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エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

17章 2

2025-08-05 12:18:42 | 地獄の生活
つまるところ、『将軍』とフォンデージ夫人はそれぞれ外に重要な案件があり、家にいるわけには行かなかったのだ。夫の方は自分の馬を見せびらかさねばならなかったし、妻は買い物をしなければならなかった。マダム・レオンはと言えば、彼女がごく最近発見したという『親戚』のもとに入り浸っているらしかった。
家の中で一人きりになり、スパイの目を気にしなくてもよいとなると、マルグリット嬢は弱気になりそうな自分の心を励まそうと、手紙を書き始めた。そこへ召使が、お針子が一人訪ねて来て、お嬢様にお目に掛かりたいと言っている、と知らせに来た。
「お通しして!」 と彼女としては珍しく鋭い口調で彼女は答えた。「すぐにこちらへ!」
四十代と思われる女性が入って来た。服装はいたって簡素、かつ非常に上品であった。彼女はよく作法をわきまえた出入り商人らしく深々とお辞儀をした。が、召使が出て行くと、すぐにマルグリット嬢に近づき、彼女の両手を取った。
「お嬢様、私はあなたの友人の治安判事の義理の妹でございます。貴女様に緊急にお知らせしたいことがありましたので、誰か信頼できる人間を探していたのですが、こちら様に怪しまれないようお針子という形が良いだろうということで、それなら私が行く、と申し出たのでございます。私以上に信頼できる者が見当たりませんでしたので……」
マルグリット嬢の目に涙が光った……。寄る辺のない身にはどんなにちょっとした親切でも、その優しさが心に響くものだ。
「何と言ってお礼を申し上げたら良いか分かりません、マダム!」 と彼女は感動した声で言った。
「お礼はご無用です。それより、どうか、この手紙をできるだけ早く読んでください」
その手紙には、老判事の手で次のようにしたためられていた。
『親愛なるお嬢さん、私はついに金を持ち逃げした犯人の手がかりを得ました。ド・シャルース伯爵が死亡の前々日にその金を受け取った相手と面会する機会を得、思いがけぬ素晴らしい幸運により、伯爵が書き物机の中にしまったという持参人払いの有価証券の詳細と紙幣の番号を手に入れることが出来たのです。それらがあれば、間違いなく我々は犯人もしくは犯人たちを突き止め、有無を言わさず犯行を認めさせられるでしょう。貴女からの手紙によれば、F夫妻は散財にうつつを抜かしているようですが、彼らがどこで、どういった商人たちを相手に金を遣っているか、が分かれば出来るだけ早く私に知らせてください。もう一度言いますが、成功は間違いありません。彼らを現行犯で捕まえます……勇気を失わないで!』
「さぁ、それでは」 とお針子に扮した婦人は、マルグリット嬢が読み終えたのを見て尋ねた。「義兄にどう伝えれば良いですか?」
「明日には必ずお望みの情報をお届けできます、と。今日分かるのは、フォンデージ氏が馬車を買った馬車製造業者の名前だけですので」
「それを紙に書いてください。そうすれば確かですから」8.5
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17章 1

2025-08-02 19:04:41 | 地獄の生活
前章:マルグリット嬢に、二週間以内にパスカル・フェライユール氏を探し出してあげる、と約束したヴィクトール・シュパンはマダム・フェライユールの足跡を辿って行くうち、偶々本人に出くわす。
一方、「なんでも屋」のフォルチュナを訪ねた後、マルグリット嬢は却って不安に襲われる……。
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XVII

「どうか神様、お願いです……パスカルがすぐに私を助けに来てくれますように!」
イジドール・フォルチュナ氏のもとを辞したマルグリット嬢は、心の底からそう念じていた。
というのは、彼女が腹黒い陰謀の犠牲になっていることが、今や明らかにされたからであった。彼女が自分なりに持っていた推測と、たった今与えられた情報を足し合わせてみると、指でなぞるようにはっきりと真実が浮かんで来たのだった。だが、「相続人追跡者」たるフォルチュナ氏は、ド・ヴァロルセイ侯爵の置かれている状況をはっきりと暴いてみせたことで、彼女を安心させるどころか、恐怖に陥れてしまった。
 かの破産した遊び人であるド・ヴァロルセイ侯爵が堕ちるところまで堕ち、どう藻掻いてもすべて上手く行かず、栄華の頂点から恥辱の掃きだめへと、当然の報いとはいえ、転落して行く際、どれほど気も狂わんばかりの怒りに捕らわれることであろう……。彼の華やかな暮らしを一年でも、ひと月でも、たった一日でも引き延ばすためには、死に物狂いでどんなことにでも手を染めるであろう。この男の悪辣さがどれほどのものか、もうすでに十分に見せつけられているではないか? 殺人を前に尻込みする? まさか!
可哀想なマルグリット嬢は身体を震わせながら、パスカルはまだ生きているだろうかと自問した。そして、まるで不吉な幻影のように、彼の血まみれの死体が人里離れた道の上に転がっているのが見えるような気がした。
彼女自身の身にもどんな危険が襲うか分かったものではない。過去を知っているからといって、未来が予見できるものではない……。ヴァロルセイ氏の手紙はどういう意味を持っていたのか? 彼があのように前もって勝利を確信するからには、彼女に対し、どのようなやり方で迫ってくるのであろうか?
このように考えると彼女は恐ろしくなり、一瞬たじろいだ。あの老治安判事のもとに駆け込み、保護を求め、避難場所を確保して貰おうか、という考えが浮かんだ。
しかし、この一時的な気の迷いは長くは続かなかった。自分は意志の力を失ってしまったというのか? こんな肝心なときに心弱りしてどうする?
「駄目よ、駄目、駄目!」と彼女は繰り返した。「敗北するのは仕方がないわ。でも戦わずして負けてどうするの!」
そして実際、ピガール通りに近づくにつれ、彼女は不吉な考えを頭から振り払うべく努め、自分の長い外出に気づいた者があった場合に備え、その言い訳を考えることに専念した。
しかしその必要はなかった! 彼女が家を出たときと同様、家に居たのは前日就職斡旋所から適当に新しく雇い入れられた家事使用人たちだけであった。8.2
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16章 10

2025-07-28 15:02:17 | 地獄の生活
ヴァントラッソンはもはや疑わなかった。
「そうか! そいじゃお前はごろつきだってことを認めるんだな!」と彼は叫んだ。「俺の書いた古い借用証書を二束三文で買い上げて、執達吏を差し向けて俺を差し押さえさせようとしたな。そうとも、破産につけこんで借用書を買い漁る奴!貧乏人を痛めつけるのが、そんなに嬉しいか!ようし、悪党、こうしてお前を捕まえたからには、あんときの落とし前をつけてやろうじゃねぇか!」
彼は凄まじい拳固の一発で、借金取りと見立てた相手を吹っ飛ばし、店の端まで転がらせた。しかし、シュパンは幸いなことに敏捷だった。一瞬で彼は立ち上がり、テーブルを飛び越えると、それを危険な相手と自分の間に挟んだ。元パリの街の悪童であったシュパンは、サヴァット(フランス式キックボクシング)と呼ばれる危険なゲームに熟練していたので、十分に後ろに下がれる空間があれば楽に身を護れていたであろう。しかし、隅っこに追い込まれたこの状況では、やられる、と観念した。
「なんて鋭いパンチなんだ」と彼は相手の拳固を自慢の身軽さでひょいとかわしながら思っていた。牛でも倒せそうな強力なパンチだった。
これはもう大声で助けを呼ぶしかないか、と彼は思った。が、誰か聞きつけてくれるだろうか? 聞こえても、来てくれるだろうか? もし誰か、警察、が来てくれたとしても、介入などしてくれないのでは? いや、そもそも警察が介入するとすれば、まず最初に行われるのは事情聴取だ。そうすればパスカルの計画を妨害してしまうのではないか……。
自分が助けようとしている人間の邪魔をしてしまうという不安に駆られ、彼は即座に助けを呼ぶのはやめた。この窮地から自力で抜け出すしかないと覚悟を決め、彼は戦略を変えた。これまでは敵の攻撃をかわすことだけを考えていたが、今は少しずつ少しずつドアの方ににじり寄って行くことに専念し始めた。
多少の手傷は負いながらも、彼がドアのところまで行き着いたそのとき、ドアがパッと開いて、黒い服を着た若い男が入って来た。念入りに髭を剃り上げた男で、よく通る声で言った。
「なんなんだ! 一体どうしたんです?」
急に現れた男を見てヴァントラッソンは仰天した。
「あ、あなたでしたか、モーメジャンさん」 と彼はがっかりした様子でもごもごと言った。「なんでもありません、ちょっとふざけていただけですよ……」
モーメジャン氏はこの説明に満足した様子だった。彼はただ頼まれた伝言を伝えに来ただけで内容は我関せず、という無関心な調子で言った。7.28
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16章 9

2025-07-25 07:19:23 | 地獄の生活
「女房に、内密の話ですか?」
「まさか!」
「なら、あっしに話して貰っても」
「ああ、ああ、それでも結構ですよ。私は鉄道の西駅の者でしてね。荷物の保管係なんです。で、お尋ねしたいのは、お宅の奥さんが最近荷物の受け取りにいらしたんではないか、ということでして」
酒屋兼食料品屋兼家具付き貸し間の主人の顔には、曖昧な不安の色が漂っていた。脛に傷持つ人間が、いつ自分の悪事が露見するかと日々抱えている不安である。ありありと逡巡を見せた後、ようやく彼は答えた。
「え、女房はル・アーブルの駅に荷物を取りに行きましたよ。日曜日だったかな……」
「それはよかった……つまり、こういうことなんです。その際、係り員が預かり票を返却していただくのを忘れましてね。それか、紛失してしまったかのどちらかで、どこを探してもないんですよ……。それでお宅の奥さんに、もしかして預かり票をまだ持っておられるかどうか、お伺いに来たというわけなんです……。奥さんが帰られましたら、私の用向きをお伝えいただけませんか。で、もしまだお持ちでしたら、郵便で送っていただけないかと……」
あまり上手い言い訳ではなかったが、それでもヴァントラッソンを騙すには十分だった。
「で、誰宛てに送ったらいいんです、その預かり票とやらは?」
「私に送っていただければ。ヴィクトール・シュパンと申します」
軽率であった! 確かにシュパンには知る由もなかったのだが、イジドール・フォルチュナ氏がヴァントラッソン夫妻を訪れた晩、この名前を口にしていたのだった。夫妻から情報を貰うのと引き換えに、彼らの署名のしてある約束手形を返却したときのことである。
高級家具付き貸し間の主人、ヴァントラッソンは、フォルチュナ氏の口から洩れたこの名前を忘れてはいなかった。彼は怒りで顔を蒼白にし、相手は借金取りであると確信し、ドアを塞ぐ形で立ちはだかった。
「ははん、あんたの名前はシュパンてんだな、ヴィクトール……」
「そ、その通りですが……」
「鉄道会社に勤めてるって?」
「ええ、そう言いました……」
「それでいながら取り立て屋の仕事もやってる、ってか?」
本能的にシュパンは後ずさりした。自分が何かへまをやらかした、ということは分かったのだが、それが何か分からないでいた。
「え、ええ、以前そういう仕事をしていたこともあります……」と彼はもごもごと呟いた。7.25
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16章 8

2025-07-22 11:15:40 | 地獄の生活
もしこのときシュパンがヴァントラッソン夫人のことを思い出していたなら!
しかし、パスカルと『高級家具付き貸し間』のおかみさんとの間に何らかの共通する利害関係が存在するなどと、誰が想像できよう! だがシュパンの置かれた状況は、どんな可能性も虱潰しに当たっていかねばならないものだったため、彼は『高級家具付き貸し間』にも赴いたのだった。
彼がイジドール・フォルチュナ氏のお供をしてやって来たあの夜から、この建物自体は変っていなかった。ただ、真昼間の光の中で見ると、更に不潔でうらぶれていた。この建物全体が資金不足のため未完成の状態で、既に崩れかけたまま放置されていることが見て取れた。店の中に積み上げられている商品は、見るも恐ろしい様相をなしていた。
ヴァントラッソン夫人はいつもの持ち場、すなわちカウンターにはいなかった。カウンターは彼女の最愛の黒猫と酒瓶に挟まれた場所であり、そこで彼女にとってのこの世の最高の慰めであるカシスのリキュールをグラスに注ぐのが常だった。
店の中には店主だけで客はいなかった。
店の奥の方で、店主はテーブルの前に立ち、火の点いた蝋燭を傍に置き、なにやら奇妙な仕事に没頭していた。それに気づいたら、シュパンは大いに好奇心を刺激されたであろう。ヴァントラッソンは蝋燭の火で瓶の蝋を溶かし、それをテーブルの上に垂らし、封印を押す要領で一スー硬貨をそれに押し当て、それが冷えて固まると、ガラス職人が使う細い小刀で表面の刻印を損なわないようにしながら注意深く引きはがしていた……。
シュパンは気に留めなかった。
「おかみさんは留守なんだ」 と彼はぶつぶつと呟いた。「珍しいこともあるもんだ!」
彼にはやるべきことが分かっていた。自分の仮設が正しかったと証明されるか、はたまた外れと分かるか、どちらかである。彼は決然と店に入っていった。
ドアの軋む音が聞こえると、ヴァントラッソンは立ち上がったが、その際うっかりと、あるいは非常に巧妙に、かもしれないが、テーブルの上の道具、蝋、刻印されたもの、小刀をすべて床に落としてしまった。
「何を差し上げましょう?」と彼はしわがれた声で尋ねた。
「いや、そういうことじゃなくて、おかみさんに話があって来たんです」
「今、出てます!午前中は街で家事手伝いをしてるんですよ」
突然、光が射した……。いろんな仮説を立てたが、今までどうしても説明がつかないと思っていた事柄を解決してくれるこの可能性を、彼は全く考えていなかったのだ。希望で身体が震えたが、彼はそれをうまく隠すすべを心得ていた。がっかりした風を装って彼は言った。
「あ~あ~そういうことですか。じゃまた出直さなきゃな……」7.22
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