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プロヴァンスを巡ろう 21 プロヴァンスのみならず 地中海世界全体の4千年来の家造り技術 <ボリーの秘密に迫る>

2020-12-04 00:50:47 | 素晴らしき世界
ボリーの村



ゴルド村からセナンク大修道院へ向かう途中の
小さな村々を横切って奥に入ると
『ボリー村』がある

そこのご案内をする前に
「ボリー」についてご説明しておこうと思います


地中海世界には
石器時代から同じ技術で作られ続け
19世紀ほどまで現役だった石造り家屋の技術がある


南仏で
山林まじりの田園や丘陵地帯を走っていると
木陰にチラリと見える石の塊みたいな小屋に
気づくだろう

気がついたら気になって眼で探していたりする

その姿は


セレスト村のボリー

ニット帽をかぶってるみたいだったり


ラルバンク村のボリー

三角帽子をかぶっていたり


ゴルド村のボリー

幾つかが寄り添っていたり


ジュック村のボリー

平たくて
屋根に草が生えていたり


ロドルティエ村のボリー

規模が大きかったりする


このような
石造の小屋をプロヴァンス語で
『Borie ボリー』
と呼びます



新石器時代から変わらず継承されてきた建て方で
19世紀まで現役でした


最初は極めて原始的な一家族単位の住居として始まり
その後
それらを繋いで複数家族の集合住居になり

やがて
それらに食料倉庫なども備えて円形に繋がって閉じこもり
城壁で囲んだ砦のような城塞集落にまで
発展していった

例えばこれは

ポルト・ヴェッキオ『Casteddu d'Araghju』

コルシカ島南部ポルト・ヴェッキオという港町の背後の山頂にある
紀元前2000年の集落砦の遺跡です

このコルシカの例は
海賊の襲撃を避けて数百mの山頂に作られた
10数家族の集落砦の跡







海が一望できる
標高300mほどの低木しかない山の頂に
すでに4000年間
ずっとここにある遺跡です


ボリーの特徴は
ブロックではなく平たく切った石を
セメントやモルタルなどの接着剤を用いず
ただ積み上げずらして行くだけで
壁から天井(屋根)まで一体構造であること


接着をしない
つまり

つなぎという湿った成分を使わないので
『乾積み(からづみ)』
と言います

天井は
接着しない以上丸いアーチは難しいので
とんがり帽子型が多くなる




柱がなく
一つの空間で天井の重みを支える必要があるため
壁はかなり厚くなる
というのが共通点

それらのボリーは
中世以後はさすがに住居は少なくなってゆくが
一年の半分は放牧地に出て羊の群れとともに寝起きする羊飼いが
要所要所に私物を置いておくために使ったり

農民が
農作業の道具を置いたり
帰宅できない日に臨時に泊まったりするために
さらには
猟師が
何日も獲物を追って山を歩く時の寝ぐらなどに
使われていたもの

19世紀まで
同じ作り方で建てたり使い続けてきたが
その後
打ち捨てられてしまった


未だに現役で残る
もっとも名高い場所が
南イタリアの『アルベロベッロ』だろう




ここ『アルベロベッロ』の場合は
壁の外側も内側も
漆喰で塗り固めてあるが
構造自体は「乾積み」なのです
住居の集合体として大規模な町を形成し
19世紀以降打ち捨てられて
20世紀に修復して「観光的な売り」として復活した

フランスでも
プロヴァンス地方だけではなく
上の方ですでに挙げている通り
南フランスでは
まだ結構残っていて
所在地の自治体の文化財に指定されていたりもする

ブルイユ村のボリー

ブルイユ村


サン・ミッシェル・ロプセルヴァトワール村のボリー


ミュール村のボリー



ギャビユウ村のボリー


シャンピリット村のボリー


さて

ゴルド村の近くに
プロヴァンス全土から放置されていたボリーを修復して移築をした
場所があります
『ボリー村』と呼ばれているのです

上述した通り
丹念に探せば南フランス各地に数多く残っているはずのボリーですが
たった一つを見るために
延々とあちこち旅行するわけにもいかない
いうことで
ゴルドの「ボリー村」は有意義です

綺麗に建て直してありますが
全部本物


しかも
大人数の家族で暮らしたであろう大型のボリーが
結構数多集めてあるのが良い





数軒が繋がったタイプも





一部二階建ても



これも二階建て
その場合必ず外階段



入り口のアーチを間近で見ると
改めて
教会建築などのように
一個一個を必要な位置ごとに形状を計算して
木型に合わせて切った「テーラード・カット」ではない
『乾積み』
ならではのずらし方も理解できます



この奥はかまど



物置用の棚も残っている








細々とし日用品の数々


生活感がよくわかります





敷地の囲いにも
薄く対話に割った石を「縦に」並べてある



ボリー村の敷地全体を囲む塀も
同じ作り


いかがですか


すでに書いた通り

近代ではほとんどが
猟師や羊飼いや農民の仮設住居として利用されていただけだった
とはいえ

おそらく石器人も18世紀末に近代の人間も
地中海沿岸諸国の山地の民は
同じような生活をしていた部分があったことは
非常に興味深いです

ではまた次の目的地にご案内書ましょう
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