~聴覚障害6級~

話せる。歌える。
聞こえているけど聞き取りにくい。
感音性難聴者が適当に呟きます。

ブログ

2014年11月28日 | 雑記
今日は聴覚障害に関係ないただの雑談をだらだらと。



私は今、ブログを3つに分けて書いてます。

このブログは「裏自己紹介」と言う名の「裏ブログ」「裏日記」。

リアルでもネット上でも、聴覚障害者だと言うことは、大きな声で発信していないためです。

ここは書き始めて、ちょうど5年。

このブログはめったに更新しないにも関わらず、毎日一定数のアクセスがあります。

1日50人くらいで、150アクセスくらい。

ほぼ一定しています。

更新しているかもと思って、一応、アクセスして下さっているのかな。

ある記事をツイッターで (勝手に) 紹介された時、
1日15000アクセスになっていて、少々ひびったことがありました。

このブログの「私」と、趣味の「私」が、同一人物と知らない人の方が多いですから、
ちょっと怖くなりましたね。

変な人が歪んだ感情を持って乗り込んできそうで(笑)。

勝手に紹介されてしまったエントリーと、その反響についてのエントリー。

舞台の台本の貸し出し

台本の貸し出しについての反響



趣味の本(館)ブログは、4年半前から始めて、1日のアクセス数はあまり安定していませんが、
1日3500~7000くらいで、4年半で、計579万アクセス。

わりと、巨大化しています(汗)。→「今すぐ君に会いに行こう」

ジャニヲタ人口は巨大ですからね(笑)。


本ブログには、一時期、嫌がらせのようなコメントがありました。

何が気に入らないのか、私のことが嫌いなら、私のブログなんか読まなければいいのに。

お節介体質の私は、いちいち相手にしてしまったけれど、
気分が悪くなるコメントを読みたくなくて、コメント欄を閉じました。

承認制だと、嫌なコメントも読まなくてはならなくなりますから。

コメント欄をなくしたら、なんとも快適。

楽しいことをしているのだから、精神衛生を常に良くしていたいものです。


趣味の本ブログは何度か移転をしているのですが、
ブログと言うものが普及する前の「さるさる日記」から、ほぼ毎日書いてます。

かれこれ、12年間くらい、ほぼ毎日、ネット上で日記を書いている計算になります。

「さるさる日記」を書いていた頃は、1日10アクセス程度でした。

たぶん、その10アクセスは、全部、私だったんだと思います。

私がネット上で日記を書いているのは、誰かに読んでほしくて書いてるわけじゃなくて、
単に、私自身の覚え書きと、ストレス解消と、自己満足なんです。

本ブログのアクセス数が巨大になっている今も、そのスタンスは変わらない。

本当にただの自己満足です(笑)。


「さるさる日記」からブログに移転したのは、確か2005年くらいからなので、9年前かな。

「さるさる日記」はすでに閉鎖になったため、
その時に書いたエントリーは、旧ブログにごっそりと移し替えました。


何かのついでに、過去のエントリーを読むことがあったりするけれど、
時には馬鹿っぽいことが書いてあったりして、本当に恥ずかしい。

なので、自分の過去のエントリーは、めったに読みません。



そして、あと1つのブログは、本ブログに書くのも気がひけるようなことが多いかな。

毎日更新しているわけではなく、気が向いた時のみですが。

子ども達のこととか、ただのくだらない雑談とか、世間のこととか、愚痴とか。

こちらも、9年前くらいから。



私がブログを書いていることを、家族は知りません。

そもそも、家族は、私がジャニヲタなのは知っているけれど、
誰が好きなのかはよくわかっていないし、あえて言っていないのです。

私は、家族にこれらのブログを読んでほしいとは全く思っていないんです。

むしろ、読んでほしくない。

私の死後、これらのブログを家族が見つけるとは思いませんが、
万が一、見つけてしまう可能性があるとしたら、
その前に、ブログ自体を消してしまおうと思っているんです。

このまま健康でいられるのなら、まだまだ先のことだとは思いますが、
不慮の事故がないわけではないので、少しずつ、整理していこうかなとは思い始めています。

家族に読まれてもいいのは、この裏ブログだけだな。

あとの2つは、絶対、読まれたくない(笑)。


ぼちぼち、整理していこうかな。

感音性難聴ってなに?

2014年11月23日 | 雑記
ネットサーフィンをしていたら、感音性難聴のあるあるな呟きをまとめたサイトを見つけました。

感音性難聴ってなに?(#感音性難聴 まとめ)


全く聞こえない感覚は、健聴者でも何となくわかる思うんです。

しかし、「全く聞こえないんです」と言うわけでもないし、普通に話せるし、
年をとって聞こえにくくなった状態とも少し違う感音性難聴のことは、
感覚的にどんなものなのかわかりにくいと思います。

説明しても、ほとんどの人はハテナマークが顔に出ますね。


このまとめサイトを読んで、
私自身もあるあるあるっ、と思った「感音性難聴あるある」を抜粋して、覚え書きしておきます。

まとめサイト以外からも、ツイのタグから抜粋して覚え書き。



(引用・抜粋)

・呼ばれて振り向いてるのではなくて、何か音がした気がしたから振り向くのです。

・大きな声よりも、ゆっくりはっきりこっち見て話してくれるほうが嬉しいです。

・かすかに聞こえる言葉(虫食い状態)と口の動きと状況を組み合わせて、話を推測しています。

・モザイクがかかっている絵を見ているようなもの。

・マスクする業界は口が読めないので話しがわからず苦しいです。

・1対1で意思疎通できたと思ったら相手がふたり以上になった途端、話しわからなくなります。

・複数の時は無口→2人になるとよく話す。

・会議は誰が話をしているのか探さないといけないので自分がEXILE状態。

・二人きりだとよく話すのに、三人以上になった瞬間黙りこむ。
内容が分からないし、面白いトークをしていたとしてもその流れをぶった斬って『何の話ー?』って聞くのもなぁ。

・顔のピクリと動いた相手の顔面神経と目の動きに、とても敏感。

・相手の僅かな表情の変化、目の中に隠された感情を読み取れてしまうのは幸福でもあり、悲しくもある。

・激しい聞きまちがいから、天然ボケと思われている(実際そうであることもアリ)。

・言葉の形を聴き分けれたり聞き分けられなかったりが瞬時に起こって話しについていけない。

・Aくんの声は聞き取れるのに、Bさんの声は聞き取れない(悪気はないのよ)。

・声大きくもなく、口の動きも普通なのに、口話読み取りやすい人がいる。だから余計誤解されたりする。

・アラーム類が聞こえず、ご飯炊けたとかストーブの灯油切れのお知らせが伝わらない。

・音は聞こえるのよ。言葉が聞き取れないの。知らない外国語聞いてる感じなの。

・音が聞こえることと言葉が聞き取れることは違うの。
もし「聞こえる」=「聞き取れる」なら、みなさん英語わかるってことですよね?

・音楽聞いててさ、どんな声かはわかるの。でも歌詞聞き取れない。

・「聞き取れるかどうか」に集中しすぎて話の中身がわからないときがあります。

・雑音のするところでは誰とも会話できない。

・穴埋めパズルだよな、言葉の断片から文脈から、脳内検索しながら聞いている。
いきなり話しかけられてうまく検索できないときは、ごめん、なんの話?と確かめてから、脳内辞書差し替えて、再検索。
一音ずつ区切って言われたら、いったん一語にまとめ直す作業が増える。

・言われた言葉をすぐには理解できない。
次に出てきた言葉たちをつなぎ合わせた会話の流れで初めて前の言葉を理解する。
会話しながら、「あぁ、さっきこう言ってたんだな」ってよく思う。



・感音性難聴は、「1.小さい音が聞こえない」だけでなく、「2.話し言葉の弁別がしにくい」
「3.大きい音がうるさい」「4.聞きたい音が選びだせない」といった聞こえ方の特色があります。
1や2はともかく、3や4はあまり知られていないのでは。

・「2.話し言葉の弁別がしにくい」
→例えば、サ行とタ行の区別が苦手とか、母音は分かるけど子音が分からない、などです。
(苦手な音は人によって違います)。
このことから、「音としては聞こえるが、言葉として何を言っているのか分からない」という現象が生じます。

・「3.大きい音がうるさい」
→普通の音量では聞こえにくいのに、一定量を超える音になると逆に過敏になる「リクルーメント現象」というものがあります。
例えば、子供の叫び声や轟音などが、耳に響きます。
大声を張り上げると逆に聞きとりづらくなるのは、このせいです。

・「4.聞きたい音が選びだせない」
→人には、雑音の中でも自分に必要な音を聞き取るという素晴らしい能力があり、
カクテルパーティー効果と呼ばれたりするのですが、この力が弱い。
飲み会等うるさい場所での聞き取りが、リクルーメント現象ともあいまって、大変なわけです。



手帳掲示で入場料無料

2014年11月17日 | 手帳(福祉支援)
コンサートや私用で出掛けた時のちょっとした合間に、ふらっとプチ観光をするのが好きです。

がっちり観光も好きだけど、別の目的があっての合間のプチ観光も違った楽しさがあります。


コンサートや舞台観劇をする日は、開演時間よりも早く家を出て、
乗り換え駅などで途中下車したり、最寄駅付近を探索したり。


先月、横浜アリーナにコンサートに行く際、
手帳掲示で入場料が無料になる施設を楽しみました。

どちらも何度も行ってるんですけどね。


まずは、上野の国立西洋美術館へ。

絵のことはよくわからないけど、美術館の雰囲気が大好きで、
ここの美術館は4~5回は行ってるかな。

何ヶ月かごとに企画が変わるので、企画ごとに観賞に行きたいと思っているくらい好きです。

最近は、手帳掲示で入場料が無料になる場合、入場券を発行しない施設が多くなりました。

券にもお金がかかっていますものね。

国立西洋美術館も何年か前は、入場券売り場で手帳を掲示し無料で入場券をいただけたけど、
ここのところ、直接入場し、もぎりのところで手帳を掲示し、入場と言う形になっています。

中の様子は撮影できないので、敷地内の写メを適当に。

 ←カレーの市民   ←地獄の門

 ←考える人      ←弓をひくヘラクレス


美術館周辺の上野恩賜公園内の写メを適当に。

上野大仏

  


清水観音堂

  


上野 花園稲荷神社




小松宮彰仁親王銅像





そして、コンサート会場の横浜アリーナの最寄り駅にある新横浜ラーメン博物館へ。

こちらも、手帳掲示で、入場料が無料です。

こちらは、以前から手帳掲示では入場券はなしで、もぎりのところで手帳を掲示し入場です。


館内は、昭和30年代くらいの東京を再現しています。

私でも記憶にない時代ですが、子ども時代は東京に住んでいたので、
洗濯物や銭湯の風景はあったな。

適当に写メを。























  

 



私は年金を貰えないので、せめて手帳掲示で無料になる施設はどんどん利用していきたいと思っているんです。

映画も手帳掲示で常に1000円で鑑賞できるけれど、
日本語字幕対応の上映は近くの映画館になく、なかなか機会がないです。

本当は色んな映画を観たい。

日本語字幕対応の上映がもう少し多かったら、機会も増えると思うんですが。



手帳掲示とは全く関係ありませんが、神社仏閣巡りが好きです。

私用で出掛けた時など、その周辺には神社はほぼ必ずありますから、
時間があれば、必ず参拝します。

気持ちが引き締まる感じが好きです。


目的のついでのプチ観光が、プチ観光が目的になってることもあったりします(笑)。

これからも色々なプチ観光をしたいな。

お耳大丈夫ですか

2014年11月07日 | 雑記
以前、地元新聞内に総合病院の広告が掲載されていて、
その中に「お耳大丈夫ですか」の文字が目に入ってきました。

どうやら、耳鼻科受診のお勧めに関する宣伝のようでした。

広告に掲載されていたその内容をテキストにしてみました。



年をとってくると人間誰しも耳が遠くなります。

当然、聞き返しが多くなります。

はじめはいいのですが、何度も何度も聞き返すようになると、
相手に悪いから聞き返すのをやめようと自重したり、
聞いたふりをしてその場をごまかすようになります。

普段、温和な方ほどその傾向があるようです。

そのうち、話に参加するのをやめよう、外に出るのをやめようと、
生活全般に関して消極的になっていきます。

もう誰にも会いたくない、一人にさせてくれと自然に孤独を選ぶようになると
危険サインです。

そうなるとさびしい思いをするのは、当の本人は勿論、
ご家族の方かもしれません。

ご家族の方、少しでも聞き返しに気付いたら、耳鼻科受診を勧めて下さい。

大きな病気が隠れているかもしれませんし、単なる加齢によるものかもしれません。

視力が落ちると、眼科受診をされます。

しかし、聴力が落ちても、耳鼻科受診をされる方は、少ないように思います。

耳も目と同じように、社会と関わる重要な器官です。

おかしいなと思ったら耳鼻科受診を是非お勧めします。

但し、聴力が衰えるのは、ゆっくりですので、本人はその状況に慣れてしまって、
なかなか気付きません。

むしろ、ご家族の方や周囲の人が注意してあげるのが良いかと思います。



うーーーーん。

何となく違和感があるテキスト。

何でだろうな。

何がだろうな。


まるで、耳が悪くなった人の行いや日常が、
さみしいものだと言ってるような気がするからかな。

聞いたふりをしてその場をごまかすとか、孤独を選ぶとか、
それがまるで悪いことだと決めつけられているからかな。

家にいる方が、ゆったりした気持ちで過ごせるのなら、
私はそれでもいいと思っているんです。

引きこもりとも、孤独とも、消極的とも違うと思うんです。

快適に生きる方法だと思うんです。

危険サインと言われるほど、悪いことでしょうかね。


耳鼻科で難聴が治せるなら、治してほしいですよ。

難聴者にとっての耳鼻科は、聴力を測るくらいしかできることがないような気がします。

手帳を作る際に、検査に行ったきり、耳鼻科とは縁がありません。

たまには行った方がいいのでしょうか。

今の私には、無意味にしか思えないのです。


自分のことでは病院に行きません。

出産の時と歯医者くらいですね。

そろそろ病院嫌いを克服しないといけないでしょうね。

ラジオドラマ

2014年11月03日 | 雑記
先日、私が応援しているタレントがラジオドラマに出演しました。

「劇ラヂ!ライブ2014」

NHKのスタジオでの公開生収録の生放送。

応募したものの落選したため、家でラジオを聴きました。

100名しか当選しなかったようなので、かなりの倍率だったと思われます(汗)。


当然のことながら、私は家ではラジオをほぼ聴きません。

しかし、車の中ではたまに聴くことがあります。

音量を気持ち大きくすれば、ほぼ聴き取れるんです。

車と言う狭い密室状態だからか、ラジオで話す人達の言葉が聴き取りやすいからなのか。

勿論、健聴者と同じように聴き取れているわけではないとは思いますが、
自分の中で、クリアに聞き取れていると言う意味です。


高校時代は、 ラジオはラジカセでイヤホンなしで普通の音量で聴けていた記憶があるので、
その頃は、今よりずっと聴力は良かったんだなと思います。

松山千春のオールナイトニッポンとかを聴いて、
学校で友達とその話しをするのが楽しかった時代もありました。


今は、ラジオを聴くとしたら、両耳にイヤホンをつけての聴き取りです。

15~6年ほど前、当時、好きなタレントがラジオにレギュラー出演した時は、
ウォークマンでイヤホンをつけて、毎週聴いてました。

今はスマホでラジオが聴ける時代になったので、かなり助かりました。

電波の具合も、音の性能も、かなり良い感じです。


今回のラジオドラマも、健聴者の方々のようにはいかないとは思うけど、
私なりですが、ほぼクリアに聴き取れました。


ただ、私は、聴覚から伝わる細部に欠陥があるんだろうなと思いました。

聴覚障害を持つ人が誰でもそうではないと思うけれど、
私は、聴覚から入ったものは、瞬時に視覚化 (文字化) してしまうんです。

聴覚から入る情報が少ないからでしょうか。

聴覚からの理解度が低いからでしょうか。

聴いた言葉を、脳内で瞬時に文字化するので、
自分の言いたいことも、文字化した方が伝えやすい。

故に、瞬発力のいるコミュニケーションは苦手です。

頭の回転が悪いと言われれば、それまでですが。

だから、ネットが普及した今の時代は、聴覚障害がある者にとって、
かなり良い時代になっているんだろうなと思います。

気持ちを文字化できるツールが多いですからね。


逆に、視覚から入るものの識別は速い。

字幕が瞬時に読めるのも、そういうことですね、きっと。


今回のラジオドラマでは、聴覚から様々な想像を膨らましていました。

その過程に、文字化している部分もありました。

やはり私は文字にしてくれた方が、理解度が高いんだろうなと思いました。


聴いたラジオドラマは、40分ほどで、その中にポークカレーを作る描写があったのですが、
その過程 (レシピ) は、公式サイト内でアップして下さっていました。

私的に、台本を記していただいたと同じことなので、嬉しかったです。

感謝。