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エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-VII-8

2023-05-12 09:59:10 | 地獄の生活

 「あなたも御存知でしょ。わたし、この者には地下の酒蔵の鍵を預けておりませんのよ。エヴァリスト、ジュスティーヌを呼びなさい」

 例のずうずうしい態度の小間使いが現れると、女主人は問題の地下の酒蔵の鍵がどこにあるかを伝えた。やがて十五分も経った頃、一本のワインが持って来られた。食料品屋や酒屋がごく並みのボトルを唖然とするほど立派に見せるための工夫を凝らしたもので、苔と埃を被り、パリの街を走り回っている悪童たちが採石場跡で集めて来る蜘蛛の巣に覆われていた。それらは『品質』によって一リーヴル(500g)七十五サンチームから二フランで売られている。

しかしこのボルドーもその場の空気を元の陽気さに戻すことはできなかった。『将軍』は一言も口を利かず、コーヒーが出されて妻がこう言ったときには嬉しそうな顔を隠すことができなかった。

 「あなたはお付き合いの席があるのでしょ、行って下すって結構ですわよ。わたしはこの娘とお話がしたいんですの」

 このようなぶっきらぼうな形で夫を厄介払いするとは、フォンデージ夫人にはよほどマルグリット嬢と二人きりにならねばならぬ理由があるのであろうか?

 マダム・レオンはそのように受け取り、あるいはその振りをして、マルグリット嬢に言った。

「お嬢様、わたくし二時間ほどおいとまを頂かなくてはなりませんわ。どうしてもしなくちゃいけないことがありますの。親戚に住所が変わったことを知らせませんと、きっと恨まれますので……」

 彼女がド・シャルース邸に来てからというもの、つまり何年もの間マダム・レオンが自分の親戚のことをこのようにはっきりと口にするのは初めてのことであった。しかもその親戚というのはパリに住んでいるというのだ。これまで彼女は自分の親戚たちについては口を濁し、不運のために高い身分から転落してしまった自分とは違い、彼らはまだその地位を保っていて自分に何くれとなく親切をしてくれようとするのを断り続けてきたのだ、と話していただけであった。

 マルグリット嬢には、そんなことどうでもよかった。何事にも驚かないことを彼女は自分に命じていた。

 「それなら、すぐに行ってお知らせするのがいいわね、レオン」と彼女は答え、揶揄など微塵も見せずに付け加えた。「私の世話のためにあなたに迷惑を掛けるのは心苦しいことですもの」

 しかし心の中ではこう考えていた。

 「この恐ろしい偽善者は今日起こったことをド・ヴァロルセイ侯爵に報告に行くつもりだわ。親戚というのは、これからの外出に使うための口実ね……」5.12

 

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2-VII-7

2023-05-07 09:57:31 | 地獄の生活

というのは、食堂は素晴らしい部屋だったからだ。どっしりした飾り戸棚には貴重な食器や磁器が並べられ、ちょっとした博物館のようだった。

 マルグリット嬢は『将軍』とその夫人の間に挟まれる位置で、マダム・レオンの向かい側に座ったが、ひょっとして今まで自分は偏見に囚われていたのではないかと自問した。しかし、ここに所狭しと並べられているのは銅や亜鉛などの合金ばかりであることに気づいた。それにナイフやフォークの数が足りてさえいないことにも。とはいえ、銀器は鍵をかけた戸棚にしまっておく人々がいることも事実であった。使われている磁器は非常に綺麗なもので、『将軍』の花文字がついており、妻の伯爵の王冠が圧倒していた。

 食事自体は救いようのないものだった。量はあったが、質は酷く、最下級の見習いコックの試作品かと見紛うほどだった。それでも『将軍』は実に美味そうに食べていた。彼は頬を赤くしてガツガツとすべてを平らげ、肉食の満足感が彼の全身に溢れていた。

 「間違いないわ」とマルグリット嬢は思った。「彼は普段満腹するまで食べるということがないんだわ。で、これは彼にとっては御馳走なのよ」

 事実、彼の身体からは今にもはち切れそうな満足感が漂っていた。ヴィクトール・エマニュエル風の髭を勢いよく捻り上げては、いつもより更に鼻息荒く、ええい、畜生という得意の罵り声も響き渡っていた。彼は見るからに自分を抑えることができない様子で、卑猥な冗談を吐き散らしていた。父親を亡くしたばかりか、それと同時に安楽な暮らしも財産の入る見通しもすべて失った娘が同席していたというのに。彼の奔放さは留まるところを知らず、墓地への往復で空腹が刺激されたなどと口を滑らし、挙句の果てに、夫人の兄が昔彼女につけた綽名で妻を呼んだりしたので、彼女は怒りで身体を震わせた。髪の付け根まで真っ赤になりながらも、自分を抑えようとするあまり息を詰まらせつつ、彼女は雄々しくも微笑みを浮かべたが、その小さな目からは稲妻のような光を発していた。

 これは『将軍』には警告になる筈であった。ところが彼は全く気に掛けず、すっかり気が大きくなった様子で、デザートが運ばれた後、召使いの方を振り向きウィンクをしたのだが、それをマルグリット嬢は偶然目撃した。

 「エヴァリスト」と彼は命令した。「地下の酒蔵まで降りていってボルドーのワインを一本持って来い」

 一週間後にクビ、を言い渡されていた使用人は復讐の機会を狙って待っていたに違いない。彼はこの上ない悪意の滲み出た薄ら笑いを浮かべ、間延びした口調で答えた。

 「では旦那様からお金を頂きませんと。旦那様もよく御存知のように、向かいの酒屋も食料品屋も、もう信用買いはさせてくれませんので」

 フォンデージ氏は顔を真っ青にして立ち上がった。が、彼が言葉を発する前に、夫人が助け舟を出した。5.7

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2-VII-6

2023-05-03 10:22:34 | 地獄の生活

 しかし、彼女とマダム・レオンの荷物が運び上げられている間、フォンデージ夫人と腹心の女中とが何やらひそひそ声で熱心に話し合っているのが見えた。なにか思いがけぬ緊急の問題が持ちあがった様子だった。一体何を話し合っているのだろう? 耳をそばだてるのに良心の呵責はなかった。「上下一揃いのシーツ」という言葉が何度か聴きとれたので、彼女は考え込んだ。

 「そんなことってある?」と彼女は思った。「私たちのためのシーツがないなんてこと……」

 ほどなく彼女はこの家の女中が自分の職場について持っている意見を知ることになった。箒と雑巾と羽根ばたきを使って奮闘しつつ、これからますます仕事量が増えることを見越している彼女は歯ぎしりしながら不平をこぼしていた。このぼろ家では死ぬほど働かされた挙句、お腹一杯食べることもできず、給料も遅れる、と。

 しかしマルグリット嬢にあまり考えている暇はなかった。彼女は出来るかぎり女中を助けたが、これは女中をひどく驚かせた。この女王のような雰囲気を持ったお嬢様がこんなに気さくに手伝いをしてくれるとは。そのとき、『将軍夫人』から三十分前に首を言い渡されたエヴァリストが現れ、横柄な口調で儀式めいた言葉を高らかに告げた。

 「伯爵夫人のお食事の時間でございます!」

 というのはフォンデージ夫人が、独断かあるいは何らかの術策によりこの敬称で呼ばれることを要求したからである。彼女の夫が自分で将軍と呼ばせることにしたのと同じように、彼女は伯爵夫人という呼称を自分のために拵え上げたのだ。家に伝わる古文書を紐解いてみましたらね、と彼女は親しい間柄の人間に語った。わたしの家系は『高貴な血筋』だという証拠を見つけましたのよ、と。なんでも、祖先の一人がフランソワ一世の宮廷で重要な任務に就いていたというのである。それともルイ十二世だったかもしれない。この二人を彼女はときどき混同していた。

 彼女の父が材木商を営んでいたことを知らない者はこの話を聞いて、あり得なくもないと思った。

 それに、ことのきのエヴァリストはこのような高い身分の人に晩餐を告げるにふさわしい服装をしていた。この複数の任務を負う召使は、日中は下男として門を開ける役目を担い、金ぴかに飾り立てられた制服を身に着けているが、夕食時には司厨長として黒づくめの服に着替えるのである。そして今日の豪華な食堂の設えにしっくり溶け込むには、この服装は特に必要であった。5.3

 

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