下地窓がある。


内側から見たら、ギョッとした!何これ!?木の洞を利用した意匠らしいが・・・ケロイドみたい(苦笑)。


こんな自然木をそのまま使った柱もあって、個性的な空間となっている。


七宝(?)の引き手。


窓から隣の金泉楼の外壁が見えた。明治初期でこのような箱型の擬洋風建築というのもちょっと驚く。
設計者ははっきりしないようだが、ブリジェンス設計の初代新橋駅、横浜駅と、構造・配置とも似ているとか。


前回、六角形のうろこ状の部分が気になった、萬翠楼3階の川側の外壁を見たかったのだが、かなわず。
見学会がお開きとなったあと、萬翠楼福住の敷地内から、外壁が見えないかとちょっと身を乗り出してみたが、
やはり見えず。。。


あぁ、これで木造文化財旅館ツアーも終了。すごく充実したツアーだったな!!貴重な機会を頂いた主催者の
神奈川県登録有形文化財建造物所有者の会、小沢先生、各旅館の皆さまに感謝!またやってほしいなぁ!

この後も仲間との建築めぐりは続く。

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