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路上の上。

愛車KLE400との旅路をメインに、日々雑多な出来事の独り言。

『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 7 二日目 ライダーズイン室戸まで。

2016-02-29 13:40:16 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

2007年4月7日土曜日 曇り。

 小雨と雨雲の中にあった焼山寺から平地に戻ると、薄っすらとした曇り空で気温も高かった。
第十三番礼所「大日寺」からは、再び徳島市内に戻り短い距離間隔で
第十四番「常楽寺」、第十五番「国分寺」、第十六番「観音寺」、第十七番礼所「井戸寺」と続く。
バイク遍路だと、この短距離移動は結構面倒だった。

 バイク遍路全般に言えることでもあるが特に排気量が大きかったり、
荷物の積載量が多すぎると乗り降りだけでも気を使う。
駐車場が砂地や砂利敷きの場所も少なくなかったので、
私の相棒であるKLEは立ちが強く腰高で荷物満載時は特に勝手が悪く不向きと言えるだろう。
KLEで良かったと思えたのは、中間排気量のデュアルパーパス車が生み出す機動性走破性の高さだろうか。
現在流行中の大型アルプスローダーではその車格を持て余すだろうし、
パンチのない小型排気量だと「荷物多いと、この坂上れないだろう」という場所も少なからずあるし、
移動距離を稼ぎたい時にもやはり物足りなかったに違いない。
KLEユーザーだから相棒の肩を持つのは当然だけど、まぁ、スーパーカブ110とかセローとかの方が断然バイク遍路向きの車両だ。

 朝方の天気が嘘のように温かく、曇りながらも明るく感じる春の陽気となった。
第十七番礼所「井戸寺」を打ち終わると、徳島市街地を抜け国道55号を南下し第十八番礼所「恩山寺」へ向う。
お遍路二日目の前半は、藤井寺と焼山寺以外の印象が薄く、只々お遍路の作法とお経を読むことを覚えるのに必死だった。
周りの先達の方々を見よう見真似でとにかく集中していた。
しかも、先走る気持ちが逸り次へ次へという思いになってじっくりお寺を観察する余裕などなかった。
時間的にも心境的にも余裕がなく、機動力があるがゆえのバイク遍路の弊害が今回のお遍路を通してあった様に思う。
今から思えば非常に勿体無いことだが、当時の私にはそういう余裕は一切なかった。

 第十八番礼所「恩山寺」、第十九番「立江寺」を打ち終わると、再び県道で山道を登ることになる。
道中の山岳路で自転車遍路や、リヤカー遍路を見たが、あれはあれで大変そうだった。
第二十番礼所「鶴林寺」を経て第二十一番礼所「太龍寺」へ至る。
太龍寺には近くの道の駅「鷲の里」よりロープウェイがあるが利用せず。
道の駅とロープウェイからの印象からなのか、観光地然としていたように記憶する。

 太龍寺を打ち終えると、国道195号を東に向かい県道264号を経て第二十二番礼所「平等時」へ。
開けた石段の上に本堂があり、見上げると今朝の雨が嘘のように青い空が広がっていた。
 午後4時を少し過ぎた頃に後にし、国道55号を南下する。
第二十三番礼所「薬王寺」へ辿り着いたのは午後5時少し前で、本日のラストとなった。
多くの納経所受け付け時刻が午後5時までなので、自然とこの時間帯の礼拝者は少ない。
境内からは夕刻の日和佐の街並と港湾を望み、「さて、今日はどこで寝ようか」という不安が頭を過ぎる。
ここ「薬王寺」で徳島県最後の礼所となりこれから高知県へ向うことになるが、
第二十四番礼所「最御崎寺」は遥か南の室戸岬まで行かねばならない。
距離にして約80km程であり、歩き遍路だと2~3日ほど、バイクなら2時間弱というところだろうか。
午後5時、今から走れば午後7時過ぎには辿り着けると考えマップルを見る。
室戸岬には国民宿舎が管理するキャンプ場あったが、この当時国民宿舎の整理が進められていて閉鎖されていた。
他に心当たりがあるのは昔一度利用したことのある「ライダーズイン室戸」だった。
 
 このライダーズインという施設は、高知県内の各自治体が設置している簡易宿泊施設で、当時県内5箇所が営業していた。
ライダーズインという名の通り、ライダー利用を考慮した作りとなっていて個別の屋根付き駐輪場を備えている。
寝具などの有料貸し出しもあるが、寝袋持参が基本となる。
電話をすると年配の男性が受話器の向こうに立っていた。
今日は利用者1名だけで部屋は幾らでも空いているけど、管理人のその男性が午後7時までしかいないのでそれまでに来れるか?と聞く。
7時は過ぎそうだけど7時半までにはなんとかと言うと、じゃぁお宅が来るまで待っているとの事だった。
宿が決まったので、一気に国道55号を南進する。
左手に闇に沈みかけた太平洋を望み、午後7時というのが頭にあるせいか気持ちも逸りアクセル開度が大きくなる。
途中、歩き遍路を5人ほど見かけ、更に砂浜のあるちょっとした公園らしきスペースにムーンライト型の小型テントが3つほど建っており、
その住人達が白衣を羽織っていることから彼らがお遍路さんであることが窺えた。
歩き遍路だと、この海岸線をじっくり自己を見つめながら堪能して歩を進めることが出来るだろう。
バイクだと、走ることに集中している間に1~2時間などあっという間に過ぎ去ってしまう。

 目的の「ライダーズイン室戸」へ到着したのは午後7時を少し過ぎたくらいだろうか。
管理棟に入ると、20代前半、大学生風のハンサムな青年と60代後半以降と思しき男性とがテーブル席に腰を掛けて話していた。
私が現れたことで彼らの会話は中断し、年配の男性が「電話した方?」と聞く。
先ほど電話口で対応して戴いたのはこの男性だった。
電話での印象より、ずっと若い。
若いライダーとも目が合い、軽く会釈してくれたので私も丸坊主にしたばかりの頭を下げた。
受付で料金3,150円を支払い、鍵を貰い、この施設の利用上のルールという口上を一通り聞く。
午後7時半までここは開けているが、その後は施錠するからという。
朝も管理人が来るまで時間があるようで、誰も居ない時は鍵は閉めた上で所定の場所に鍵を入れてチェックアウトしてくれとの事だった。
管理棟を閉めるという時間まで少し間があったので利用者が寄せ書きをしているノートとか観察していると、
先ほどの若いライダーと管理人さんが再び会話を始めた。
盗み聞きするような悪趣味は持ち合わせていないが、自然と聞こえてくるのでなんとなしに聞きながら館内を散策する。
一人旅で他人と話すことに慣れている感じの好青年は、聞き上手でもあった。
管理人さんも話し上手とは言わないが、地元の訛りが混じりながら自身の半生を青年に話していた。
長い間遠洋漁業の漁師さんで海外まで漁に出ていたとか、最近歳をとって陸に上がりここの管理人をしているという。
ポツリポツリと土佐の方言交じりで語る管理人に、良いタイミングで合いの手や頷き、驚嘆の声をあげる青年。
会話という会話を暫くしていない私も、少し話しに参加したい欲に駆られたが止すことにして自室に向った。
部屋の前に屋根付きの駐輪場がありそこへKLEを停め荷物を下ろす。
中は薄暗く、簡素なシャワー室で汗を流しコッヘルを出して棒ラーメンを作って夕食とした。
部屋にはTVはなく、持参のラジオで野球中継を探しているうちに眠気が襲ってきた。
銀マットの上に広げた寝袋の中に身を滑り込ませて目を閉じれば、そのまま闇の中に落ちていった。

・本日の走行距離 350km
・本日の旅費 ¥6,878-

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『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 6 二日目 第十二番礼所焼山寺まで。

2014-12-16 21:30:13 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

2007年4月7日土曜日 曇り時々雨。

 目が覚めると午前5時を少し過ぎた頃だった。
携帯電話で天気予報を確認すると午前中は雨模様。
早速朝食の準備をする。

 今回のバイク遍路の旅は、兎に角節約するのも課題の一つだったので食事は出来る限り自炊した。
自宅の台所にあった袋ラーメンや缶詰も少し拝借し、
米は一合毎に袋分けしてデッドスペースの隅にあっちこっち詰め込んで一升持参してきていた。
出発時は相当な荷物の重さだったが、毎日消費しても補充はしないのでどんどん荷物は軽くなった。
食事は朝と夜の二食が基本であり、日中はひたすら走り、巡礼の旅を続けた。
 
 四国八十八ヶ所を遍路で巡る時、納経所が開いている時間にお勤めするのが基本だろうと思う。
これは納経帳に記帳していただくか否かは別としてだ。
納経所は場所によって異なるが、概ね7時~17時までが記帳受付時間となっている。
朝は7時からスタートし、夕方4時過ぎまでをその日の終わりとして、その後は宿泊先探しに使うようにした。
この辺は無計画で、バイクで一日どの位巡れるのか分らなかったから出発前に深く考えなかった。
ただ前準備として、ツーリングマップルに使えそうなキャンプ場とか安い宿泊所などを調べて書き込み、そのページに付箋紙を貼っておく位の事はした。
 
 午前6時半前には片付けも終わりキャンプ場を後にする。
綺麗なキャンプ場を無料で利用させた戴いたことに感謝である。
昨日来た国道318号を南下し、吉野川を渡って国道192号を経由、山手の方へ少し走ると第十一礼所藤井寺に到着した。
時刻は7時を少し回ったくらいだったが、既に多くの白装束の集団がお勤めをしていた。
今にも雨が振り出しそうな生憎の空模様であったが、お遍路シーズンの春であり、週末とあって巡礼者はどのお寺も多かった。
特に、徳島の礼所は人が多いと感じた。
それは四国八十八ヶ所の発心の地であるからだろうと思われ、これから先は徳島ほどのお遍路さんは見かけなくなる。
特に、自転車・バイク・自動車は所謂遍路道を走ることが出来ず国道や県道といった舗装路がメインとなるので、
遍路道を往く歩き遍路さんを移動中に見かける機会は少ない。
特に、これから向う第十二番礼所焼山寺、
第十三番礼所大日寺へと続く旧来の遍路道は「遍路ころがし」と呼ばれる歩き遍路にとって最初の難関と言われる山岳コースだ。
これまで平坦な遍路道が続いていたが、急に険しくなる為、ここで振るい落とされるお遍路も多い。
二輪車はもちろん自動車も通ることが出来ない遍路道なので、
バイク遍路の私は県道43号をぐるりと回って第十二番礼所焼山寺へアプローチする。
藤井寺で既に小雨が降っていたが、焼山寺に向け標高を上げてゆくにつれ雨足は強まった。
車だと対向車との離合も面倒だろうが、そこはバイクの利で幅員の狭く厳しい山道でも難無くKLEを駆ることが出来た。

 午前8時半過ぎだったと記憶するが、ようやく焼山寺の山門まで辿り着いた。
徒歩で濡れた坂道と階段上る。
大きな杉の木が雨で煙って神秘さを演出する。
近くまで観光バスが多くの遍路客を乗せてきていて、ここらでかなりの人数のお遍路さんの群れと出会う。
こんな山奥の寺院に沢山白衣を着込んだお遍路さんで賑わっているのだから凄い。
さて、お勤めを終え来た道を戻っていると、多くのお遍路さんの雑踏の中でビラを配っている人が居た。
一枚貰うと、内容は探し人のビラだった。
失踪したのは女性で、若く美しい女性の写真が載っていて、遍路に行って来るといって今だ帰ってこないと訴えていた。
その後、この彼女と家族がどうなったのかは知らないし、分かり様もない。
ただ、長旅を始めた者の身として、このまま蒸発してしまっても良いかな?という気持ちは分からなくはない。
人生をリセットしたいという気持ちが、少しもない人は居ないだろう。
だからこそ、こういう旅に出たと言っても過言じゃない。
事件や事故に巻き込まれての所在不明じゃなければ、選択肢は少ない。
さりとて、リセットの仕方は、十人十色である。

 午前9時過ぎ、肌寒い焼山寺の坂道を下り、次の目的地第十三番礼所大日寺へと向った。

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『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 5 一日目 一番~十番礼所、とらまる公園キャンプ場まで。

2014-04-14 15:52:06 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

2007年4月6日金曜日 快晴。

 12時過ぎには一番礼所霊山寺を出た。
二番礼所極楽寺、三番礼所金泉寺と1km、3km程度の距離しか離れていない。
歩きならば丁度良いウォーミングアップの区間がこのよう3~5km程度の距離間隔で十番礼所切幡寺まで続く。バイク遍路だと、このちょこちょこ走っては駐車して、ヘルメットやグローブの装備品を外し遍路スタイルになってっていうのは結構煩わしい。KLE位の車格でキャンプ道具満載だと頻繁な乗降の繰り返しは、駐車する場所にも気を使って大変であった。お遍路終盤、50ccのホンダカブでバイク遍路をしている青年にであったが、原2クラスが一番バイク遍路に適したオートバイであるように思える。
 短い区間を道路標識を見ながら二番礼所極楽寺へ向う。案内の道路標識が分りやすく設置されているので地図を見なくても辿り着けるくらいである。境内の杉の巨木が印象に残っている。無心にお勤めをして次の礼所へ。憧れでもあった四国八十八ヶ所遍路の旅の初日でるが、巡礼を開始すると次へ次へという気持ちが強くなっていた。慣れない般若心経を唱えお勤めをし、お寺の見学もそこそこに次の礼所へ急ぐ。兎に角、一生懸命に無心でお勤めをし、次の礼所へ。今にして思うと、何となく気も急いていた。実に勿体無いことであるが、当時の私にはあらゆる面で余裕などなかった。県道12号から県道139号沿線を西へ向け十番礼所切幡寺まで続く。先ほど遍路用品を一式揃えた六番礼所安楽寺に再び訪れ、第七番礼所十楽寺へ。白壁と赤い柱の土門から境内に入ると、花まつりのお接待をしている風でテントを建ててお遍路をもてなしていた。若いお兄さんから声を掛けられ、一杯お茶を戴いたのを記憶している。第八番熊谷寺、第九番法輪寺、そして第十番礼所切幡寺に到着したのは午後4時前であった。長い石段を登り、お勤めを終える。4時30分を過ぎた頃であった。今日はこれまでとし、今夜の宿泊先をツーリングマップルを見ながら考えた。事前にキャンプ場や宿泊施設の情報を調べマップルに記入しているが、どこにどうとは決めていなかった。また、四国はどこでも野営できそうな雰囲気なので、いざとなればどうにでもなるようになるさと思っていた。また、バイク遍路であることの利点である機動力を使えば多少離れた土地に移動してしまうという手もある。取り合えず国道318号を北上し、下調べしていてここから近い宮川内ダムへ向った。道の駅どなりの前にある公園内に無料でキャンプ可らしいとのことだったが、現地を見るとなんとなく嫌だったので更に北上する。なんだかんだで20km以上移動して今夜の宿泊地と決めたのは東かがわ市のとらまる公園内にあるキャンプ場である。こちらも無料で利用できると聞いていたが、施設受付で聞くとその通りであった。公園内は各種スポーツ施設が整備された広大な公園であり、ウォーキングコース内らしき一角に、こじんまりとした綺麗な芝のサイトと木造の野外学習棟が一棟建っていた。利用者は私一人で貸切だったが、広くないサイトなのでむしろ一人で良かった。午後5時半は過ぎていて、受付後速やかにテント設営をして食事の用意をした。
070406_1921
◆この日の夕食。マルタイ棒ラーメンは偉大である。

携帯性に優れた棒状ラーメンは偉大である。お遍路一日目という事で、少し興奮気味であまり寝付けなかったが、お酒を飲むと緩やかに眠りに付くことができた。

本日の走行距離   230km
本日の旅費    ¥10,687-

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『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 4 

2014-03-01 22:22:23 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

2007年4月6日金曜日 快晴。

 一番礼所である霊山寺の駐車場にKLEを駐車したのが午前11時半頃だった。
ツアーバスが数台停まっており、観光名所に来たように多くの人で賑わっていた。ただ、普通の観光名所と一番に異なるのが、その人々の多くが白衣姿であるということである。そして、お寺の門を潜ると異世界が待っていた。自分も初めての白衣姿にどこか気恥ずかし気持ちもあったのだが一瞬でなくなってしまう。当然である。殆どの人がその姿なのだから気に止める者など誰もいないのだ。人の流れについて行き、なんとか辿り着いた大師堂で見よう見まねで頭陀袋から取り出した小さなロウソクに火を点し、その火で線香に火をつける。この時の線香の数は三本である。納札、お賽銭を入れてから般若心経を唱えた。経本を買ってまだ1時間も経っていないが、般若心経を唱えることそのものが初めてである。どのように唱えてよいものか分らないが、読み仮名を見ながら、周りの礼拝者の見様見真似でゴニョゴニョと唱えた。初めてのことで、なんとなく気恥ずかしい感じがした。しかし、恥かしいことなど何もない。誰も私なの見ていない。皆、己自身の礼拝で精一杯なのだ。他人のことなど構ってはいられないのである。本堂に続き大師堂にて同じ手順で礼拝をする。
いよいよ、四国八十八ヶ所お遍路の開始である。

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『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 3 遍路用品を揃える。

2013-06-15 12:59:57 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

2007年4月6日金曜日 快晴。

 旅に出た、という非日常に心なしか昂ぶっていた。
鉄道の寝台車には何度も乗ったが、フェリーの寝台はまた違った味わいだった。
定期的なガタンゴトンと、モーターが唸る音が眠りへ誘うのとは違って、
低く重いエンジン音と緩やかな前後左右の揺れとで勝手が違うのだ。
なかなか熟睡できず、何度か夜中に目が覚めた。
船中泊は何度も経験があり、漁船の船底での雑魚寝からフェリーでの雑魚寝まで様々だったが、今回は時間的に短い航海とあって寝たかと思ったらもう到着というスケジュールで気も立っていたのも影響したのかもしれない。
松山港へは5時に到着するが、急がない人は朝7時まで下船せずそのまま寝ていて良いらしいが、下船後一路徳島まで走らなくてはならない。
道が空いている早朝の時間帯に距離を稼ぎたかった。

 船室の窓から見える海の色は鼠色で、空は白み始めていた。
4時を少し過ぎたあたりに布団から出て洗面を済ませ身支度を調える。
フェリーが着岸する頃にはスタンバイOKだった。
船員の案内に従い、駐車デッキに降り拘束が解かれたKLEに跨ってヘリーから港に下りてゆく。
フェリーに乗った時、ここが一番好きな場面の一つだ。
新たな旅の始まりを鮮烈に感じることができる。
既に明るくなった松山港へ滑るようにフェリーから出発したKLEの鼓動は軽やかだった。
パラレルツインの軽快で心地よいリズムのエンジン音が逸る気持ちを落ち着かせる。
早朝のヒヤリとした空気を感じながら国道11号を東へ向けて走る。
道は空いていてハイペースで進むことが出来たが、空腹を覚えても停まることができないくらい走り続けさせてくれた。
3時間近くノンストップで走り、ようやく路肩の駐車スペースに停め携帯していたカロリーメイトを2本お茶で流し込んだ。
国道11号から国道192号へ入り池田辺りであった。この国道192号を東へ進むと徳島市内へ入る。時間的には多く見積もって3時間掛からないくらいか。
この辺りで遍路用品の調達のことを考え始めていた。
ネット通販などの利用も一時は考えたが、現地入りするまでは使わないし荷物になるだけである。
調べると一番礼所である霊山寺やその前のお店などで一式揃えることができるようだった。
但し、ちょっと高めだとの評判が目に付き、懐に不安のある身としては現地調達といっても、出来る限り出費は抑えたかった。
そこで出発前に様々な人々のブログや情報を読み漁って、六番礼所安楽寺の用品店で遍路用品を揃えることにした。品揃えはそこそこで値段も適正だというのを信じることにしたのだ。
霊山寺へ向かう途中に近くを通るので寄ってみて、気に入った品が無ければ霊山寺で揃えれば良い。
吉野川沿いを走る田舎道を淡々と走った。
午前10時頃、六番礼所安楽寺へ到着し、遍路用品やお土産が揃っている店内へ入った。
遍路用品は色々あったが、初めてあるのでどれがどう適正価格なのかということすら分らない。これではどこで買い揃えても大差はないように思えた。
店内には中年男性が一人店番をしていた。
客は私一人で特に忙しいという様子ではなく、ライディングジャケットに丸坊主の男が迷い込んできたのを興味深げに目で追って「いらっしゃいませ」と一言口にした。
私は忙しそうにもないその店番をしている男性にバイク遍路をするために来た、用品を一式ここで揃えたいと伝えると、バイク遍路なら菅笠と金剛杖は邪魔になるだろうからいらないよとアドバイスしてくれた。白衣も袖無しの方がバイクには良いだろうとも。こうして、袖無しの白衣、頭陀袋、輪袈裟、数珠、経本、納札、ロウソク、線香、ライターを買った。これだけで9000円。お数珠が一番高かった。

Photo_2
◆ライディングジャケットの上に袖なしの白衣と輪袈裟と頭陀袋。
これから帰宅するまでこの姿でバイク遍路の旅をすることになる。


初めは少しでも安くと思っていたが、正直どこで買っても同じような品なら、相場は似たような価格になっている。お店の男性に礼を言って霊山寺へ向かったが、そこでは品揃えは豊富でその選択肢は増えるのだが、基本的に必要なものは同じなのでそこまでシビアになる必要もなかった。こういう事に思案を巡らせることが時間の無駄だと気付き、反省した。
こうして一番礼所霊山寺に辿り着いたのは午前11時半頃であった。 

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『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 2 松山に向けて

2013-06-01 14:56:24 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

2007年4月5日 晴天。

 穏やかな春の日差しに、九州北部地方の桜は満開のピークを迎えていた。
この日の夜、小倉から松山へ向かうフェリーで四国入りする。
昼前にはバイクへの荷物の積み込みは既に終わっていた。
初めてのお遍路とあって、いろいろ下調べをネットで行った。
一番熱心に調べたのはキャンプ場で、各地のキャンプ場を調べてツーリングマップルに書き込んでいく作業である。
ツーリングマップルの末巻にはキャンプ場情報など盛り沢山ではあるが、必ずしも正確、適正で、自分の利用したい情報とマッチしている訳ではないからだ。
 
 納経帳のことも、「スタンプラリーと違うんだからさ」と第三者から批判的に言われてしまったことで、なんとなく後ろ向きになってしまった。
勿論、そういうものではないのは理解していたが、ここに至るまでいろいろあってナーバスになっており、些細なことでも気にしてしまうところがあった。
悩んだ末、私は納経帳に御朱印を頂戴することを辞めた。
純粋に、淡々と、お遍路をしよう、般若心経を読経しよう。
そう決めてしまった。
写経による納経に限らず、読経による納経でも可であるとされている。
時間的な余裕もないので、今回は読経のみで行くことにした。
 そういった心的、環境的な事柄が私に作用した結果、この旅の記録は、道中、妻への現状報告に携帯電話の写メールにて送った小さなフォトデータしか残っていない。
旅行、観光というような心的余裕が一切なかったからだ。
あと、レシートや領収証と地図に書き残した走行記録のみとなっていて、これから書こうと思っている私のお遍路の記録は、これらを元に今思い出せる範疇のものとなる。
そのことで幾何か不正確な面もあるだろうがご容赦いただきたい。

 今まで勤めてきた仕事は、土日が稼ぎ時だった。
朝は遅く、夜が遅かった。
朝起きれば、子供や妻は既に家に居ず、夜帰れば皆眠っていた。
小泉景気の余韻もあって、第一次安倍政権下にあっても、景気は拡大していた、とされる時期であった。
それなりに稼がせてもらったが、陰りはそこまで来ていた時期でもある。

 夕方6時になって、妻と子ども達に見送られ荷物満載のバイクに乗り出発し、小倉のフェリー乗り場へ向かった。
関西汽船(2007年当時)小倉発⇒松山着のフェリーは21:55発。
手元に残っている乗船証を見ると、割引がされて6,020円となっている。
この数年でフェリー運賃は相当な値上げがされており、今では考えられない運賃だ。
因みに、現在の同航路を調べてみると「フェリーさんふらわあ」が運航していたが撤退し、
2013年4月1日より、松山・小倉フェリー株式会社が航路を継承して運航しているようだ。
高速道路1000円や燃料費高騰の逆風により、日本国内のフェリー事情はかなり様変わりしてしまったと聞く。
旅の選択肢が減って行くのは、ツーリストとして残念である。

2
◆小倉・松山の航路を結ぶフェリーにて四国入りする。

21:55小倉発⇒翌朝5:00松山着、7時間弱の船旅だ。
バイクは私のみで、殆どの利用者が大型トラックである。
19:30頃にはフェリー乗り場に到着し、乗船時間まで待った。
乗船は21時前だったろうか。
今回は少しだけ奮発して2等寝台を予約していた。
所謂二段ベット状になったカーテンで仕切るアレである。
貴重品を預け、風呂に入り、夕食に売店でおでんの厚揚げ一つと発泡酒を買った。

070405_2118

地図で、松山から第一番礼所である霊山寺までのルートを確認する。
松山から徳島まで、おおよそ四国瀬戸内海側を横断することになるが、高速を使わず下道を行く。
地図を見ながら、いよいよお遍路を始めたのだ、という実感がやっと湧いてきて発泡酒500ml一本では酔いを感じることが出来なかった。
けれども明日、早朝より走ることを考えるとこれ以上の飲酒はできない。
期待と不安を胸に、寝台の布団へ潜り込んだ。

本日の走行距離 48.5km
本日の費用 7,127円

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『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 1 出立に向けて

2013-05-19 17:12:38 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

 お遍路さん。

 この名を知らない人は少ないと思うが、実際にお遍路さんになった人はどのくらいいるのだろう。
宗教に大らかな私達日本人。
クリスマスを祝い、除夜の鐘を撞いたその足で神社に初詣。
そんな調子だから、お遍路さんもスタンプラリー感覚の旅行の類に捉えている人もいるのではないだろうか。
実際、私は「お遍路をスタンプラリーか何かと勘違いしてないか?」と、批判的に言われたことがある。
しかし、実際に通し打ちをされた方なら分ると思うが、そのような思いでは結願まで達するのは難しいし、
仮にそのような気持ちで巡っていたとしても般若心経を唱え続けて旅を続けて往く中で思いは変ってゆくだろう。

 お遍路のスタイルも、現代では歩きに拘る必要はない。
団体バスツアーであろうが、自家用車であろうが、バイクや自転車であろうが構わない。
自分のスタイルで、自分のペースで思うように遍路道を往けば良い。
観光だろうが、信仰心からであろうが、同行二人、お大師さまと一緒なのは代わりはないからだ。

 好むと好まざるとに係わらず取れてしまった纏まった時間。
若い独身の頃であれば喜んで日本一周にでも走り出しただろうが、そうも行かなかった。
再就職先も決まっておらず、情けない事に何をすれば良いかまったく頭に浮かばなかった。
ただ、漠然と何とかなる、大丈夫だ、と、根拠も無く自分に言い聞かせるしか術がなかった。
幸い、最後の最後で、有給を全て消化して良いとのことだったので、その期間だけ自分の思うように使おうと考えたのだ。
そして浮かんだのが四国八十八箇所を巡礼しよう、お遍路をしようと。
父と弟を亡くし、それまでの仕事で生物を扱っていたので、その供養の意味と、何よりもそれまでの過去と決別し、頭の中をリセットしたかったからである。

 半月ほどの時間を、どのように使うか。
近所の書店で買い求めた書籍には行程1400kmだと書かれ、歩き遍路の費用目安を次のように書していた。
徳島発で49泊50日88ヶ所巡り、45万円程度。内訳、宿代39万2000円(1泊2食付8000円)、昼食費など5万円也。
【出典:2007年1月 昭文社 四国八十八ヶ所めぐり お大師さまと行く遍路18コース ISBN4-398-13331-3 16ページ】
このいい加減な試算でもこのくらいの費用と日数を必要とする。
この他に、お遍路さんのあの白装束一式や用品を揃え、歩き遍路ならば良い靴を選び、納経(ご本尊の墨書と朱印を戴く)するのに納経帳で一礼所毎300円×88ヶ所=26400円必要になる。
観光として捉えると、時間も経費も掛かる贅沢な旅といえる。
しかし、私にはそんな余裕はなかったし、何よりもオートバイを愛している。
バイク遍路の旅を選択するのは必然で、他の選択肢はその時考えられなかった。

 出立を前にKLEのエンジンオイルとエレメントの交換をし、チェーンとタイヤをチェックした。
お遍路に使う白装束と用品一式はネット通販もいろいろ考えたが、現地調達が一番の方法で、現地入りするまでの荷物にもならない。価格や品揃えの心配をしていたが、実際現地で購入するにあたり心配するほどの差は無かった。歩き遍路ならば、靴のサイズなどの心配はあろうが、白衣に輪袈裟、菅笠、金剛杖、数珠に経本、頭陀袋、納札、ロウソク、線香、マッチかライター、納経するなら納経帳。基本的にたったこれだけである。現地で手に取り、好きなものを適当に選んだ方が手っ取り早い。
 次に、バイク用の地図と言えば昭文社のツーリングマップルである。最新版の中国・四国ツーリングマップルと、同じ出版社のお遍路ガイド本を選んだ。この本を選んだ理由なんて何もない。ただ書店にあった適当な書籍がこれしかなかったからだ。1200円+TAXの割には薄く小さく情報もなんとなく他の書籍の流用っぽくチープな作りであったが、その薄さがタンクバックにツーリングマップルと一緒に携行するのには思いの外良かった。
 また、今回は出来る限りテント泊で行こうと決め、パッキングはキャンプツーリング用のものにし、+αでドイターのバックパック、トランスアルパイン25を背負うことにした。タンクバック10リットル、リアバック45リットル、バックパック25リットル、計80リットル。
二週間ほどのキャンプツーリングならばこんなものだろう。
 次に床屋に行って坊主にした。
行きつけの床屋の若大将は「え、本当に坊主にするんですか?」と、なかなか確り刈り込んでくれなかった。職場は長髪でもOKで、私も10代後半からずっと90年代の江口洋介のような長髪がトレードマークだった。故に若大将も何事かとなかなかハサミを使い難そうに何度も確認したのだろう。結局、希望する程の短さではないが、5mm程度の丸刈りにはしてくれた。
 

 九州から四国へ渡るにはいくつかルートがあるが、今回は小倉⇔松山間を結ぶ関西汽船(2007年当時)に予約の電話をし、いよいよ出立の準備は整った。

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『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 序

2013-05-15 21:05:05 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

いざなぎ景気超え、そう言われた時期がほんの数年前にあった。
俗にいざなみ景気と呼ばれ、2002年2月から2008年2月の73か月の長期にわたり景気拡大が続いたとされる。
多くの庶民は、そんな景気の良さを体感できぬままサブプライム問題、
そしてリーマンショックにてどん底に突き落とされることになる。
さりとて、その時代の寵児と言っても過言ではない堀江氏の登場に代表されるヒルズ族の誕生や、株取引や為替取引で億単位を稼ぐ青年などが現れたりもした。
企業の決算は、経済紙のトップを史上最高益更新という見出しで躍らせるほどだった。
奇しくも、昨今はアベノミクスで日経平均の指数だけは当時のものに戻りつつあるが、
数字のマジックによる景気回復であるようで当然今回も実感がない。

時は戻る。

2007年4月、私は旅に出ることになった。
旅はこれまでも散々してきたが、今回は少し意味合いが違った。
長年勤めてきた会社を、「一身上の都合により退社」することになり、
思いもかけずまとまった時間が取れてしまったからだ。

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