「それでは何故?」
「簡単なことです。彼女には何百万もの財産があります……」
この説明はトリゴー男爵を納得させたようには全く見えなかった。
「侯爵は不動産を所有していて十五万から二十万リーブルの年利収入がある筈です。この財産と彼の名前をもってすれば、フランス中の相続財産持ちの娘は選り取り見取りだ。何故あなたの愛する娘さんに言い寄る必要があるのか。納得が行きませんな。もし彼が貧乏だとか、彼の財産が危うくなったとでもいうなら、私の娘婿のように、金持ちの平民の娘と結婚して再び家の紋章を金ぴかにしたいと考えるかもしれませんがね……」
彼は言葉を止めた。ドアをノックする音が聞こえたからである。入れという声に応えて従僕が入って来て言った。
「ド・ヴァロルセイ侯爵が男爵にお目に掛かりたいと仰っておられます」
なんと、当の敵ではないか! 激しい怒りがパスカルの顔を歪ませたが、それだけのことだった。彼は身動きもせず、一言も発しなかった。
「侯爵を隣の食堂にお通しして」と男爵は言った。「私はすぐに行くから」
従僕が下がると彼はパスカルに言った。
「さてと、フェライユールさん、私の意図がお分かりですかな?」
「ええ、そう思います。おそらくド・ヴァロルセイ氏とのやり取りを私に聞かせようというおつもりなのですね」
「そのとおりです。ドアを開けておきます。あなたに聞こえるように」
この「聞こえるように」という言葉は何の嫌味も当てこすりもなく発されたものだったが、それでもパスカルは顔が赤らむのを止めることが出来ず、下を向いた。
「あなたに証明したいのですよ」と男爵は続けて言った。「あなたのお疑いが外れているということを。うまく話を持って行って明らかにしますから、私を信用してください。いわば取り調べのように会話を振りますから、侯爵が帰る頃には、あなたはご自分が間違っていたと認めることになるでしょう……」
「あるいは、私が正しかったということを、男爵、あなたがお認めになるかです」
「よろしい! 誰しも間違いはあるものです。私は頭の固い人間ではありません」
彼は立ち上がったが、パスカルは彼を引き止めた。
「男爵、こんなに親切にして頂いて、お礼の言葉もありません。ですが……敢えて厚かましく、もう一つお願いを聞いていただけませんでしょうか」9.9