ぼくぽてちん忘備録

a chainless soul
ずーっと夏休み

ex-sakurai(無秩序神話)

2024-02-01 04:44:00 | 日記
師匠から「無秩序神話」というお話を聞いたんだけど
正解っちゃ正解なんだよね

もう一回去年の手帳を見てみる
そうだねぇ6月28日、深川署の帰りの車の中でおっぱじめたんだ
明治通りまで帰ってきて、花園神社の新しくなった方じゃないわけ分からない分岐のところだった
それから、なんだか日本社会を一巡したんじゃないかってくらい、色々なことを学んだり折衝したりしてきた
分かったことは、司法(特に新会社法)と税法の矛盾にこの国のシステムの限界をみて、
結果、姉との会話に家族という病をみた

そう、姉だけがex-sakuraiなんだよね
彼女の特異な表現で、全員とぶん殴り合いしたという手法を用いたが、realsakuraiだった
松田になって良かったね
忘れてた、おめでとう

一方その他の連中はsakuraiにかすりもしていなかった
母ですら自分の初婚を正当化のためにsakuraiを多用する
男どもが口にするsakuraiも酷いもんだった
私といえばもはや得体の分からない群れ、self-sakuraiにぶち込まれたようなもんだね
だから私が残った、のではない
喜んで抜けてあげたのよ
残滓も自滅していくことになるんだと思う
こっちはまだまだだから、何でもやってらっしゃい
それよりも久里浜行った方が良いと思うよ
真面目なはなし
みんな欲深いよねほんと
松本文春なんて、どっちでも良い
どっち派の意見も分かるし、司法が~なんてものこそ馬鹿げてる
寧ろ松本レベルでも後輩なんか使って、こんなサマか
結果、飽きて忘れる国民に辟易とするだけだろうなぁ


この7ヶ月全部当事者で、最前線でやってきたのよ
ほんとの一人で
敵も味方もそれぞれの立場から一斉にモノを言ってくる
それこそピボットを堅持してあらゆる角度からくるそれに対し正面から
敵味方関係なく話し尽くしたからよく分かった
それぞれの立場や職域で、それぞれ”死角”があるんだよね

士業や肩書には決して万能を期待してはならず、敢えて限界を課せられ、敢えて引き受けるもの
当事者そのものが万事であり、
アトム化された当事者のみが万能への挑戦権をもつ
だから怖く、面白い

そういうことに気づきながら、尊重しながら
ようやく辿り着いて、目の前に立ちはだかっていたものは
空疎なウソ、fake-sakuraiなのよ

総括してみれば
イチ対全体主義の発表会
遁走の終わりの始まり
断酒5年の満期
あっけないもんだったわ

ずっと首尾貫徹していたものの
遁走の終、その始まり
遁走先にできた2人のお友だちが褒めてくれた
苦手なご近所づきあいも、これならとても心地よい
路上生まれ路上育ちの人生のテーマ
「かんけーねーよこの野郎」
「遊びの時間は終わらない」
どんだけ偉くても関係ないし、いつまでもふざけたやつでいたかったけど
路上からも出なくちゃいけなさそうだし
久里浜に帰りたくても帰れないし
おうちだねぇ


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