エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-VI-1

2021-01-15 09:59:50 | 地獄の生活

VI

 

 

 「人を待たせておりますので、これで……真夜中ごろまた来ます……他にも緊急に診なければならない患者が大勢おりますので……」

これが、ジョドン医師がマルグリットに言い置いていった言葉である。事実、下男のカジミールに車道に藁を撒いておくようにと言いつけた後、ド・シャルース邸を後にした彼の向かった先はまさしく自宅であった。患者の診察に忙殺されているという体裁を保つことが自分の役割と心得ていたにせよ、大勢の患者が押しかけるというのは夢のまた夢であった。今週彼が診た唯一の患者はペピニエール通りに住む門番の老人で、他にすることもないので彼は日に二度往診に行っていた。それ以外の時間は患者の訪問を待ち受けることに費やされたが、患者はいつかな現れず、また絶望的職業と自ら呼ぶこの仕事を呪って日を過ごしていた。医療は同業者間の競争により衰退し、あまつさえ個人のやる気を削ぐあの愚かしいきまりというもののために身動きが取れない、と嘆きは果て無く続くのだった。

もし彼が、このような呪いや同じぐらい不毛な策略に費やす時間の半分でも医学の研究に用いていたなら、彼はもう少しましな医者になっていたかもしれなかった。せいぜいが凡庸というレベルの彼の実力に較べ、彼の野心の方は天井知らずだった。が、努力や忍耐は彼の流儀ではなかった。彼は今の時代精神の持ち主で、自分は素早く成功し、高い地位に上りつめる、しかも苦労せず、と自惚れていた。ある種の態度、物に動じぬ厚かましさ、なんらかの幸運、そして大いに宣伝することで事は達せられる、と彼は思っていた。

このような考えのもと、彼は富裕層が多く住み、貧しい人々はボージョン病院で無料の診療を受けられるクールセル通りに居を構えることにした。しかし結果は彼の期待を裏切った。厳しい節約を自らに課し、そのことは健気にもひた隠しにしていたにも拘わらず、徐々に彼の全財産が消えて行くのを見ることになった。それは約二万フランで、かくも高き野望の割にはささやかな資金であった。

その朝、彼は家賃を払ったばかりだったが、それが支払えなくなる日がいつ来るかはたやすく計算できた。では、どうすればよいのか? このことを考えるたび、尤もそれ以外のことは殆ど頭になかったのだが、彼の心の中で怒りと激しい憎悪の感情に火がつくのを感じていた。彼は自らの見込み違いであったと自分を責めるような男ではなかった。野望を打ち砕かれた者たちに倣って、彼は世間を非難し、様々な出来事や敵たちの悪意の所為だとした。彼にはそんな敵などいなかったのだが。ときどき彼は自分の野望を満足させるためならどんなことでもやってやる、という気になった。というのは、あれもこれもと彼の欲望は果てしがなかったのに、我慢をする窮乏生活が続いたため、ついに油が炎に注がれるように、彼の頭の中で物欲が燃え上がることがあったからだ。1.15


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