*** Plaisir de voyager ***

非日常的な旅で遭遇する色々な体験のお話です。Various enconters in unusual travels.

エベレスト街道トレック(17) キャンジュマへ  Everest Trail Trek (17) To Kyangjuma

2017-04-01 | エベレスト街道 Everet Trail

    ペリチェから見たカンテガ(左)とタムセルク(右)

 

エベレスト街道トレッッキング(17) キャンジュマへ

11日目:4月7日(火) 快晴のち曇り

行程:  ペリチェPeriche(4,240m) → ショマレ Shomare(4,010) → パンボチェ Panboche (3,930m) → デボチェ Deboche (3,710m) → タンボチェ Tengboche (3,860m) →プンキテンガ Phunki Tenga ( 3,250m) → キャンジュマ Kyangjuma (3,550m)

行程距離 ; 約16km

  朝、6時頃に起床しました。窓外に目にやると、ゾッキョの牧場があり、荷物を積んで出発するところでした。

   このロッジでは、朝からストーブに火が入っていたので、かじかんだ手を温めることができ、嬉しい限りでした。でも、ツナサンドとミルクコーヒーで朝食を取りましたが、パンの生地がまずかったのはがっかりでした。

   朝食後、南方を眺めると、カンテガ(6783m)とかタムセルク(6,618m)の真っ白な高峰が輝いていました。(記事冒頭の写真参照)

   ロッジを出発したのは、7時頃でした。

   ペリチェのロッジ

  タムセルクなどの景観に見やりながらペリチェ峠(4,270m)へのなだらかな坂道を登って行きました。峠には、色とりどりの布きれで包まれたモニュメントが立っていました。

    ペリチェ峠付近のモニュメント

  この付近には、背丈の低い灌木が点在していました。峠を下ると、渓谷の斜面に刻まれた小道となりますが、渓谷の底にはイムジャ川が流れているのが見えました。

  10時頃、ショマレ(4,010)の集落に到達したので、ここのロッジで一休みしました。

  再び、イムジャ川を見下ろす狭い山道を下りパンボチェ(3,985m)に向かって歩いていると、ゾッキョの群れとすれ違いました。

     ゾッキョの群れ

   パンボチェを過ぎると、巨大な荷物を背負って登ってくるシェルパに出会いました。 次いでさらに進むと、比較的規模の小さなチョルテン(仏塔)が現れました。

     

  大きな貨物を背負うシェルパ        街道脇のチョルテン

  ここを通り過ぎると渓谷を下る坂道となり、イムジャ川の畔に出ました。ここでは、長い列を組んで橋を渡り対岸を歩いているゾッキョが見えました。

 

  イムジャ川を渡って進むゾッキョの列

  橋を渡り左岸に沿った山道を下って、デボチェ(3,710m) に向かいました。デボチェに到着したときは昼過ぎになっていたので、ここのロッジで昼食休憩にしました。ほぼ、富士山の頂上と同じ高度です。

   デボチェのロッジ

  その後は登り道となり、タンボチェ(3,860m)に差し掛かると、今までの道中で何度も出会ったり、同じロッジに泊まったりしたこともある韓国系アメリカ人の女性とそのガイドに再会しました。彼女のガイドによると、この日はこのタンボチェに宿泊するとのことでした。私のガイドは、この日の目的地はさらに向うのキャンジュマと言っていましたので、私は彼女たちと別れを告げました。

  ここから、プンキテンガ( 3,250m)に向かいましたが、この道筋では、シャクナゲなど花を付けた樹木や常緑樹を見かけるようになり、ほのぼのとした気持ちになりました。 

   

  プンキテンガは、イムジャ川が流入するドゥドコシ川の畔に(3250m)がありますが、ここに到着したときは既に午後4時近くになっていました。プンキテンガのロッジの向こうには、吊り橋が架かっていました。橋を渡るとベーカリーがあったので、ここに立ち寄って紅茶を飲み菓子パンを食べながら休憩しました。この菓子パンは見かけは美味しそうでしたが、実際にはパサパサで味気なく半分も食べることができませんでした。

   

  ドゥドコシ川の架かる吊り橋        ベーカリーで食べた菓子パン 

  ところで、ここに到着したときは、ペリチェを出発してから9時間も歩いていたので、私は既にヘトヘトに疲れていました。今回のトレッキングで、これほど長時間歩いたことは一度もありませんでした。

  富士山よりも高い空気の希薄な高地を9時間も延々と歩いて来たので、ひどい疲れを感じたのは当然です。そこで、ぜひこのプンキテンガ辺りで宿泊したいと思い、ガイドのゴカルナ君に泊まれる場所を探すよう頼みました。ところが、彼はキャンジュマまで行くと強硬に主張しました。客先たるトレッカーの要望を聞き入れないガイドは、全く失礼千万です。

  このときに、目的地のキャンジュマまでの距離とか所要時間を彼に質問したのですが、的確に説明できないので、私はいらいらしました。これまでに幾度となくこのエベレスト街道でガイドを務めた経験がある筈なのに、答えられないのが不思議でした・・・?きっと、このガイドには、個人的に先を急ぐ事情があったのではないかと憶測しました。

  結局、ペリチェで私が荷物を預けたポー-ターがキャンジュマまで既に運んでいると言うので、やむなく妥協してキャンジュマを目指すことにしました。

  ところが、それから先の道はとんでもない苦行でした。プンキテンガからの行程は、登り坂の山道が延々と続いていたのです。下り坂ではないのです。これまでに富士山よりも高い山地を8時間も歩いて来た上に、さらに果てしない登り道を進むのは、地獄の苦しみでした。道中には、誰一人としてこの時間に歩いているトレッカーもシェルパもいなかったので、心細い思いも加わって悲壮感に包まれました。

  結果的に、キャンジュマに着いたのは夕方6時でした。プンキテンガからは2時間です。この時に味わった苦難は、決して忘れることはできません。少なくとも今後は、このガイドの提案する行程は、地図を見ながら厳しく吟味すべしと反省しました。

  ここで、思い出したことがあります。それは、タンボチェで別れた韓国系アメリカ人の女性と一緒だったガイドでした。彼は、日本語もできるチベット系の年配者でした。そのガイドは、日本人を案内した経験も豊富と話していましたが、基本的に案内する客先の立場をよく理解して対応するという思いやりがありました。私のガイドは自分の子供よりも若く、かつカスタマー・ファーストの意識が欠如したいました。従って、私に付き添ったガイドのゴカルナ君には、カスタマー・ファーストの精神をこんこんと説いて聞かせました。

  さて、キャンジュマのロッジにチェックイン後、ディンボチェ以来4日ぶりにシャワーを浴びました。お蔭で、疲れ切った体を癒すことができました。それから食堂に入り、これまで高山病予防のために9日間続けていた禁酒を解禁し、久しぶりにビールでリフレッシュしました。

   久しぶりに飲んだビール

  夕食を終えると、今夜はぐっすり眠って疲れが回復することを願いつつ、ベッドに入りました。


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