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天網恢々プロジェクト・レビュー

クラシック音楽、ミステリ、時代小説、ノンフィクション・・・・好みのコンテンツ・レビュー

建長寺(北鎌倉)

2006年12月03日 17時10分10秒 | 箱根・湘南で遊ぼう

建長寺は1253年に北條時頼が中国から蘭渓道隆を招いて創建した日本最初の禅寺で、「鎌倉五山」の第一位とされる臨済宗建長寺派大本山です。厳しい禅の修業は現在でも行われており、一般の人のための宿泊坐禅会なども催されているようです。「けんちん汁」とはここ建長寺の修行僧の精進料理が元祖だって。
境内図のとおり、総門・三門・仏殿・法堂など主要な建物が一直線にならぶ中国風のいわゆる禅宗様伽藍配置になっており、広さは6万㎡に及びます。
写真は高さ約30メートルの三門。重要文化財です。2003年にサザンオールスターズがライヴを行ったときにステージとして使われました。
建長寺の敷地内(?)には鎌倉学園(中高男子校)があります。桑田佳祐、堺正章はここの出身です。ちょうど午後3時頃に生徒たちが北鎌倉駅方向にぞろぞろ歩いていくのに遭遇しました。
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明月院(北鎌倉)

2006年12月02日 17時04分33秒 | 箱根・湘南で遊ぼう

明月院の由来はややこしいので省略。おもな関係者のみ記すと、北條時頼、北條時宗、蘭渓道隆、上杉憲方・・・・。
鎌倉街道から東に分かれた小道を進むとこぢんまりとした総門があります。ここは通行止でくぐれず、左に曲がって拝観口から入ります。すると左手の奥に北條時頼公墓所が、右手には鎌倉石の狭い参道が山門まで伸びています。
この数十mの参道は6月になると美しいアジサイに囲まれます。このお寺は別名「アジサイ寺」と呼ばれるほど全域に咲き乱れ、それに合わせて観光客も大挙して列をなすのだそうです。この日はわりと閑散としていて落ち着いて散策することができました。
落ち着くといえば山門を出てすぐ左手に枯山水庭園があります。本堂でお茶をいただきながら眺める景色は格別。とにかく周囲にはいろんな花が植えられており、華やかで柔らかくなんとなく女性的な感じのする、まるで京都のお寺のようです。
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円覚寺(北鎌倉)

2006年11月30日 22時11分48秒 | 箱根・湘南で遊ぼう

北条時宗が蒙古襲来により命を落とした人々の菩提を弔うために、中国より無学祖元禅師を招いて1285年に創建した、臨済宗円覚寺派の大本山です。
とにかく広い! 約6万坪の境内に18もの支院が建っています。写真は支院のひとつ松嶺院から東南に三門を望んでいます。三門をくぐるということは解脱して娑婆の世界から断ち切られるということだって。
松嶺院の墓地には佐田啓二、開高健、田中絹代らのほかに、あのオウム事件の被害者坂本弁護士ご一家が眠っています。
なお右上の配置図でもわかるとおり、JR横須賀線は円覚寺の参道を堂々と横切っています。これはこの路線(大船~鎌倉~逗子~横須賀)が、横須賀軍港へ物資を輸送するための軍用鉄道として1889年に敷設されたものだかららしい。
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東慶寺(北鎌倉)

2006年11月28日 21時07分35秒 | 箱根・湘南で遊ぼう
秋の北鎌倉を歩いてきました。紅葉のピークにはちょっと早かったけど、JR北鎌倉駅から亀ヶ谷(かめがやつ)の切通しから小町通り経由でJR鎌倉駅まで歩くコースはなかなか風情がありました。

この近くには禅宗のお寺がいっぱい。まずは東慶寺。地名の「鎌倉市山の内」は例の長尾景虎(上杉謙信)に家督を譲った山内上杉家の居館があったところですねえ。この寺は北条時宗の妻、覚山尼が1285年に建立した尼寺。後醍醐天皇皇女や豊臣秀頼息女などが住職をつとめていたということよりも、縁切寺・駆込寺として超有名。夫から逃れたい女性がお寺に駆け込み、3年間修行を積めば離縁できたらしい。で、明治までは男子禁制だったのですが、今は普通の男僧寺です。
東慶寺には文化人の墓所が多い。西田幾多郎、岩波茂雄、和辻哲郎、高見順、小林秀雄・・・・。大松博文のお墓もありました。
写真は本堂入口の黒塀前にある鎌倉在住の歌人四賀光子の歌碑。「流らふる大悲の海によばふこゑ 時をへだててなほたしかなり」という覚山尼を讃える歌です。
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鈴廣かまぼこ博物館

2006年06月01日 21時10分07秒 | 箱根・湘南で遊ぼう
国道1号線の箱根への入り口、風祭駅付近、箱根駅伝中継所で有名な鈴廣グループが運営するかまぼこ博物館があります。ここではかまぼこの作り方や歴史などを学んだ り、かまぼこ手作り体験ができたりします。
二階の小さなギャラリーには「小さな美術展かまぼこ板絵コンクール」の作品が常設されています。その中には手塚治虫、水木しげる、赤塚不二夫などの大家の作品も展示してあって、思わず凝視してしまいます。写真は鬼太郎ファミリー。
http://www.kamaboko.com/museum/museum.htm
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箱根・芦ノ湖成川美術館

2006年05月28日 08時53分24秒 | 箱根・湘南で遊ぼう

所蔵4000点、常時展示100点の現代日本画も見応えがありますが、幅50㍍に及ぶ展望室から望む芦ノ湖の景色は特に素晴らしい!
晴れた日は富士山の姿も見ることができるのですが、天気が悪くこのとおり。リーフレットに載っていた写真(右)と比べると違いがよくわかります。
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箱根神社

2006年05月23日 22時08分40秒 | 箱根・湘南で遊ぼう

箱根神社(箱根権現)は山岳信仰の修験場に過ぎなかったが、平家に抗い1180年の石橋山の合戦に敗れた頼朝をかくまったことで大ブレイク。こののち鎌倉幕府に手厚く保護され、すべての関東武士の信仰を集めた。北条早雲ももちろんここを尊崇し次子幻庵をここの別当にしたほど。しかし1590年秀吉の小田原攻め(上方からの侵略)で全山焼失したが、1612年関東の王者家康が社殿を復興した。ま、関東と関西の対立の象徴ですね。
駒ケ岳山頂にある「箱根元宮」は有名な西武創業者(近江商人)が寄進していることに代表されるように、東西対立は20世紀に入っても西武対小田急というカタチで続いた。
樹齢800年以上といわれる杉並木はとても立派です。なお摂末社(境内にある小規模な神社)の九頭竜神社は現役バリバリの縁結びスポット。
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箱根ラリック美術館

2006年05月17日 21時38分11秒 | 箱根・湘南で遊ぼう

ルネ・ラリック(1860~1945)は、仏の工芸家・デザイナー。一言でいうと、「高価ではない素材に、高度な技術を駆使して斬新な加工を加え、価値を飛躍的に高めた実用品を大量に生産した」人です。その宝飾品は当時の女性たちに熱狂的に迎えられたという。たとえばブローチ「シルフィード」。蝶と融合した女性という異形のデザインに七宝技術によりステンドグラスのような美しい色彩感を持たせている。20世紀に入ると、彼は突然ガラス工芸家に転身。香水瓶・花器などちょっとした品物なのにどれも凄い作品ばかり。写真下はラジエーターキャップに装着されたカーマスコットのガラストンボ。このほかガラスの噴水や礼拝堂、エントランス、オリエント急行のサロンカーなど建築装飾も幅広く手がけました。
この美術館は常時展示230点、所蔵1500点。しばしの間アール・デコの世界にどっぷり浸れます。売店では現役のラリッククリスタル製品を販売していましたがどれも高い!
http://www.lalique-museum.com/
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箱根関所

2006年05月14日 15時35分48秒 | 箱根・湘南で遊ぼう

小田原藩が管理してきた箱根の関所は17世紀の初め以来、主に「出女」を厳しく取り締まってきました。江戸に住んでいる大名たちの家族(人質)が勝手に逃げないようにするのが目的でしたが、農家の女性の出入りが対しても厳しく運用されました。これら女性の通行人の取り調べには専門の「人見女」という女の役人があたりました。通行手形なしに裏道などを通ろうとして捕まると磔になるのですが、実際は女性の磔刑は少なかったらしい。山道に「迷い込んだ」ことにして追い返すのが一般的だったたとのこと。役人もなかなか優しいですね。
写真は復元された大番所・上番休息所と芦ノ湖(天気悪い~)。
http://www.hakonesekisho.jp/
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箱根駅伝ミュージアム

2006年05月12日 21時19分37秒 | 箱根・湘南で遊ぼう

新春イベント箱根駅伝の往路ゴール=復路スタート地点に隣接する場所に、2005年3月にオープンしたミュージアムです。
運営は富士屋ホテルが主体となり、箱根町観光協会や日テレ、ミズノなどが協賛しています。内には箱根駅伝の第一回大会(1920年)からの様々な歴史が展示されているだけでなく、各大学のグッズも販売しています。右上は瀬古選手がオリンピックに出場したときに履いたシューズです。
意外でしたが箱根駅伝OBで五輪でメダルを獲得した人はたった一人しかいないんだって。それも1936年・・・。やっぱり肩を酷使した高校野球の優勝投手がプロでは大成しない(松坂除く)のと同じ構造があるのでしょうか。女子マラソンの日本人メダリストには一匹狼が多いのとは対照的に、男子は個人よりも組織(大学)を重視して行動するせいかもね。
http://www.hakoneekidenmuseum.jp/
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早雲寺

2006年05月11日 21時09分11秒 | 箱根・湘南で遊ぼう

この寺は1521年北条氏綱によって建立。ここ箱根湯本一帯に境内が広がる巨大な寺だったらしい。広かったので1590年秀吉の小田原城攻めの際に最初の本陣となったが、有名な 「石垣山一夜城」が完成してそちらに移るときに放火されて焼失した。しかし江戸時代に入ってすぐ再建された。
北条氏は偉大な早雲以来百年、ほとんど混乱のない堅実な内政で安定した領国経営を行っていた。年貢が安く、正妻を大切にし、虐殺・略奪・離反などの暗い記録がほとんどない真面目(?)な戦国大名だったらしい。しかも家系は小田原で滅亡したのではなく、実は大阪で小大名として永く生き残り、維新後は子爵。創価学会会長も輩出しているのです。さすが早雲の家らしくしぶといですね。
1672年、その子孫が北条家五代の墓標を竣工しました。右端が早雲。以下右より二代氏綱、三代氏康、四代氏政、五代氏直と続きます。
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小田原城

2006年05月10日 21時56分39秒 | 箱根・湘南で遊ぼう

北条五代が約百年にわたって築き上げ、信玄・謙信の侵攻にも落城せず、豊臣秀吉が 空前の大軍で包囲して無血開城させるしかなかった超堅固な名城です。天守閣からは相模湾を一望でき、江戸時代は天下の嶮箱根の関所を幕府から預かってきた小田原藩 (大久保家)の居城でした。SLG「信長の野望」でも防御度が高く最も攻めにくい城だ。しかし地震には弱かった。過去3回大地震の遭遇し、3回とも崩壊したコワイ城 です。①寛永大地震(1633)②元禄地震(1703)③関東大震災(1923)。現在の天守閣は、昭和35年(1960)復興。
この日(4/30)も熱海で震度5弱の地震がありましたが、幸い小田原市内は震度1でほとんど揺れは感じませんでした。下は常盤木門。
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鯵の押し寿司

2005年12月05日 22時19分03秒 | 箱根・湘南で遊ぼう
大船軒の鯵の押し寿司。江ノ電の終点、藤沢駅でゲット。酢漬の小アジの身を押し寿司にした。アジの美味しさと さっぱりした酸味が良く合う逸品。中でもこの「特上」は普通のものより肉厚でやわらかいアジを使っており(8個入り ¥1000)、いいネタが入ったときにしか作られないという一種の幻の駅弁。売り出されたのは大正4年と古い。
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江ノ島

2005年12月03日 09時32分39秒 | 箱根・湘南で遊ぼう
江の島を弁天橋の手前から写しましたが、必ず逆光になり、いい写真は撮れないそうです。島内のお店で食べた「焼き物セット」(右上)は、サザエ2個、蛤2個、そしてイカ焼き、と豪華です。

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稲村ヶ崎

2005年12月01日 18時45分35秒 | 箱根・湘南で遊ぼう
稲村ヶ崎は鎌倉時代末期に新田義貞が鎌倉に攻め入った際、剣を海に投じて戦勝祈願をしたという伝説が残るところ。稲村ヶ崎からは江の島と富士を重ねた風景を見ることができます。ここから江の島方面に向かう海岸は七里ガ浜と呼ばれ江ノ電が江の島を眺めながら海を走る。伝説の波を待つ60年代の若者たちの青春を描いた映画「稲村ジェーン」(1990/桑田佳祐監督作品)の舞台ですが、映画そのものはファンの為に作られたプロモーション映画でした。

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