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天網恢々プロジェクト・レビュー

クラシック音楽、ミステリ、時代小説、ノンフィクション・・・・好みのコンテンツ・レビュー

ザ・ラストバンカー

2011年12月25日 16時23分20秒 | ショック!ノンフィクション

朝日新聞の書評によると、「暴露的な回顧録」であり、「大半が不良債権処理の話に終始している」ことで「二重の意味できわめて稀有な」、とびきり面白い本だとのこと。

更に、こうした「楽屋裏の仕事ばかりを手がけた銀行家が・・・・・英雄に祭り上げられてしまう」ことは、「この20年、日本がずっと撤退戦を続けてきたことの象徴でもあり、強烈な皮肉だ」と、朝日らしくやや斜に構えたオチをつけている。

しかしイマドキ、人に取り入るのがうまいとか、営業成績が良いだけで出世した大企業の経営者なんているんだろうか。本書に登場する数多の「退場した経営者たち」と比較すると、著者が、環境の変化に敏感に反応し、トラブルに遭っても逃げずに、スピード感をもって仕事に取り組んできたことは明らかで、こうした資質と姿勢こそが昨今のビジネスマンには必須だとみんな知っているから本書は面白く、かつ売れている(12月中旬で5刷13万5千部)のだろうと思う。

最後に小泉・竹中の郵政民営化の片棒を担ぐこととなり、彼らが去ってしまった後に、反対勢力の政治家やマスコミから、大人気ないしっぺ返しを喰らってしまったのはなんとも気の毒なことであった。

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官邸崩壊

2007年09月23日 11時30分42秒 | ショック!ノンフィクション
官邸崩壊 安倍政権迷走の一年
上杉 隆
新潮社

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2007年8月24日刊。安部さんに嫌われていた朝日新聞の書評が「現代日本史に新しいページを書き込んだ」「安部政権崩壊の必然を洞察していた」と絶賛したドキュメントである。この一年われわれが日常的にテレビや新聞で接してきた多くのエピソードの内幕がすべて明らかにされ、分析されている。
崩壊の「戦犯」とされる批判の矛先の多くは首相側近グループ、特に秘書官や補佐官たちに向けられている。中国訪問などで好調なスタートを切ったがゆえの手柄争いや「功名が辻」が過熱したために、大臣の失言・不祥事や年金問題や復党問題への対応など、政権として最も大切な危機管理がおろそかになってしまった。結果として首相は「裸の王様」となってしまったというワケだ。
「チーム安部」のまとまりの悪さ、官邸の緊張感の欠如は、教育再生会議の混乱をはじめとしてウィル・スミスの表敬訪問時のエピソードなど枚挙にいとまがない。ある意味とても面白く、一気読みが可能である。
また安部さんは昔から異常に小泉さんに怯えていたということも興味深い。参議院選挙敗北後に、コワい前任者から「辞める必要ない」といわれて周囲の諫言を聞かず続投・内閣改造したものの結果はこのとおりだ。
結局現政権は前政権の政治手法をマネしようとしてこれ以上ないくらい無惨に失敗した。6年半に及んだ劇場型政治はここにきてようやく完全な終焉を迎え、次期政権は昔懐かしい密室型・調整型政治に回帰するだろう。
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私の履歴書 保守政権の担い手

2007年05月23日 21時10分58秒 | ショック!ノンフィクション

日経新聞の朝刊最終面の「私の履歴書」は功を成し遂げた者の最大の名誉ともいわれる人気コラムである。本人執筆のものもあるが明らかに記者による聞き書きも多い。スポーツ関係含めた文化人の話は概ねユニークなものが多くて面白いが、経済人の話は自慢話や言い訳が多くて概ねツマラナイ。また政治家は意外に少なく、戦後政治に大きな影響を与えた人物としてはこの本に所収された次の人々が全てと言っていいだろう。以下敬称略。

①岸 信介(1959年:63歳)
②河野一郎(1957年:59歳)
③福田赳夫(1993年:88歳)
④後藤田正晴(1991年:77歳)
⑤田中角栄(1966年:48歳)
⑥中曽根康弘(1992年:74歳)
カッコ内は執筆年と当時の年齢。

生誕順である。意外なことに⑤⑥は同年齢。二人の懐刀と言われた④は4つ年長だ。⑤と総理の座を争った③は13歳も年長である。②は1965年67歳で没しており、最も短命。①は91歳、③は90歳と長命。もちろん大勲位⑥は88歳だがカクシャクとしている。従って③④⑥はほぼ功成り名を遂げてからの執筆である(④はこの後もうひと波乱ある)が、②⑤はこれから政権を狙おうとする野心満々の実力者時代の執筆である。しかし⑤は1947年の代議士初当選までの記述に留まっている。また①はなんと首相在任中の執筆で、内容も差障りのない官僚になるまでの戦前の話だけである。
6人とも政治家になってからの話は特に目新しいところはないが、人生比較として読むとなかなか面白い。これについては巻末の「解説」で手際よく整理されいるので、それに沿ってレビューしてみたい。
まず一番ハチャメチャなのは②。マラソンでインチキ、徹底した他者攻撃、獄中から当選など凄まじいエピソードの連続だが、子分だった⑥が「肌を接しないと真価はわからない。敵は徹底的にやっつけるが仲間はとことん守る」とフォローしている。
⑤も負けん気の強い性格だが、若い頃は貧乏で劣等感が強く、他人に虐げられたり誤解されたりして苦労する場面が続く。肉親の病気や死、自分自身が生死の境をさまよう場面もあり、全体的に暗いムード。官僚出身者とは違い「この国に受け入れられない存在だった」ことを改めて認識させる。
いっぽう素封家出身の①は一高、東大と常にトップクラスで、その人生目標も保守的・国粋的な思想・信条とも国家目標とピタリ一致し、ムリ、ムラ、ムダがなく最初から国家と向き合う基盤ができている。
その後継者である③は20年以上にわたる政権中枢での話のウェイトが大きい。「角福対決」「大福対決」において話し合いで事態を収拾しようとしたがうまくいかなかった生々しい話を淡々と語るところが本人らしく、官僚政治家の限界を感じないでもない。
⑥はライバルでもあり盟友でもあった同期の⑤の存在を意識した記述が多い。またこの執筆時期はリクルート事件のほとぼりが冷めて自民党に復党した頃なので、自分の行動を後世の読者に説得しようとする一生懸命さが伝わってくる。
カミソリのような信念と行動力を示した④は子供の頃は②と同じ。水戸高、東大の頃の話の傾向は①③と同じ。しかし世代的には⑤⑥と同じなので戦争体験があり、敗戦後の悲惨さに対する思いが他の人より特別強い。後の徹底した平和主義の基となっていることをうかがわせる。

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カラヤンとフルトヴェングラー

2007年03月03日 12時28分00秒 | ショック!ノンフィクション
カラヤンとフルトヴェングラー

幻冬舎

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クラシックファンにはよく知られているように、1954年に天下の銘器ベルリン・フィル(BPO)の首席指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラーが亡くなったとき、後任に指名されたのは、戦後BPOと400回以上コンサートを重ねたセルジュ・チェリビダッケではなく、主にドイツ国外で活躍していたヘルベルト・フォン・カラヤンでした。
この本は1930年代から50年代まで、第二次世界大戦をはさんでBPO首席指揮者の地位をめぐる三人の偉大な指揮者の毀誉褒貶の物語です。
フルトヴェングラーはとても猜疑心と嫉妬心が強く、親子ほども年齢の違うカラヤンを蹴落とすことに執念を燃やしました。チェリビダッケは戦後まもなくのBPOを支えた功労者でしたが、変人で傲岸不遜だったために楽団員に嫌われ、カラヤンに取って代わられました。カラヤンはフルトヴェングラーの策略やナチ協力疑惑に耐えて巧みに遊泳し、ヨーロッパ楽壇の帝王への道を突っ走りました。そしてチェリビダッケの功績を抹殺しました。
三人の音楽性や芸術性についてはほとんど触れられておらず、ひたすら多くの文献にあたって関係者の行動や発言・手紙を時系列で整理し、適度な推測を交えて各人の心の動きを冷静に追っていく伝記スタイルですが、内容はドロドロ過ぎてまるで「大奥」です。面白くて一気に読んでしまいました。
いち早くレコード芸術に価値を見出し、最終的な勝利者となったように見えるカラヤンですが、フルトヴェングラー死後に次々と発売されたライヴ録音の価値と人気はカラヤンを超えて今日でも光輝いているのは周知の事実です。またレコード嫌いだったチェリビダッケの放送用録音も1996年の彼の死後続々と発売され、これまた高い評価を得ています。
歴史の皮肉と音楽芸術の移ろいやすさを感じますね。
これから三人のCDを聞くときにこの本のエピソードを念頭に置けば一層楽しく鑑賞できるような気がします。
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低度情報化社会

2007年02月12日 17時33分49秒 | ショック!ノンフィクション
低度情報化社会 Ultra Low-level Information Society

光文社

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Web2.0、Google、ロングテール、そしてこのブログなどなど、技術革新とチープ革命によって情報爆発が起きている。この状況を前向きに進化ととらえる本や講演は多いが、これは逆に徹底的にこき下ろした本である。
論旨はこうだ。①ITメディアの普及でジャンク情報が激増する。②個人が何が重要なのか判断がつかなくなる。③やむなく自分がわかりそうな情報=低レベルの情報だけを拠り所にする。④低レベル情報だけを軸に同類とだけ交信する結果、全体でより低レベルになる。
その結果Webは進化どころか退化し、社会そのものも劣化させていくというという悲観的な結論を導き出すのである。実例が豊富なのでそうかなあという気にもなるが、まさかそんなことにはならないだろうと信じたい。
②はいわゆる「玉石混交問題」だが、そりゃGoogleが何か手を打っているんじゃないのと思ったが、本書によればGoogleは「本当の悪い大人を見抜く術を持っていない、澄んだ眼をした天才少年」なんだそうである。
不特定多数の人々が、ネット上で情報の受け手から自由な表現者となるWeb2.0についても、いろんなメディアで大いにもてはやされているところだが、中身はせいぜい「分散型の膨大なデータをみんなが利用できて参加もできる」程度のもので、大したもんじゃないと言い切っている。
またWeb2.0がもたらすロングテール(2割の商品が8割稼ぐのではなく、残りの8割の商品でも十分儲かる)についても、これが成功するのはAmazonのような膨大な在庫コストを負担できる大企業だけに限られる、と一刀両断だ。なるほど~。
ブログについても同様で、総表現社会においてゆるやかな連帯を形成できるという進化論に対して「クズ情報の集まり」と切り捨てる。
いずれも過激な議論だが、著者は著者なりに90年代のマルチメディア(!)時代からの流れを踏まえ、ITにまつわるさまざまなトラブル(デイトレ、論文コピペ、2ちゃんねる、ライブドア、ケータイ、著作権、韓国ITバブル等々)を「低度化」の実例として紹介しているので説得力はある。
そんなふうに語る著者も、結びでは「Webのようにせっかくの素晴らしい道具もイマジネーションのない低度な人間の手によると進化の可能性は閉ざされるが、アイデア豊かな高度化くんになれば世界は変わるかもしれない」とITの未来を完全に否定しているわけではない。要は「あなたしだい」というわけだ。というわけでこのブログも十分その辺によく注意しながら続けていきたい。難しいけど。
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自壊する帝国

2007年02月10日 23時12分47秒 | ショック!ノンフィクション
自壊する帝国

新潮社

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背任罪などに問われ、去る1月30日に有罪判決の控訴が棄却された外務省元主任分析官である著者の、ソ連勤務時代の回顧録である。保釈後次々に本を出してそのいずれもが評判が良く、一躍ベストセラー作家となった。
その理由も本書を一読すればナットクだ。1987年から1995年頃まで三等書記官としてモスクワの日本大使館やモスクワ大学で過ごした期間の情報収集・分析活動が、全世界がビックリしたあの1991年8月の守旧派によるクーデター未遂事件をクライマックスとして、ナマナマしく記述されている。情報活動の記録と言っても007のような諜報活動でもなければ外交機密の暴露話でもない。ロシアにおけるさまざまな立場の人物たちとの個人的交流の記録である。
外交官の任務として国際条約の範囲内で人脈を広げて情報収集を行うのは当然だが、そこはどうしても権力者だけの動向や目先の利益にとらわれがちになるそうだ。ところが著者はゴルバチョフ派であろうがエリツィン派であろうが、反体制派であろうがKGBであろうが、とても幅広い人脈を作ることができた。それも単なる社交関係ではなく、「俺、お前」の仲になるほど深い信頼関係で結びついている。利害ではなくみんな友人として最大限の便宜をはかってくれるシーンの連続は、感動的ですらある。おかげで権力がシーソーのように移り変わる局面でも、日本外務省はバランス良く情報を収集することができた。
なぜ彼がロシア人やラトビア人、リトアニア人とこれだけの深い友情で結びつくことができたのか。その理由の一つは、自らの行動と発言に責任を持つという信念でを持っていたことだ。利用する時だけ利用して用がなくなれば知らんぷりということではならないという姿勢である。その背景は、彼が実は宗教や神学の研究者であることが大きくプラスに作用している。もう一つの理由は酒と食事だ。とにかくロシア人はウォッカを大量に飲み、キャビアなどの山海の珍味を大量に食する。これを回避せず常にテーブルを共にすることでより深い友情が育まれるようだ。酒に強く丈夫な胃袋でなければ勤まらないってワケ。
ソ連崩壊時のさまざまな歴史的事実をひっくりかえすような意外な記述は少ないが、その渦中にいたモスクワや沿バルト諸国の政治・文化の中心人物たちの行動や考え方をこれほど人間臭く活写したものは他に見当たらない。
この人間模様から学んだ著者の結論は「盟友を裏切る人間は決して幸せな一生を送ることができない」ということだ。またソ連崩壊の真の原因は、欲望の文化がついに社会主義思想を超克してしまったからで、これは既にフルシチョフの時代から萌芽していたのだそうだ。
それにしてもこれだけの人脈は今後の北方領土返還交渉に欠かせないのではないか。外務省は他に比類のない才能を失おうとしている。
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幕末・維新~シリーズ日本近現代史①

2006年12月09日 15時01分16秒 | ショック!ノンフィクション
幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉

岩波書店

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最新の史料を駆使して維新史を見直す。これまでわれわれが常識としていた捉え方が別の角度から光をあてられることによって、全く別の様相を呈してくる。こうした「意外史」の類は玉石混交でおびただしい数が出版されていてきりがないのだが、信頼と定評があり影響力の大きい岩波新書なので一読の価値ありと考える。
・幕府はペリー来航を事前に察知しており、その外交交渉は決して無為無策ではなく、当時としては現実的で合理的なものだった(ベストを尽くした)。
・尊王攘夷思想は孝明天皇の神国思想へのこだわりから発したもので、冒険主義的で非現実的との批判こそあれ、当時の世論として大いに沸き立っていたわけではなかった。
・当時の欧米列強はアロー戦争・クリミア戦争などで忙しく、日本の植民地化までは考えていなかった(外圧をトリガーとした急激な富国強兵は必要なかった)。
・維新政府は少数の討幕派が権謀術数によって政権を握り、旧来の穏健な伝統文化を固陋と位置づけて廃し、無計画で急激な改革を進めた。
・強固な中央集権国家の建設のための地租改正は国民を逆に苦しめ、徴兵制の導入は朝鮮・台湾への無益な侵略を招いた。

大昔のマルクス主義的歴史観と違うのは、江戸末期の外交・内政・文化について封建的と一蹴するのではなく、明治政府でなくても穏健で現実的な近代的改革はなされていたであろうとそれなりに評価していることだ。支配するための道具としての天皇中心の皇国史観がその後の日本をアジアから孤立させ、国民を苦しめることとなるとするのは同じだが。
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ケネディを殺した副大統領―その血と金と権力

2006年11月20日 22時31分50秒 | ショック!ノンフィクション
これからノンフィクションのカテゴリを立ち上げます。実はこれも大好きな分野なのデス。
ケネディを殺した副大統領―その血と金と権力

文芸春秋

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まずは2003年に米国で刊行されて大反響を巻き起こしたこの本。
ケネディ暗殺後のジョンソン政権が真相究明に熱心でなかったことは有名だが、下手人そのものがリンドン・ジョンソン(LBJ)とその「刎頚の友」であるテキサスの弁護士エド・クラークたちであるとする論証はとても衝撃的だ。
実際に手を下した者の一人がマック・ウォレス。この人物は1963年11月22日にダラスの教科書倉庫ビルに潜んで「囮」のオズワルドとともにJFKを狙撃した。ウォレスの銃弾は大統領の肩甲骨に入ってのど元から飛び出した。現場のダンボール箱から発見された指紋のひとつがウォレスのものであるという写真や鑑定書が示されている。この男は実に凶悪だ。マルクス主義者でありながら権力志向であるがゆえにエド・クラークに利用され、過去に2件の殺人(口封じ)を犯している。うち1件は執行猶予、もう1件は自殺として闇に葬られている。
なぜこんなことが起きるのか。それはエド・クラークが権力ブローカーとして長年にわたりテキサス州の司法・行政を陰で自在に操る黒幕だったからだ。1948年の上院議員選挙では負けるはずだったLBJを、不正投票により87票差で強引に当選させるという芸当まで演じている。
副大統領だったLBJがなぜ大統領を殺さねばならなかったのか。それは1963年の時点で、自らの不正蓄財のスキャンダルが暴露される寸前だったからだ。このことは当然ケネディ兄弟の知るところとなり、翌年の大統領選挙でLBJが副大統領に再指名される可能性はゼロだったという。LBJとテキサスの支持者にはもはや大統領の権力を奪取するしか破滅を回避する方法はなかったのだ。
この本の著者はある時期までLBJやクラークと一緒に仕事をしていた顧問弁護士のひとりだ。従ってその証拠のそろえ方や論証の仕方は実に巧みであるだけでなく迷いや誇張がほとんどない。また「身内」だけに登場人物が実に生き生きとリアリティたっぷりに描かれている。しかも単なるスキャンダラスな暴露ものに陥ることなく、LBJのようなトンデモない大統領を生み出した米国の民主主義の風土と構造的欠陥を指摘し、それに対する抜本的対策まで示してある。
高くて分厚い本だがこれまでのJFK本を圧倒する迫力がある。
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マンハント リンカーン暗殺犯を追った12日間

2006年10月29日 20時52分55秒 | ショック!ノンフィクション
いやー面白かった。本書はあくまで歴史ノンフィクションで小説ではないのだが、あまりのリアルさと緻密さで一気に読んでしまった。1865年のリンカーン暗殺犯ジョン・ウィルクス・ブースのノンストップ逃亡アクションである。通常の史伝文学であれば史料を網羅的・客観的に記述するのでメリハリがなく理解するのに難渋する場合が多いのだが、これは膨大な史料を咀嚼しまくったうえでそのエッセンスに著者のセンスを加味し、読者サービスに徹底している作品だ。だからこの事件の持つ歴史的・政治的・社会的意義などにはサラリとしか触れていない。
リンカーン暗殺といえば役者である犯人がワシントンDCの劇場でデリンジャーで襲ったことくらいしか知らなかったが、これ実は大統領、副大統領、国務長官を狙った「同時多発テロ」だったのだ。知らなかった! 副大統領は未遂で無事だったが、国務長官は瀕死の重傷を負っている。
犯人グループは言うまでもなく奴隷解放反対論者で、メンバーは7人ほど。首謀者のブースという人物は、一流俳優としての知名度と教養を備え、プライドが高く、リンカーンを「独裁者」と呼ぶほど忌み嫌う、信念の強い一途な性格だ。人を捉えるその挙措と風貌により易々と観劇中の大統領に接近することができた。
襲撃の一部始終は(スワード国務長官襲撃場面も含めて)キモチ悪くなるほど臨場感たっぷりだ。残虐というだけでなく周囲の人々の心理状態まで微に入り細に入り描かれているせいかも知れない。。
しかし本書の3分の2を占めているメインテーマはブースたちの逃避行である。ワシントンDCから南部へ100㌔ほど、骨折した足の痛みに耐えながら馬や舟で必死に逃亡する。いろんな家に匿われるのだが匿う側の心の葛藤がしっかり描かれる。ある者は冷静沈着に対応するが、ある者は疑い、迷い、保身に走る。身につまされてとてもスリリングだ。いっぽう政府側の追跡はとても効率的とは言い難く、発見できたのもある意味偶然だし南軍の裏切者の証言が決め手となっている。結末の手際もよろしくない。おや、何か逃亡者側に感情移入しちゃうなあ・・・。
後日談で驚いたのは、ブースたちにかけられた懸賞金の分配のドライさと、事件の思い出や記念品を元手に商売を行う関係者が多いことだ。それだけお金になるほどこの事件はアメリカ人に衝撃的だったってことか。
ハリソン・フォード主演で映画化予定だそうです。
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