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エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-X-3

2023-12-04 13:37:43 | 地獄の生活
彼がガラス戸の前でぐずぐずしていたのは、彼女が誰かと話をしていることが見て取れたからであった。カウンターのすぐ後ろのドアが開けっ放しになっており、その向こうには別の部屋があるらしく、彼女はその部屋にいる誰かと話をしている様子だった。その相手が誰なのか、シュパンはなんとか一目だけでも見られないかといろいろやってみたが無理だった。仕方がないので中に入ろうとしたそのとき、彼女が突然立ち上がり、何か気に入らぬ様子で二言三言喋りかけるのが見えた。彼女の視線は奥の部屋でなく、目の前の店の隅っこに注がれていた。
 「おや、あそこに誰かいるのかな?」とシュパンは訝しく思った。
 彼は立つ位置を変え、爪先立って覗いてみると、確かに三、四歳の小さな男の子が見えた。やせ細り、青白い顔にぼろ着を身に着け、同じくぼろぼろになった紙製の馬で遊んでいた。
 この姿を見てシュパンは飛び上った。
 「子供が……!」と彼は呻った。「あの悪党野郎は妻を見捨てただけでなく、自分の息子まで置き去りにしたんだ! このことはしっかり覚えておくからな、おっさん、俺たちが対決するときには、きっちり落とし前つけさせてやる!」
 この脅しの文句を吐くと、彼はいきなり店に入っていった。
 「いらっしゃいませ。何をお求めですか?」と女主人が尋ねた。
 「いえ、買い物じゃないんです、奥さん、手紙をお届けに来ました……」
 「わたしに? なにかのお間違いでしょう」
 「失礼ですが、マダム・ポールでいらっしゃいますね?」
 「はい、そうですけど」
 「それならば、この手紙はあなた様宛です」
 そして彼はフロランから預かった手紙を差し出した。
 若い女主人はやや躊躇いながら手を延ばし、驚きの表情で使者をじっと見た。それから手紙の筆跡に気がつくと叫び声を上げた。
 「まぁ! これって……」
そしてすぐ、背後の開け放したままのドアの方を振り返ると、大声で呼びかけた。
 「ムションさん、ムションさん! あの人からの手紙ですわ、夫からの。ポールから手紙が来たんです!
早くこっちへ来て!」12.4

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2-X-2

2023-12-01 11:37:25 | 地獄の生活
自分の妻を飢え死にさせるがままにしておくとは……! この店をやっているのはド・コラルト氏の妻であることに間違いはなかった。彼女をかつて一度見たことのあるシュパンは、カウンターの向こう側にいる女性が彼女だと認識した。残酷なまでに面変わりしていて、殆ど見間違うほどだったのではあるが。
「確かに彼女だ」と彼は呟いた。「間違いなく、フラヴィー嬢だ……」
彼が口にしたのは、若い娘だった頃の彼女の名前だった。「可哀想に!」
確かに可哀そうな人間であった。彼女はまだ若い筈であった。しかし不幸と悲しみ、後悔、恐ろしいばかりの窮乏、この貧弱な生活を支えて行かねばならぬ日々、涙にくれて眠れぬ夜、そういったものが彼女を老けさせ、しなびさせ、生気を失わせ、抜け殻のようにしていた。
天井から吊り下げられた頁岩油ランプの弱弱しい光が彼女の顔を真上から照らしていたので、その顔が青白く痩せこけていることや、眉の下の黒い影が強調されていた。まるで骸骨の額や顎の骨の窪みを見るように……。
彼女はかつてはっとするほどの美しさを持っていたのだったが、今やその名残りは豊かな黒髪だけであった。が、その髪ももう何週間も梳かしていないかのように縺れ、輝きを失っていた。彼女の並外れて大きな黒い目は燐光のような光を湛え、密かに進行しすべてを焼き尽くし滅ぼす火事のような熱を帯びていた。もし彼女が最初のうちは逆境と戦ったのだとしても、もうその戦いは諦めてしまったのだということは明らかだった。服装を見ても、絹のドレスは見る影もなく草臥れ果て、頭巾は汚れ、自分がどう見えようと構わないという投げやりな態度が見えた。大きな破局に見舞われた後、そこから立ち直る希望を持てない人々を襲う、あの病的な無関心である……。
「これが人生ってやつか!」シュパンの心に浮かんだのは哲学的な思いだった。「女王様のように育てられ、我儘のしたい放題だったのが、こんなことに……。もしあの頃誰かがいつかこんなことになるかもしれない、人生には良い時も悪い時もあるってことを教えたとしたら、彼女さぞかし馬鹿にして笑ったことだろうな。あの頃の彼女の姿がまだ目に浮かぶ。灰色の毛の小型の馬たちに引かせた馬車を自分で乗り回していたっけ。『はいしっ!』とか『それ!』とか掛け声を掛けてパッカパッカと闊歩してた。下で歩いている者にとっちゃ、とんだ災難だ。パリの街は一つの大きな店みたいなもんで、彼女は選びさえすればそれでよかった。『わたしこれが欲しい』と言えば、彼女のものになった…・・・。それが今やこんなことに! 若い美男子が通りかかる、その男を夫にしたいと思う。パパは娘の言うことに嫌と言えない。その男と結婚させる・・・…。そして今は、『キャロット(ニンジン形にねじった噛みタバコ』一本二スーですよ、お客さん、おまけしますよ!』と言ってるというわけだ。12.1
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