エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XII-7

2024-08-06 15:33:11 | 地獄の生活
これまでの彼は行動を起こすことに臆病になり、何にも確信が持てず、ぐらぐらと動揺していた。が、どこをどのように攻撃すべきかが分かった今、戦いを始める時が到来したのである。不屈のエネルギーが彼の内に湧き上がり、彼をブロンズ像のように強固にした。もはや何ものにも気を削がれたり、邪魔されたりすることはない。心弱い者たちが怖気づく場所、つまり戦場に臨むときに初めて持てる力を発揮する剛直な指揮官のように、パスカルは頭の中の霧が晴れ、思考力にスイッチが入り、新たな明晰さが与えられたように感じた。
彼がこれから行使しようとしている武器は確かに彼の気に入らぬものであった。しかしそれを選んだのは彼ではない……。彼の敵は裏表のある態度と狡知に富んだ術策のみを武器としているのであるから、パスカルもまた策略と奸計で彼らを出し抜こうと考えた。
ド・ヴァロルセイ邸までの道を速足で歩きながら、彼は頭の中で自分の使える手段を数え上げ成功の可能性を再検討していた。何も忘れてはいないだろうか、うっかり何かの用心を怠って足元を掬われることはないだろうか、と……。もし彼が失敗することがあるとしても---失敗することがあると本当には思っていなかったにせよ、その可能性があることは彼も認めていた---その責めを自分に向けなければならないことは避けたかった。「こんなこと、誰にも予想なんて出来るもんか!」などと言って自分を慰めようとするのは愚か者だけだ。賢い人間はあらゆる場合を想定するものだ……。そしてパスカルはすべてを予見したと考えた。今朝、出かける前、彼は身なりを整えるのに細心の注意をした。彼が最初のときに身に着けた身分の低い者の服装はもはや適切ではない、と感じた。トリゴー男爵の実務を担当している者が貧しい身なりをしていてはおかしい。暖炉に近づけば身体が温まるように、百万長者と付き合っていれば自ずとその色に染まるものだからだ。
彼はあまりにエレガント過ぎず、かといってみすぼらし過ぎることもない黒い服をきちんと着込み、上品な白いネクタイを結び、髭を剃り、髪は短く、金融顧問ならばこのようであろうと想像される重々しい抜け目のなさを漂わせた。ただ、差し迫った深刻な心配事がただ一つだけあった……。
ド・ヴァロルセイ氏は彼に見覚えがあるのではなかろうか。そんなことはない筈だと彼は自分に言い聞かせた。しかし確信は持てなかった。間違っているかもしれない……。そのことを思うと不安になり、変装しようかと考えた。が、よく考えてみて、このやり方は除外することにした。不完全な変装は却って注意を惹き、警戒心を呼び覚ますことになる。そもそも本当に外見を作り変えることなど出来るものであろうか? そんなことは出来る筈がない。変装を見事にやってのける人間がこの世にどれぐらいいるものだろうか? しかも、それには十分な経験も必要であろう。警察には二、三人、役者には五、六人変装の名人がいると言われてはいるが、パスカルは変装のプラス面とマイナス面をじっくり突き合わせ、結局今のままの姿を侯爵の前に曝すことに決めた。
道で知り合いに偶然出くわしたり、彼の足取りを掴もうと捜索をし始めた人々の誰かに出会ってしまう危険性も確かにある。しかし髭をばっさり剃り落したおかげで、彼の人相は相当変わったし、彼の速い歩き方をもってすれば、人に見咎められることはなかろうと考えた。
しかしド・ヴァロルセイ邸に近づき、シャンゼリゼー通りの突き当りまで来ると、彼は慎重に歩を緩め、周囲を見回すために立ち止まりさえした。その邸は中庭と庭園に挟まれ、三階建てで非常に広く、とても美麗に見えた。中庭の両側には趣味の良いあずまやが並んでおり、それぞれ厩と馬車置きになっていた。半開きになった鉄格子の前には五、六人の朝の制服を着た召使たちがお喋りをしながら、一匹のテリヤの大型犬をからかって遊んでいた。
これらのことを観察するのに時間を取ったことはパスカルにとって良いことだった。何も怪しいものは見当たらない、と自分に言い聞かせたその瞬間、召使たちがさっと二手に分かれ、人の姿が見えた。鉄格子の扉は全開になり、ド・コラルト氏その人が非常に年若い金髪の青年に腕を貸しながら出て行った。青年は反り返った口髭を持ち、特に自惚れた態度が目立っていた。これら二人の紳士は凱旋門の方角に向かって行った。8.6

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