本日、実家に帰ってきました。
「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」は言いすぎですが、確かに山科から大津に抜けると、それまで雨だったのが雪(というか霙)に変わってびっくりしました。
やはり滋賀は寒い…。
さて、昨今楽しみにして読んでいるマンガの1つの最新刊が出ました。ということを忘れていたので、帰省前に急いで買いました。
「聖☆おにいさん」第6巻です。
内容は…「ブッダとイエスが有給休暇を取り、立川でルームシェアをして暮らす」というシュールな設定ながらのほほんとしたギャグ(?)マンガです。
仏典や聖書の知識がある程度要求されるマンガなのですが、これがまた本当に面白い。
こればっかりは本当に説明できないので(本編の中にもありますが、ギャグマンガの中身を口で説明するのってホントに辛い…)、興味のある方は是非読んでください。
今回は12月24日に発刊。イエスの誕生を祝うクリスマスイブとは粋です。
さて、6巻ともなると、ネタ的にも尽きてくるのかと思いきや、頑張りますねえ。
確かにマニアックなネタは増えてきますが、元々この作品は「ぎゃははは」系ではなく「クスッ」系なので(しかしところどころに「ぎゃははは」を含む)気にならないし、分からないネタに遭遇しても、ちょっと調べれば「ほほう、なるほど、そんなことが仏典(or聖書)に書かれているのかぁ」と勉強になります。
見開き左下で「その心は!?」的な展開があって、めくった見開き右ページでネタ、というパターンが多いので、めくる前にそのネタが分かると、ガッカリするどころか「なるほど!」と思えます。
個人的には「親知らず」ネタはツボでした。うん、ブッダは元々インド人だよね(笑)。
あと、「主に愛された弟子」初登場のヨハネとアナンダが親しくなっていくところ…「ドラゴンボール」は爆笑しました。
それから、「神曲」ネタが出てきたのには驚きでした。なるほど、これを出してくると一気に幅が広がりますなあ。
ブルータスの「ゲシュタルト崩壊」が笑えました。
2人がカラオケに行ったシーンも爆笑でした。般若心経にタンバリン…。イエスの「おふくろさん」…。
弁財天さん、美人だなあ。
それから、1巻から通して思うことですが、作者がいかに手塚治虫を敬愛しているかが分かります。
この作品、手塚「ブッダ」を読んでいないと分からないネタも多々ありますし(ディーバダッタ絡みのネタは大体そう)、この巻のブッダが「悟れアナンダ」のネタを探す場面、まんま「ブッダ」です(笑)。
そしてこの巻では、私が大好きな「崖の上の丘に住む某天才無免許医」もどきが出てきます。
そうかぁ、ブラックジャックのメスは「ロンギヌスの槍」か。これが一番「やられた!」でした。発想が素晴らしいです。
こういう作品を読めるのは、日本に生まれた喜びの一つですねえ。
(案外バチカンやダライ・ラマ級の人々は寛大な気持ちで楽しんでくださるかもしれませんが、信者の中には「冒涜だ」と怒る人もきっといるでしょうから)
心の大きな拠り所としての宗教を持つ人を羨ましく思ったりもしますが、こういう「ゆるさ」を楽しむことができるのはいいことですよね。
次巻がまた楽しみです。
甥っ子の影響?で読み始めたこのシリーズ。
最近はボリュームがやたら多いので、読むのを先延ばしにして、映画が公開になる前に慌てて読むということも増えていて、この度ようやく最終巻を読みました。
以下、感想です。大いにネタばれありなので、白色反転します。読まれる方はドラッグして下さい。
でも先にネタばれにならない、絶対に言っておきたい感想だけ。
…久しぶりに、本を読んで号泣しました。
ラスト(下巻の最後1/3)はページをめくるのを止められませんでした。
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何と言っていいのか分からないくらい、胸に響きました。
上下巻の2冊の中でありえないくらい、人も動物(というか人以外の生物)も次々あっさり死んでいくので、本当に切ないのですが。
前作でダンブルドアが死んだ時も信じられませんでしたが、マッド・アイがあんなにあっさり死んでしまったのは「ホントに??」とラストまで疑ってました。
ドビーやフレッド、ルーピン夫妻の死は本当に切なかったです。
しかし、やはり何と言ってもこの巻で圧倒的な存在を示していたのは、セブルス・スネイプ。
前作でダンブルドアを殺害したときも、いや絶対なんか裏事情があるはずだ、と思ってきましたが、下巻の最後の方まで悪者のまま。
おーーーーい!!これセブルスがホントに悪い奴のままなら、違う意味で泣けてくる、と思っていましたが。
…やっぱりな。
田村由美の「BASARA」に出てくる、「運天」を思い出しました。
というか予想以上にいろいろ抱えて、ダンブルドアに尽くし、ハリーを守り、報われない愛のために一生をかけた男でした。
彼の一生に号泣です。圧巻でした。
思えば、1巻からハリーを守ってくれていたのはセブルスだったもんなあ…。
ハリーが表の主人公とすれば、セブルスは裏の主人公でした。
ラストに、ハリーが自分の息子に「アルバス・セブルス」と名付け、セブルスのことを「自分が知る最も勇気のある人」と言ったのにまた号泣…。
最後まで読んで、彼のことをもうファーストネームでしか呼べなくなってしまいました。セブルスーーーーー!!
ヴォルデモートに殺されるために向かうときに、ハリーが両親とシリウスを蘇りの石で呼び出し、「一緒にいてくれる?」という部分でもまた号泣…。
ストーリーとしては、本当にうまくまとまっていて、全ての伏線を上手く回収しています。
終盤で、ヴォルデモートとハリーが戦っている時、どう決着がつくのか、と思っていましたが、なるほど、ちゃんと前作のダンブルドア殺害の伏線がこんなところで効いてくるとは。
…ということを後から思いだしたんですけどね。
何と言っても、前作「謎のプリンス」を読んだのは1年以上前。細かいストーリーなど忘れてしまっています。
アルバス・ダンブルドア。彼も色々と抱えていた「人」でした。けっして聖人君子ではなかった。
しかし「強い人」でした。自分の弱さをちゃんと自覚して、贖罪をし続けた人生でした。
惜しむらくは、Amazonでの書評(作品を読み終わった後に見ました)でも散々言われている通り、日本語訳がかなり変。
「…これは誰のこと?」とか「…えーと、これ何のこと?」とか、「…そもそも日本語としておかしいよ、それ」とかいう部分がかなりあり。
実は下巻ラスト1/3はそれまでの日本語のイライラと、ストーリー自体の良さから、日本語版を放り出し、原語(実はUK版持ってます…)で読みました。
とりあえずスピード重視のため日本語で読んでいましたが、ラストを英語で読み、「やっぱり全部英語で読めば良かった…」とそこだけ後悔。
原語ではおかしなところもなく、非常に綺麗な文章でした。
日本語は世界の言語の中でも有数の美しい言語だと私は個人的に思います。
もっと美しい日本語に訳せたはず。原作がいいだけに非常にもったいないと思います。
いやしかし、セブルス(しつこい・笑)。
実はハリーの父ジェームズって、ドラコ並みに嫌な奴だったように思えます(笑)。
マクゴナガル先生も超カッコ良かった。
ウィーズリー家のママ、モリーの戦いぶりも圧巻でした。母は強し。ベラトリックスをガチンコで倒すとは。
そしてネビル。1巻から登場してどんくさいことこの上なしでしたが、最も成長したのはこの人でしょう。
最後の戦いぶり、そしてエピローグでの「その後」。本当に良かったです。
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いや~しかし本当に良かった。読みごたえのある作品でした。
ちょっと分からなかった部分もあるので、もう一度原語で全部読みなおしてみようかと思います。
…そんな暇がいつできるのか…。
読み終わった後、放心したままテレビをつけると、「本日、TSUTAYAは旧作全品100円!」のCMが。
すぐ行きました。「不死鳥の騎士団」と「謎のプリンス」借りてきました。
「死の秘宝」Part1を見に行く前に、どっぷりと「ハリー・ポッター」の世界に浸っている今、映画を見たくなったので。
というわけで、今「不死鳥の騎士団」を見終わったところです。続けて「謎のプリンス」を見ますが…。
「彼」が出てくるシーンで、何でもないシーンなのにすでにボロボロ泣いている私です。
以前、友人から借りた「空飛ぶ馬」の続編にあたります。
これまた長いこと借りているので、そろそろ読んで返さねば…と。
以下、感想(ネタばれあり)です。
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3編の短編(というべきか中編というべきか)で構成されています。
「朧夜の底」、これは…まあ、なんというか、フツー、でした(笑)。
「なぜ本屋の本が逆さに置かれているのか」、“犯人”の思惑はあまりぞっとしないものですが。
この1編については、謎と解決よりも、正直、主人公の「私」について、ちょっとイラッとしました…。
何と言うか…まあいろんな女子大生がいるでしょうが、この「私」の「私ってインテリでしょ」という「無意識の上から目線」に、
「…こんな女子大生おらん。ていうかいたらウザい」
と思ってしまいました。
しかも親に「下宿してたら○○くらいかかるんだよ」と言ってタカるあたりがどうにもダメです。「正ちゃん」見習って、バイトしなさい。
「六月の花嫁」、これは非常によくできていました。
「チェスの駒のクイーンはどこへいったのか」から始まる謎は、割と最初の方ですんなり分かったのですが、
そのあとにさらに明らかにされる真実には「なるほど、参りました」と素直に思えました。やるな、円紫師匠。
読後も非常にさわやかな1編でした。
「夜の蝉」、これも“人間の悪意”について書かれた1編。
冷たい手で心臓を撫でていかれるような、どうしようもない気持ち悪さ、というものを感じます。女って怖い…。二股かける男はもっと最低ですが。
が、それだけに終わらず、なぜかほんわかした気分で終われるのは、いろんな葛藤を持ちつつも日常を大事に過ごしている主人公の姉のさっぱりとした性格と、
その姉との交流を大事にしようとする「私」との関係が望ましいものだと思えたからでしょう。
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「推理小説」としては、割と「ぬるい」感じの作品ですが、悪くないです。
ただ、延々と「日常」が描写されて、最後に円紫師匠が超能力者ばりに一瞬で種明かしをしてしまう、というのは、イラチな私としては時々イラっとしてしまう部分でもあります。
しかしまあ、とりあえず、もう1作品読んでみたいと思います。
神奈川出張中に夜の退屈さを紛らわせるために買った1冊。
ミステリとしてはかなり評価が高く、いつかは読もうと思っていた本です。
通勤時間などに読んだりで、細切れに読んだため3週間くらいかかりました…遅。
というわけで、感想。
ネタバレになると思うので、白字で書きます。読まれる場合はドラッグで反転して下さい。
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設定自体は悪くないです。
行方不明になった婚約者を探してほしいという依頼から始まり、休職中の刑事が動き始めるのですが。
最後まで破綻もなくよく出来ているストーリーだと思います。
が、しかし。
いかんせん有名になりすぎた作品のため、いろんな前情報が耳に入ってきてしまっているのですよね…。
ストーリーの肝の部分をすでに知ってしまっていたため、そういう意味では残念でした。
しかし、出版社にも罪はある。
本の帯の背表紙側に、「本文より」と抜粋が少し載っているのですが、ここにストーリーが簡単に推測できてしまう文章が載っているのです。
時々ありますけどね、このパターン。出版社は何を考えているんでしょうか。
やはりミステリは全ての情報をシャットアウトして純粋に楽しむのがよいですね…。
犯人の女が、「すり替わる女」の情報を得るために必要だった「通販のデータ」をどのように入手したのか。
ここがポイントですが、これも通販を利用したことがある人なら割とすぐ分かる(しかし盲点になりやすい)部分だと思います。
昔D○Cの化粧品を通販で買っていた私はすぐ分かったので、刑事の鈍さに「なんでわからへんねん!」とツッコミを入れていました。
ラストシーン、今までの全てがきちんとそこに繋がっている終わり方です。ラスト数十ページは止まらず読んでしまいました。
でも、いやそこで終わるのが一番綺麗だと思うのだけど、刑事と同じく、「彼女」の言葉が聞きたかったですね…。
宮部みゆきの描き出す人はリアルで、読ませる文章だと思います。
弁護士が長々と「多重債務と自己破産」について語る場面、“女”が多重債務者である父親の死亡記事を求めて新聞縮小版を図書館で繰るシーン、胸が痛くなりました…。
でもね。このタイプのミステリは私にはあまり合わないみたいです。
やっぱり私は「推理小説」が好きなんだなあ…と思った作品でした。「トリック」が必要なのです。
あと、もう15年くらい前の作品で、作品中の時間も昭和末期から平成初期なので、「4年前のことだ」とか言われても「…それは何年?」というのを考えないといけないのはちょっと大変でした(笑)。
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「クレジット」「ローン」「借金」、今の世の中割とフツーになって(CMも普通にしてますしね…)しまっていますが、よく考えないと本当に怖いことですね。
ようやく出ました、「ガラスの仮面」45巻。
オビに書かれた坂東玉三郎さんの言葉、「長年の夢、紅天女はいつ見られるのだろう…」。
全くもってその通りです。
そしてオビ裏の「マツコ・デラックスの月影先生」、怖面白すぎです。
さて内容ですが。
…ちっとも進まんのう。
紅天女の稽古が続いていますが、正直もう食傷気味です。
速水さんとマヤのすれ違いも小学生並みだし。
桜小路くん、一真の「死ねば恋が終わるとは思わぬ」というセリフを延々考え続けて、真意にようやく辿り着いた…ていうか、それ、そんなに考えないと分からんこと?初めてこのセリフ聞いた時(月影先生が梅の里で紅天女やった時に源三さんが言ったとき)から、そういう意味だと私は思ってたよ?
一番「おいおい」と思ったのは、亜弓さんとお母さん(歌子さん)の稽古。
亜弓さんが目が見えなくなっているので、焦点が合わなくなっているということに気がついた歌子さんが、音がした場所に耳を頼りに焦点を合わせる練習をさせるシーン。
その練習のために、鞄は投げるは灰皿は投げるはそのせいでドレッサーの鏡は割れるはやりたい放題です。
部屋片付けるのはばあやさんなはず。大変そうです…。
そしてこの巻のラストシーン。
…これ、ものすごく見覚えあるぞ。
私が「花とゆめ」本誌で連載を読んでいた頃に掲載されていた部分やん。
…実に20年前の話です。
いや、ホントに、頼むからもうそろそろちゃんと終わってください。
奇跡的に2カ月連続刊行だそうで。来月も新刊が出るとのこと。
紫織さんがどんな悪い女になってくれるかが楽しみです。
連休4日目。お天気がイマイチ…お洗濯したのに。
夕方から、友人Kちゃんと一緒にTOHO二条に映画を見に行きました。2本!
まず「インセプション」。
昔っから「KEN WATANABE」のファンなので…(笑)。
以下、感想です。若干ネタばれありなので、白字で書いています。
読まれる場合は、ドラッグしてください…。
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うーん…正直、あまり好きなジャンルの映画ではなかったです。
「夢の中」に入り、さらにその中で「夢の中」に入り…というのを繰り返した結果、第4層(夢の中の夢、の中の夢、の中の夢ということ)まで出てきて、
…ややこしいねん!!!
と思ってしまいました。
ところどころ矛盾もありました。
第1階層で車が落下するために発生する無重力状態は第2階層にそのまま影響するのに、なぜ第3階層には影響しない?
しわしわの「サイトー」は第4階層にいたってこと?それとも第5階層?虚無?
虚無の世界ってその人間の潜在意識「のみ」の世界で誰もいないんだよね…?あれ?
最大の疑問。第1階層で車の水没により「肉体は死んでいる」のに、精神は第4階層or虚無にいる場合、どうやって帰ってくるのか?
などという部分、分からないままです。
最後のコマ、結局倒れるのか倒れないのか分からない状態で終わりましたね…そうなると思ったけど。あれが夢ならかなり切ない。
映画としては、キューブリックの映画や「マトリックス」系統の匂いを強く感じました。好きな人は好きだと思います。
ま、そこそこ面白かったですが、ハリウッドももう最近ホントにネタ切れなんだなーと感じる作品でした。
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さて、その後軽く食事を取った後(キムチチゲ美味しかった!)、もう1本映画を見ました。
「告白」。
湊かなえ著の小説の映画化です。
この小説、実はかなり前から気にはなっていて、本屋でバラバラっと軽ーく立ち読みをしたりもしましたが、会社の同僚が先週貸してくれて読みました。
面白かったです。かなり救いのない話ではありますが。
なので、どんなふうに映像化されているのかちょっと興味が出たのでナイトショーで見たというわけです。
最近の日本映画はくだらな過ぎて最近はスクリーンではほぼ見ないのですが…。
以下感想です。ネタばれありなので白字です。
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なかなか良くできていました。小説を良く踏襲していましたし。
ところどころ、小説の中で話の筋の大事な部分が変更になっていたり削除されたりしていましたが。
松たか子の淡々とした演技が、かえって怖かったです。
画面の色が多分わざと少し抑えた色(くすんだ色)にしてあるのだと思います。
その分血の色がちょっとくすんだ赤→どす黒い色に見えて余計に怖かったです。
直樹のひきこもり状態、コンビニでの行動…映像化されると余計にぞっとしますね。あのコンビニ行きたくない…。
原作読んだときにも思いましたが、一つ疑問が。
結局、「爆弾」は本当に大学の研究室に仕掛けられてかつ爆発したのかどうか。
原作では多分実際に爆発したんだろうと私は解釈していますが、映画では微妙な感じでしたね…。
最後の「なーんてね」がうすら寒く感じました。
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TOHO二条では朝10時に昔の映画をやっているらしく、今週は「羊たちの沈黙」。
これをスクリーンで見られるのか…安いしまた行こうかな。
久しぶりにゆっくり映画館で映画を見られて楽しかったです。
先日、百人一首の話を書きましたが、めずらしく「競技かるた」をマンガにしているのがこれ。
実は連載開始当時から本誌の方で筋はざーーっと追いかけてはいたのですが、先日大人買いしてしまいました(笑)。
「このマンガがすごい!」のランキングにも2年連続少女マンガ部門トップ、マンガ大賞も受賞の、今かなり「ノッてる」マンガです。
競技かるたの世界って、昔学習漫画の最後の方にちょっと書いていましたが大変みたいですねえ…。
負けたら、グラウンドを負けた枚数だけランニングさせられた、とかクイーンの談話が書いてあったことを覚えています。
小学生で競技かるたに出会った3人が別れと再会を経験しつつ、成長して高校生になって競技かるたに青春を賭ける姿が描かれています。
個人的にお気に入りは奏ちゃんと机くん。いい味出してます。
そして何と言っても「クイーン」若宮詩暢。この強烈なキャラが最高です。
原田先生もいい!
第1巻冒頭から想像するに、主人公千早は数年以内にはクイーン戦に挑むのでしょうが、それまでの道のりが楽しみです。
蛇足ですが。
先日物色していた百人一首かるたを買いました。
そして、友人S君を無理やり誘い、DS「時雨殿」に札読みをさせて、かるたの「散らし取り」をやりました。
結果、S君:8枚、私:92枚…でした。
S君ごめんね、大人げなくて。
読書大好きなので、ちょこちょこいろんな本を読んでいるのですが、まったく感想あげてませんね…。
お友達から借りっぱなしになっていて気になっていた本を、ようやく読み終わりました。
内容としては、推理小説に分類されるのでしょうが、人も死なないし何も盗まれません。
日常の中で主人公の大学生「私」の身の回りで起こる少しだけ不思議な出来事を、ひょんなことで知り合った落語家「春桜亭円紫」とともに解き明かしていく、というストーリーです。
5話の短編がまとまっています。
うーん、何と言ったらいいのでしょう。ちょっと不思議な感覚の作品でした。
日常の中で「私」がちょっと困ったことや不思議な出来事を、円紫師匠が(大半は話だけを聞いて)見事に解決していくのです。
なんとなく少しだけシャーロック・ホームズの作品連の匂いを感じました。
(シャーロッキアンではないですが、ホームズの大ファンなので、この傾向は嫌いではないです)
ただ、「そりゃあちょっと推理が強引すぎないかい??」と突っ込みたくなるときがありました。
以下、若干ネタばれです。
「砂糖合戦」これは非常によくできていました。
「なぜあの3人の客は紅茶に何杯も何杯も砂糖を入れるのか」という問いに対して、推理に破綻もなく、素直になるほどやられたな、と思わせられました。
一方、「胡桃の中の鳥」、これは正直駄作だと思いました。
仮にも「推理小説」でありながら、ラスト数ページという段になってようやくコトが起こり、起こったとほぼ同時に推理まで終わってしまっているというのは、正直納得いきませんでした。
コトが起こるまで、延々と(話の本筋としては)「どうでもいい話」が続いていたわけですから…。
しかもその「推理」は「いや、その推理はかなり無理があるだろう」とツッコミを入れたくなってしまう。
「車の座席カバーがなくなった」これだけでその推理は無理がありました。
ちょうどカバーが欲しかった人がいなかった、とは言い切れないですし。
「赤頭巾」これも若干無理があるかなぁと思いました。ただし、伏線の張り方は見事でした。
ラストの「空飛ぶ馬」、この「時間のズレ」を利用したトリック、今までの色々な推理小説に使われてきた、いわば鉄板トリックですが、こういう「優しい」トリックもいいものだな、と思いました。
円紫さんがなかなかイカしたキャラで、個人的には好みです。
続編もあるようなので、機会があればまた読んでみたいと思います。
それから、生の落語が無性に聴きたくなりました。

しかしブームになり、映画になり、となるとちょっと興味が湧き、読んでみたのでした。
…ううむ、面白い。これはかなり興味深いぞ。というのが感想。まず絵画の使い方がうまい。ダ・ヴィンチの絵は私も大好きなのですが、そんな風に見たことがなかった。特に「岩窟の聖母」。「最後の晩餐」は昔からいろいろと謎が挙げられる絵ではあるけれども、ヨハネとおぼしき人物の謎。ちょっと納得、と思わせる一つの解答ではありました。
キリストは「人」か「神」か。マグダラのマリアは娼婦ではなかったのか。
単にパズル的謎解きに関しても非常によく練られた作品だと思いました。ラストに近付くにつれ、本当の「聖杯のありか」が推測できた瞬間、ぞくっとした感覚が走りました。
しかし、この作品読んで思ったのは、いつも西洋芸術に触れるときと同じこと。
「聖書とギリシア(ローマ)神話を知らなければ話にならん」。
ギリシア神話は子供の頃から星(星座)が大好きだった影響でかなり知っているのですが、聖書の知識は表面的なので、やはりきちんと読むことにしました。
世界最大のベストセラー。いつになったら読破できることか…。
今日、映画も見てきました。こ、これは小説読んでない人には酷だろう…。しかも要所要所がカットされてるので正直イマイチな感がぬぐえません。もうちょっとなんとかならなかったものか…。残念。