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エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XV-8

2025-05-30 08:59:39 | 地獄の生活
ド・ヴァロルセイ氏はそのことよく理解したので、元気よく答えた。
「そうですか! 親愛なるドクター、二万フランほどで良ければ、喜んでご用立ていたしますよ」
「本当ですか?」
「名誉にかけて!」
「で、いつ用意して頂けますか?」
「三、四日後には」
取引は成立した。ジョドン医師の方では、ド・シャルース伯爵の掘り起こされた遺体から何らかの毒物が検出されるよう準備をしておくこととなる。彼は侯爵の手を握り締め、こう言った。
「どのような事態になりましょうとも、私にお任せください」
やっとド・コラルト子爵と二人だけになったド・ヴァロルセイ氏は、それまでの遠慮をかなぐり捨て、音を立てて大きく息を吸いながら立ち上がった。
「何と骨の折れる会合だ!」と彼は呻るように言った。
ド・コラルト氏は椅子の上でぐったりとし、一言も発しなかったので、侯爵は彼の方に近づき、肩をポンと叩いた。
「具合でも悪いのかい。そんな風にじっとしてるなんて、まるで一巻の終わりみたいに」
ド・コラルト氏は突然夢から覚めた人間のようにびくっとした。
「どこも悪くなんかないさ」と彼は乱暴な口調で答えた。「ただ考えていただけだ……」
「その顔つきを見れば、あまり嬉しくないことらしいな」
「まぁそのとおりだ……私たちの前に貴方が敷いたレール、それに乗って行けばどういう運命が待っているのかを……」
「ああ、不吉な予言はなしにしてくれ……それにもう、ここで熟考に沈んだり、退却を考えたりするときではない。ルビコン川は渡ってしまったのだ……」
「そうなんだ。私が困っているのはそこなのだ。私の忌まわしい過去、そのおかげで貴方はまるで短刀をかざすが如く私を脅してくるが、それさえなければとうの昔に奈落への道を辿るのは貴方一人にして貰っていたところだ。確かに、貴方はかつて私を助けてくれた……。トリゴー男爵夫人に私を引き合わせてくれたのは貴方だし、私が今のような一見贅沢な暮らしが出来ているのも、貴方という後ろ盾があるおかげだ……。しかし、貴方の危険極まりない策略の手先となるのは、返礼としてあまりに高すぎはしないか! カミ・ベイを騙す手伝いをしたのは誰か? こっそり貴方の持ち馬のドミンゴ以外の馬に賭けたのは誰か? パスカル・フェライユールの手に前もって準備しておいたカードを滑り込ませたのは誰か? いつ発覚するかもしれない危険な行為なのに? コラルトだ……いつもいつもコラルトだ……」
ド・ヴァロルセイ侯爵は一瞬怒りを表す身振りをしたが、すぐにそれを抑え、返答はしなかった。それから部屋の中を大股で五、六歩歩き回った後、平静さを取り戻したと感じたのか、ド・コラルト氏の前に戻って来た。
「正直言って」と彼は話し始めた。「私は君のことが分からなくなった。この期に及んで恐くなってしまったのかい? 君ともあろう者が? いつからそうなった? 成功は目前じゃないか」
「そうだといいのだが……」5.30
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2-XV-7

2025-05-26 09:34:14 | 地獄の生活
「そうですか……」
「早速今日、一刻も無駄にせず、帝国検事に告訴状を提出します……。疑いの余地のない窃盗については断定的訴えを、毒殺については推測的訴えを……」
「なるほど。そうですね。それは良い考えです……。ですが、それにはちょっとした問題が一つありまして……。僕は告訴状をどうやって提出したら良いか分からないんで……」
「私だってあなたと御同様ですよ。しかし、その方面の専門家なら誰でも、あなたに代わってやってくれるでしょう。……そういう人間は一人もご存じではない? ……では、私の知っている人の住所を教えてさしあげましょうか? 非常に有能で、この方面の事情に詳しい弁護士で、私が親しくしている社交界の面々の殆どが彼の世話になっています……」
この最後の言葉を聞いただけでも、ウィルキー氏にその選択をさせるのに十分であった。
「その人にはどこに行けば会えますか?」と彼は尋ねた。
「自宅におりますよ。この時間ならいつもその筈です。さぁ、ここに紙と鉛筆がありますから、住所を書き留めておかれるといいでしょう。名前はモーメジャン、住所はラ・レボルト通り……。私から聞いてきたと仰れば、私に対するのと同じように対応してくれるでしょう。ちょっと遠いですが、私の箱型馬車が馬に繫がれて中庭に置いてあります。それに乗っておいでなさい。用事が済んだらここに戻ってきて晩餐を御一緒にしましょう……」
「ああ、それは何とご親切な!」とウィルキー氏は叫んだ。「何から何までお世話になります、侯爵。それでは急いで行って、すぐ戻ります!」
そして彼は顔を輝かせて出て行った。殆どその直後に、モーメジャン宅へと彼を運んで行く馬車のガラガラという音が聞こえてきた。
ジョドン医師は既に杖を手に取り、帽子を被っていた。
「私はこれで失礼いたします、侯爵」と彼は言った。「慌ただしくて申し訳ありませんが、人を待たせてありますので。検討すべき契約がありまして……」
「なんと!」
「実を申しますと、侯爵、私は歯科医の診療所を買収しようと現在交渉中なのでございます」
「え、あなたが!」
「ええ、ええ! 『それでは身を落とすようなものではないか』 とあなたは仰るでしょう。私の答えは『生きるため』でございます。医者という職業は昨今ますます困難なものになっておりまして……。往診に駆け回っても、ろくな稼ぎにはならぬのが現状です。とある高級住宅地にある設備の整った利用者の多い診療所が非常に良い条件で売りに出されているのを見つけましたので、これを買わない手はありません。ただ一つ障害がありまして……資金不足です」
明白なことであった。ジョドン医師は望まれた通りの仕事をしてやったのであるから、その代償を彼は要求しているのである。更に深入りする前に、彼は自分の立ち位置をはっきりさせたかったのだ。5.26
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2-XV-6

2025-05-21 10:06:04 | 地獄の生活
彼の口調は医師のそれではなく、治安判事そのものだった。彼の威嚇的な推論は貨幣が刻印されるがごとく、ウィルキー氏の脳裏に刻み込まれた。
「犯人は一体誰なんですか?」と彼は尋ねた。
「そのことから利益を得られる唯一の人物です。大金の存在を知っていた唯一の人物、その金が入れられていた書き物机の鍵を自由に使うことのできた唯一の人物……」
「で、その人物とは?」
「伯爵の私生児であり、伯爵と同居していたマルグリット嬢です」
ウィルキー氏は打ちのめされて、再び椅子に倒れ込んだ。ジョドン医師の『証言』とカジミール氏の供述の共通点はあまりにも明白、と彼には思えた。疑いの余地などない、と彼は思った。
「ああ、そういうことか、諦めるしかないな……」と彼は呟いた。「何てついてないんだろう! 僕の身には必ずこういうことが起こるんだ。どうしたらいいんだろう‥…?」
彼はすっかり気を落とし、その視線は教えを乞うようにジョドン医師とド・ヴァロルセイ侯爵、更にド・コラルト氏の間をうろうろし始めた。
「私の職業はあらゆる種類の助言を与えることを禁じています」とジョドン医師ははっきりと告げた。「ですが、ここにおられる皆さま方は私と同じ理由で沈黙を強いられているわけではありません……」
「ちょっと待ってください!」と侯爵はきびきびした声で遮った。「人にはそのときどきの直感に従って行動すべきときがあるものです。これがそのときではないでしょうか。尤も私に言えるのは、もし私がド・シャルース伯爵の親族か相続人であったならどうするだろうか、ということだけですが」
「ああ、仰ってください」とウィルキー氏は縋りつくような口調で言った。「そうして頂ければどんなに有難いか……」
ド・ヴァロルセイ氏はしばらく考え、やがて重々しい口調で口を開いた。
「私ならば、この不可解な事件を詳細な部分まで詳らかにすることが自分の名誉に関わることだと考えるでしょう。遺産を受け取る前に、伯爵の死因を解明するのは当然すべきことのように思われます。そしてそれが卑劣な殺人であったなら、その仇を討つことが……」
ウィルキー氏にとっては、これは神託のようなものだった。
「僕も全く同意見です、侯爵」と彼は叫んだ。「で、この謎を解明するのに、あなたでしたらどうなさいますか?」
「法に訴えます」5.21
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2-XV-5

2025-05-16 09:41:30 | 地獄の生活
目の鋭い人なら、ジョドン医師のぎこちない態度の下にある種の内面の震えがあるのを感じ取ったことであろう。ある悪事が冷酷な思考の元に考え出され決断されたものであっても、その先触れとして緊張が訪れるものだ。
「実を申しまして」と彼は苦心して言葉を選びながら話し始めた。「お話しするに当り、私には躊躇いの気持ちがございます。私どもの職業には厳しい責務が課せられておりまして……こんなことを申しても遅きに失するかも知れませぬが……もしド・シャルース伯爵の舘に伯爵の親族がおられましたなら、なんなら相続人の方一人でも立ち会っておられましたなら、私は検死を提案したところでございますが……今となってはその……」
検死という言葉を聞いてウィルキー氏はぎょっとして目を泳がせた。彼は口を開き、話に割り込もうとしたのだが、ジョドン医師は既にその先を続けていた。
「それに、私には疑念があっただけでございます。根拠としては、不穏な尋常でない状況であった、ということだけでして……。私も人間ですので、間違うこともあり得ます。科学が発達している現在にあっては、断言することなど軽々しくは出来ません……」
「何を断言するんです?」とウィルキー氏が口を挟んだ。が、医師はその声が聞こえなかったようで、独断的な口調を変えることなく続けた。
「一見すると、伯爵は脳卒中で倒れられたかのように見えました……が、ある種の毒物はこれと似たような、ときには同一の兆候をもたらすことがあり、どんなに有能な医師をも誤らせてしまうことが可能です……。伯爵にはずっと意識がおありになったこと、筋肉の緊張と弛緩が交互に現れたこと、瞳孔の拡大、それから何よりも最後の痙攣の激しさから、私には何者かの手によって最期が早められたのではないかという疑念が浮かんだのでございます……」
ウィルキー氏は顔を真っ青にし、身体をぶるぶる震わせながら立ち上がった。
「ああ、よく分かりました!」と彼は叫んだ。「伯爵は殺されたんですね、毒を盛られて!」
しかしジョドン医師はすぐさま抗議した。
「ああ、いやいや、そう慌てないで! 私の推測を断言と思われては困ります。ですが、私が疑念を抱いた状況をあなたに黙っているべきではないと思いまして……。ド・シャルース伯爵は倒れられた日の朝、小瓶から何らかの液体を二さじ飲まれたとのことですが、その中味については誰も知らないか、言いたがらなかったのです。その小瓶に何が入っていたのか? 尋ねても『卒中を抑える薬』だとか。私は何か怪しげなことが行われた、と断言しているのではありません。が、そうでないという証拠はあるでしょうか……。犯罪の引き金になり得たものなら、それは一目瞭然です。書き物机には二百万フランがしまわれていたが、その金が消えた……。薬の入っていた小瓶を私に見せてください。消えたお金を見つけてください。そうすれば、私は自分が間違っていたと認めましょう。それまでは、疑い続けます……」5.16
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2-XV-4

2025-05-12 07:57:31 | 地獄の生活
 「邸を離れ、亡くなられた伯爵の御友人である、フォンデージ『将軍』と呼ばれる方のところに身を寄せておいでです。その際、ご自分の装身具やダイヤモンドなど一切を持って行こうとはなさらなかったのですが、これがどうもいかがわしく思えます。それらは十万エキュ以上の値打ちがあるもので……。ブリゴー夫婦も申しておりました。『カジミールさん、そんなことは普通じゃないですよ』と。ブリゴーというのは邸の門番夫妻で、正直な者たちでございます。これ以上ないほどの……」
 不運にも、彼がこのように仲間である門番夫妻を売り込もうとしている最中に、家僕が礼儀正しくドアを軽くノックし、入ってきて言った。
 「お医者様がいらっしゃいまして、侯爵にお目に掛かりたいとのことでございます」
 「わかった」とド・ヴァロルセイ氏は答えた。「少しお待ち頂くように。私が呼び鈴を鳴らしたらお通ししてくれ……」
 それからカジミール氏の方に向き直って言った。
 「あなたはもう下がって結構です」 それから付け足して言った。「しかし邸からは出ないように。こちらの方からあなたにお話があるでしょうから……」
 カジミール氏は恭しく後退しながら出て行った。彼がドアの外に出るやいなやウィルキー氏が叫んだ。
 「なんという話だ!二百万フランの盗みとは!」
 侯爵は嘆かわしいという仕草で首を振り、重々しい口調で言った。
 「こんなことは何でもありませんよ。もっと酷いことがあるのではないかと思っています……」
 「何ですって! そんなことを聞くと恐ろしくなってしまいますよ」
 「お待ちください。私が間違っているのかもしれない。お医者様が間違っておられるということもあり得ます。ともかく、話を聞いてみましょう……」
 そう言うと、ウィルキー氏の言葉も待たず、彼は呼び鈴を引いた。するとすぐに召使の声が響いた。
 「ドクター・ジョドン様でございます」
 入って来たのは確かにド・シャルース伯爵の臨終の床に立ち会った、あの医師であった。利害関係の絡んだぶしつけな質問をしてはマルグリット嬢を悩ませたジョドン医師である。満たされぬ野望の持ち主であり、その薄い唇に薄笑いを貼り付かせ、人に取り入るため外見を繕うことに全精力を傾け、その偽りの安ピカな上辺の下で不満と怒りをはち切れんばかりにため込んでいる、一言で言えば、当世風の人間であった。
カジミール氏は、自分では何も知らないうちに片棒を担ぐことになったのであったが、ジョドン医師の方は承知の上であった。マダム・レオンによってド・ヴァロルセイ侯爵に引き合わされた彼は、最初から侯爵の狙いを見抜いた。二人は当然のごとく互いを理解しあったのである。二人の間で何か明確な言葉が交わされたわけではなかった。彼らは二人ともしたたかな人間だったので、はっきり言葉に出す必要もなかったのだが、それでも彼らの間に一つの了解が成立した。互いが自分の持てる手段を用いて相手を利するよう尽力するという暗黙の了解が。
ジョドン医師が姿を現すや、ド・ヴァロルセイ侯爵は立ち上がって彼と握手し、椅子を勧めた後にこう言った。
「あなたには包み隠さず申します、ドクター。この方に---彼はウィルキー氏を指した---あなたからお聞きした恐るべき秘密を予めお伝えしてあります」5.12
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