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エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XIV-15

2025-04-03 10:13:42 | 地獄の生活
 他の時代であったなら、マダム・ダルジュレのこの話は全くあり得ないもののように見えたことであろう。が、今の時代、こんな話はさして珍しくもない。上流社会のお偉方である二人の紳士、陳腐な言い回しを使うなら、下々からあがめられているような紳士が二人協力して警察の目をかいくぐり賭博場を開き、哀れな女に不道徳な真似をさせて金を稼ぐ……品性のかけらもない!
 マダム・ダルジュレは驚くべき真実を吐露したのだったが、その声には偽りでは出せないような響きが籠っていた。彼女は氷のような冷静さを装っていたのだが、内心では自分の長年に亙る自己犠牲と苦しみが息子から感謝と思い遣りの叫びを引き出すのではないかと密かに期待していた。そうすれば自分が味わってきた拷問の苦痛も報われるであろう。
 それは不毛な幻想だった。ウィルキー氏の目から涙の一滴を引き出すよりは、岩から泉を迸らせることの方が容易であったろう。
 この告白を聞いて、彼は奇妙な話としか感じなかった。彼が大いに驚いたのは、マダム・ダルジュレが出資者のことを破廉恥な人間たちだと考えていることだった。
 「悪くない考えだ」彼はにやにや笑っていた。「なかなか賢いやり方じゃないか!」
 それから好奇心ではち切れんばかりになって言った。
 「その二人の紳士の名前が分かるんだったら、一ルイぐらい喜んで払ったっていい……どうかお願いです、言ってくださいよ! これは大いに儲かりそうな話だ!」
 この若者以外の人間だったら、このときの母の視線に怯えてぺしゃんこになっていたであろう。彼女の目には深い苦悩とこれ以上ないほどの軽蔑が相克していた。
 「あなたは頭がおかしくなったようですね」と彼女は言い放った。
 ウィルキー氏は自分の頭の良さが疑われたことに呆気に取られ、居ずまいを正したとき、彼女はぶっきらぼうに付け加えた。
 「話はここまでです!」
 彼女はすばやく隣室に行き、しばらくして戻って来たときには、いくつかの円筒状にした書類を手に持っていた。
 「これが婚姻の契約書」と彼女は説明し始めた。「それから、あなたの出生を証明する抄本、それに私の相続放棄の写し---これは完璧に法的な効力を持ちます。不在の夫の代わりに裁判所が正式に認めたものなので。これらすべての書類をあなたに渡す用意があります。但し、条件が一つ……」
 この最後の言葉は、有頂天のウィルキーに浴びせられた冷水のシャワーのようなものだった。
 「条件……とは?」 と彼は不安そうに尋ねた。
 「あなたがこの証書に署名することです。これは私の公証人が作成したもので、あなたがド・シャルース伯爵の財産を相続する際、私に二百万フランを与えるというものです」
 二百万フランとは! その額の大きさにウィルキー氏は言葉を失った。というのも、彼がド・コラルト子爵に支払うと約束した……しかも書面で……成功報酬のことを忘れてはいなかったからだ。
 「それじゃ僕には殆ど残らないじゃないですか」と彼は哀れっぽい口調で言った。「そんなんじゃ割に合わない……」4.3
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2-XIV-14

2025-03-29 16:15:51 | 地獄の生活
私の思い描くような環境をどうやってあなたのために作れるかを考えていたとき、男爵の友人の二人がこんな提案を私にしてきたのです。非合法の怪しげな溜まり場で途方もない利益が上げられるという驚くべき話がある。では堂々と賭博場を開設してはどうだろうかと。パリの住人であろうと外国人であろうと、自由な考え方を持つ教養人としての嗜みがあり、お金をうんと持っている人間であれば誰でも入れる賭博場を。
ある程度慎重な予防策を取りつつ、社交界に影響力を持ち得るような女性のサロンにそのような賭博場を作れば、それは実行可能なのではないかと彼らは判断したのです。それで私のところに話を持ってきたというわけです。私に彼らの協力者兼管理者になってくれないかと頼みに……。
自分がどういうことに関わろうとしているか深く考えもせず、私は同意しました。その二人の社会的地位、人々から敬意を受けていること、その爵位などに目が眩んで……。
早速その週のうちに、この邸が借りられ、飾り立てられ、家具などが配置され、わたしはマダム・ダルジュレとして住み着くことになったのです。
それだけではありません。私に関するスキャンダラスな噂を作り上げ、世間の注目を集めねばなりませんでした。私の出資者たち、その友人たちの内実を知らぬ無邪気な関与、そして新聞や雑誌記者のおかげで……。
私はと言えば、リア・ダルジュレという名前にいかがわしい輝きを添えるため、ぞっとするような茶番に出来る限り協力をしたのです。衣装や装身具を揃え、けばけばしい化粧をし、劇場やその他いろんな場所に出入りする姿を見せびらかしました。
 人が自分の良心を黙らせようとするとき、いつもそうするように、私はあり得ないような詭弁で自分を騙していたのです。外見など何の意味もない、内実こそすべてなのだと自分に言い聞かせようとしたのです。私が娼婦としての評判を立てられているとしても、そんなことはどうでもいい、そんな評判は嘘で、私は身を売ったりしてはいないのだから、と……。
 男爵が駆け付けて、私が陥ろうとしていた奈落から私を救い出そうと奔走してくれたのですが、事はもう手遅れでした。これがビジネスとして当たったことは私にも分かり、私はあなたのために金の亡者となったのよ……
 去年、私の賭博サロンは十五万フランの利益を上げ、私は自分の取り分として三万五千フランを貰いました。そのお金をあなたは湯水のように使ってしまったわけ……。
 これであなたにも分かりましたね、私がどういう人間なのか。私のビジネス・パートナー達は、私が誓いを忠実に守って彼らの秘密を明かさなかったので、胸を張って堂々と大道を闊歩し、自分たちの名誉を誇らしげに語っています。事実、彼らは皆の尊敬を受けているのです。
 これが真実なのです。そんなこと、私は世間に知って貰いたいとは思わないけれど……。それに、私が言ったとしても、誰も信じてはくれないでしょう。でも、あなたは私の息子だから、あなたには真実を話さなければ、と思ったのです!3.29

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2-XIV13

2025-03-19 10:27:34 | 地獄の生活
自分が被っていたかもしれない危険を思っただけで、ウィルキー氏は身震いした。
「ブルル……、ああ、よくそこで躊躇してくれたもんです」と彼は呻った。
マダム・ダルジュレは聞いていなかった。
「もうこれでおしまいにするのだ、と私は苦労して立ち上がり、橋の欄干につかまって身を支えました。そのときすぐ近くでぶっきらぼうな声がしたのです。
『そこで何をしている?』と。
私は振りむきました。街の巡査が声を掛けてきたのかと思って……。でもそうではありませんでした。ガス灯の光で見えたのは三十歳ぐらいの男で、顔つきはいかついけれど、正直そうでした。
どうしてこの見ず知らずの他人が、無限の信頼を置ける人だと咄嗟に思ったのか、私には分かりません。おそらく死の恐怖が、自分でも無意識に、誰かの憐憫の情に縋りつかせたのでしょう……。
とにもかくにも私はその人にすべてを打ち明けました。名前は全部変え、詳細部分はちょっと違ったものにはしましたが……。
その人はベンチの上に私と並んで座り、消え入りそうな声で語る私の話を聞いていましたが、その頬に大粒の涙が転がり落ちるのが見えました。
『そうです、そういうことなのですね』と彼は呟いていました。『愛するということは、殉教の先触れなのです……。あらゆる不実や裏切りに対し無防備なまま自分を差し出すこと……短刀を前に自分の心臓を露わにすること……』
こんな風に御自分のことを語ったその人は、トリゴー男爵でした。彼は私に最後まで言わせず、突然叫びました。
『もうよろしい! 私に着いておいでなさい!』 と。
一台の辻馬車が通りかかりました。彼は私たちをそれに乗り込ませ、一時間後に私たちは暖かい部屋の中にいました。有難い暖炉のそばで、たっぷりの食べ物を乗せたテーブルがありました。翌日から私たちは快適なアパルトマンに住み着くことになったのです。
ああ、何故男爵は最後まで親切な心を持っていてくださらなかったのか?
あなたは救われたのよ、ウィルキー……、でもなんという代償を払わなければならなかったことか!」
彼女は火のように顔を紅潮させたが、すぐに自制して話を続けた。
「でも男爵と私の間に意見の相違があったのです。ウィルキー、あなたのことで。私はあなたに良家の子息としての教育を受けさせたいと主張しました。が、彼はあなたには厳しい、しっかりした教育が必要だと言いました。自分の地位、運命、自分の名前に至るまで、すべてを自分の手で手に入れて行く為に必要なものだからと……。
ああ彼が言ったことの方が何倍も正しかった。その後の出来事がそのことを痛いほど証明してくれたのだけれど、私は母性愛に目が眩んでいました。その後激しい論争になり、私がもっと理性的にならない限り、もう会わないと言って私から遠ざかって行きました……。
彼はそうやって私の強情さが和らぐのを待とうとしたのだけれど、彼にはド・シャルース一族の頑固さがどのようなものか、分かっていなかったのです……。3.19

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2-XIV-12

2025-03-13 13:56:54 | 地獄の生活
 私は自分に言い聞かせました。自分は生きていく、働いて、ウィルキー、あなたを育てるのだ、と。裁縫のような女がする仕事の全般において、私はとても上手だったのです。楽器の演奏も得意だったので、あなたと私が生きていくのに最低限必要なお金、日に四、五フランはたやすく稼げるだろう、と思っていました。でもすぐに、自分が馬鹿な幻想を抱いていたことに気づいたのです。
 音楽のレッスンをするには生徒を探さねばなりません。どこで見つけることができるか? 私には伝手もないし、あなたの父親が飽くことなき執念で私たちを探し回っていることは間違いないので、通りに出て自分の姿を人目に曝すことさえ怖くて体が震えるというのに。
 それで私はお針子の仕事へと方針を変え、おずおずと何軒かのお店を訪ねました。ああ、一軒ずつ店を回って仕事が貰えないかと尋ね歩くのがどれほど辛いことか、この経験をしたことのない人には知り得ないことです……。施しを求めて歩くのと殆ど変わらない屈辱。人々は鼻でせせら笑い、返事もしてくれないか、してくれても 『景気が悪いんでねぇ』 とか、『今のところ手は足りてるから』という言葉が返ってくるばかりでした。私に経験のないことや、いかにも不器用なやり方が、こんな風に断られる理由だったのでしょうが、それ以外にも私の身なりという問題がありました。私はまだ金持ち女性の服装をしていたのです。どんな素性の人間と見られていたことやら……。
 でも、あなたの存在が、ウィルキー、それが私の支えになり、私は挫けませんでした。そのうち私はモスリンの帯に刺繍をしたり、タピストリーの縁かがりをする仕事を得るようになりました。報いの少ない仕事……。というのは、綺麗な仕上がりより速さが優先される手仕事というものに私は慣れていなかったからです。夜明けとともに起き、夜が更けるまで働いても、得られるのは二十スー(20スー=1フラン)あるかなきか、でした。
 しかし、このちっぽけで取るに足りない賃金では間に合う筈もなく、すぐに冬と寒さがやって来ました。ある朝、私は最後の五フラン金貨を崩しました。それで一週間持つ筈でした。それから、絶対必要な物以外は一つずつ手放して行ったのです。最後に残ったのは継ぎ接ぎだらけのドレスとペチコート一枚だけ……。
 そしてついに何もなくなりました。本当に何も……。ついにある日の夕方、私たちが住んでいたみすぼらしい家の家主が、家賃を払えなくなった私たちを外に追い出したのです。
これがとどめの一撃でした。私はよろよろと壁に寄りかかりながら歩いて行きました。あなたを腕に抱きかかえる力が残っていなかったのです。細かい雨が降っていて、骨の髄まで凍えました。あなたは泣いていました……。
その夜一晩中、それから次の日一日中、どこへ行く当てもなく、希望もなく、私たちは彷徨っていました。もう後は死ぬか、あなたの父親のもとに戻るか、しか道はありませんでした。私は死ぬことを選びました……。
夕方になり、本能が私をセーヌ川の方に引き寄せていったのです。疲れと空腹で精も根も尽き果てていました。私はポン・ヌフのベンチの上に座りました。あなたを膝の上に乗せて。川の水が渦を巻きながら流れて行くのを眺めていると、黒い水面が私にこっちへおいでと誘っているようでした……。自分一人だったら躊躇などしなかったでしょう。でも、あなたがいたので、私は迷いました……」3.13
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2-XIV-11

2025-03-08 10:32:16 | 地獄の生活
私が自分の権利を行使しない決心をしたと彼に伝えた時、彼は理解が出来ない様子でした。あれほど屈従させられてきた奴隷が反逆するなどとは、彼には考えられないことだったのです。でも私の決心が動かないと知ったとき、彼は怒りに悶絶するのではないかと思うほどでした。
 彼の生涯の夢だった莫大な財産が、私の一言で手の届かないものになってしまう、それなのに私にその一言を言わせることが彼には出来ない、それが彼の憤怒に火をつけたのです。
 それからというもの彼と私の間の争いは、彼の持ち金が少なくなっていくほど凄惨さを帯びて行きました。でも彼がいくら私を痛めつけようが無駄でした。私は殴られ、命を脅かされるような目に遭い、血まみれで意識を失った状態で髪を掴んで引きずり回された……。でも、自分が復讐を果たしているという思い、私と同じ苦しみを彼にも与えているのだという思いが私の勇気を百倍にし、肉体に与えられる苦痛を感じなくさせていました。
 彼の方が先に音を上げたことでしょう。でもあるとき、悪魔の考えが彼に閃いたのです。
 妻である私に言うことを聞かせることはできなくとも、母親としての私になら話は別であろう、と。そして自分の怒りの矛先をウィルキー、あなたに向ける、と脅してきたのです。
彼はどんなことでもしてのける男だということが分かっていたので、あなたを救うため、私は気が弱まった振りをしました。そして考える時間を二十四時間くれ、と言いました。彼は承諾しました。
でも次の日の朝、私は家を出ました。もう二度と彼には会わない、と決心して、あなたを腕に抱きかかえ、逃げたのです」
 ウィルキー氏の顔は最初蒼ざめていたのが、次第に硬直した形相に変わっていった。何か冷やりとしたものが彼の痩せた背筋を走った。これは母親の苦しみへの同情でも、父親の卑劣な行為を恥ずかしく思う気持ちでもなく、この恐ろしい男がド・シャルースの莫大な財産という獲物を奪いにやって来る図が今まで以上に鮮明に脳裏に浮かび、彼を怯え上がらせたからだった。ド・コラルト氏やド・ヴァロルセイ侯爵の助けを借りたとしても、この男を追い払うことなど出来るものであろうか?
 質したい疑問が山のように頭に浮かび、口から出かかった。具体的な事実を知りたくて堪らなかったからである。しかし、マダム・ダルジュレは急いで話の先を続けていた。まるで早くしないと話が終わる前に彼女の力が先に尽きてしまうのではないか、と怖れているかのように。
 「そんなわけで、私はあなたと二人きりになったのよ、ウィルキー、所持金と言えばほんの百フランほど、このパリという巨大な街のただ中で……。
 最初にすべきことは私たち二人の隠れ場を見つけることでした。私はフォブール・サンマルタン通りに小さくてみすぼらしい部屋を見つけました。通気は悪く、殆ど日も差さないような部屋で、一カ月分十七フランを前金で支払わされたけれど、ついに得た避難場所でした!3.8
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