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沖縄④ 琉球王国時代の遺産を訪ねる(中城城跡、中村家住宅、識名園) ~沖縄&台湾旅行2024~

2024年05月23日 | pocknの気まぐれダイアリー
2020年まで、沖縄は気にはなっていたものの、大好きな台湾へ行くときに上空を通過するだけの存在でした。それがコロナのために台湾への渡航が出来なくなり、いつも通過してしまっていた沖縄へ行ってみようと思い、2021年に八重山諸島(石垣島、西表島、竹富島)を訪れたのが初めての沖縄でした。そして翌2022年に沖縄本島を訪れました。この2度の訪問ですっかり沖縄に魅せられ、また訪れたいと思っていました。でも台湾も行きたいし・・・ それで、沖縄と台湾は近いので、1度の旅行で両方を訪れることにしました。今回は、沖縄に2泊して台湾へ渡り、台湾では6泊しました。8泊9日の沖縄&台湾旅行のレポートをお届けします。

2024年3月22日(金)

悲惨な沖縄戦の戦跡である南風原壕を見学したあとは、琉球王国時代の文化遺産を3カ所(中城城跡、中村家住宅、識名園)訪れました。

中城城跡

中城(なかぐすく)は、1300年代後半に先中城按司(さちなかぐすくあじ)一族によって築城がはじまり、1440年に護佐丸(ごさまる)によって完成したお城。護佐丸は、昨日訪れた座喜味城も築いた築城の名手です。ここも座喜味城跡と同様に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして世界遺産に登録されています。

標高160メートルの高台の広大な敷地に 6つの郭(くるわ)が点在する中城城跡は座喜味城跡より遥かに大規模で、見学には1時間半ほどかかりました。入場は有料で、入口から電動カートに乗せてもらって高台にある正門の近くで降車して見学を始めました。

正門から順路に従って敷地内の城跡を観て回り、最後はカートに乗り込んだ入口へと徒歩で戻ります。どの郭も立派な石積みで堂々とした風格があり、どこを歩いても絵になる美しさを持ち、いにしえの琉球王国の繁栄を感じさせます。

正門

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南の郭

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城址内では時代ごとに異なる3種類の石積みを見ることができます。時代を追うごとに精巧になり、見た目も美しい石積みになっていきます。

①野面積み:自然の石をそのまま乗せていくワイルドな石積み


②布積み(豆腐積み):直方体に加工した石を丁寧に揃える石積み


③相方積み(亀甲乱積み):多角形の石を組み合わせる護佐丸時代の精巧で頑丈な石積み


二の郭

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二の郭では城壁の上を歩くことができます。


裏門
いくつもある門のなかで、パンフに「ペリー探検隊一行がエジプト式と評した精巧なアーチ門がひときわ美しい」と書かれている門です。


裏門をくぐったところでスケッチしました。


北の郭


三の郭
三の郭は、6つの郭のなかでもとりわけ均整が取れて堂々としていて、古代エジプトのピラミッドを思わせる風格がありました。石積みは、最も技法が進んだあいかた積みが採用されています。


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昨日の座喜味城跡とともに、琉球王国の栄華の象徴とも云える城塞を訪れ、沖縄がかつては独自の文化を育み、日本とは異なる国だったことを実感しました。

中村家住宅

国の重要文化財に指定されている中村家住宅は約280年前に建てられた農家で、中城城跡から歩いても10分で行ける近さにあります。琉球王国時代の住居の特色を備えた貴重な文化財です。

奥の入口前には「ひんぷん」という、魔除けとして家の正面に立つ塀が見えます。



シーサーは魔除けの神様


井戸


「メーヌヤー」と呼ばれる家畜小屋。それぞれの区画に種類毎に家畜がいた。


明治中期まで屋根は竹茅葺だった。




畳間は最大で6畳。当時の農家は6畳以上の部屋は許されなかったそうです。


暑い沖縄では風通し重視のつくり


貴重な文化財の補修

2021年に訪れた竹富島には、こうした沖縄の伝統建築が多く建ち並ぶ地区がありましたが、沖縄本島で当時のまま残る建築は極めて珍しいそうで、沖縄戦がいかに凄まじいものだったかを物語っています。沖縄が地上戦に巻き込まれなかったら、どんな素敵な家並みが残っていたことでしょう。

中村家住宅から更に北へ。勝連城跡方面へ向かう途中でお昼にソーキそばを食べました。味がよく沁みた柔らかい肉と優しい出汁が美味い。


山の上にある勝連城跡も中城城跡と同様に規模が大きくて、ここを見学していたら、この後行きたい識名園を見る時間がなくなってしまうので、残念ながら割愛としました。また次の機会に必ず!


那覇へ戻る前に、ここからすぐの海中道路を少しだけドライブ。沖縄本島の与勝半島と平安座島を結ぶ海中道路は4.7キロの橋で出来ていて、見渡す限りサンゴ礁の海が広がっていました。


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浜辺にはサンゴがゴロゴロ。箸置きにできそうなのをいくつか拾いました。


那覇に戻ってきました。沖縄の道路標識はハゲハゲが目立ちます。危ないよね?


識名園

識名園に到着。ここは18世紀末に作られた琉球王家最大の別邸で、保養所や他国からの賓客の接待などに使われました。ここも座喜味城跡や中城城跡などと共に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されています。

識名園は、大きな池のまわりを巡りながら移り変わる景色を楽しめる回遊式庭園です。目に入ってきた景色は中華風。



御殿(うどぅん)は、15も部屋がある大きな建築


風通しのいい屋内


農家だった中村家住宅とは違って6畳以上の広い部屋が並ぶ




琉球石灰岩で作られた橋


池に浮ぶ島に建つ東屋の六角堂から



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池の西側には南国のジャングルが広がる

識名園も沖縄戦で壊滅的な破壊を受け、返還後に大規模な修復工事を経て蘇ったそうですが、この石畳も破壊されたのでしょうか。


閉園の5時半まで正味1時間の滞在でしたが、とりあえず園内をゆっくり巡ることができました。

レンタカーを返して、国際通りでお買い物。まだ「コロナ禍」だった2年前と比べて、通りやお店には人が溢れていました。夕食は、国際通り沿いの「首里天楼」で琉球料理を頂きました。


一昨年は、 美栄というお店で琉球料理を食べて、沖縄の食文化の豊かさ、奥深さを実感しましたが、ここでもその時出た品がいくつか入っていて、昨夜の庶民の沖縄料理とはまた違った味を楽しみました。



かつては日本ではなかった沖縄

3度目の沖縄、2度目の沖縄本島の旅は2日間と短かったけれど、お天気にも恵まれて濃い旅となりました。そしてつくづく感じたのは、沖縄がかつては日本ではなく、琉球王国という独立した国だったということ。いわゆる日本のイメージとは異なる自然が広がり、異なる歴史を持ち、固有の豊かな文化が育まれてきたことを感じずにはいられません。そんな国を日本が併合して琉球が日本となったことで、沖縄は日本史上最悪の沖縄戦に巻き込まれ、戦後の長い米軍統治や今も続く基地問題など、多くの不幸や問題を抱えることになりました。これまでよく沖縄に独立運動が起きなかったものです(それともあった?)。そんな沖縄のことを知り、心を寄せることは、日本人としての努めではないでしょうか。このことを決して忘れることなく、素晴らしい沖縄をこれからも体験しに行きたいと思います。

このあと台湾にいくのにおみやげ買い過ぎたかな・・・


沖縄① 道の駅かでな~沖縄の基地問題を思う~
沖縄② 読谷村を巡る(やちむんの里、座喜味城跡、残波岬)
沖縄③ 南風原陸軍病院壕ガイドツアー
台湾旅行2024 ⓵ 古い街並みと日本家屋が残る大渓(近日公開予定)
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やっと来れた台湾 ~台湾リベンジ旅行2023~ (その1)台北、三義、台中
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