ぼくぽてちん忘備録

a chainless soul
ずーっと夏休み

2019-07-24 09:44:49 | 日記
宗教とは、
というか愛とは、かな
これかを語る時には一人称も、三人称もなく
二人称単数か二人称複数であると思う

人類の歴史で強烈な神、
神、的なモノ、
つまり多数の民衆が崇敬する、
「物語若しくは明らかにヒト」
が現れた背景には、
文化、芸能、そしてそれを「支える哲学」
が存在する
「哲学」という言葉も実は結構新しく
私が言うのは「支える哲学」である

こんな時間だし変なテンションだから、
完全なる自論と仮説を以って臨む
政教分離、神仏分離は恐怖により行われる
宗教や神的な存在、これもまた人間の業により始まる恐怖により出現する
「出現」の要件は圧倒的大多数が民衆を、政治や軍事に影響を与える程の多数を
「文化、芸能、そしてそれを支える哲学」

「死生観やそれ、その他の生存の為の恐怖を解放する何か」
を与えて、誘導することに成功する
そしてそれを後世まで残すことに、
場所、文字を利用して成功する
ことが「宗教」である
2000年程前に大陸民族が領土量や軍事力量で人の価値そのものを比較している時に、「人間とは愛であるという文化芸能」で絶対的な人気を集めた、且つ、その事象それそのものをも凌駕する優れた哲学者(信徒からすれば「予言」となる)であるキリストが現れた。
日本であれば、神道や、弘法大師の密教真言も死生観を凌駕する、とても優れた哲学である
近年であれば谷口雅春さんなどは、とても優れた哲学者ではあるが、民衆に文化芸能死生観の危機や渇望や真摯に捉える環境がないことや、谷口さんがそれらを利用しなかった、
もしくは、環境的に、民衆の不安、混沌、秩序不均衡、貧困、戦争等の要因の欠如により、
二人称、三人称は神格化しなかったのかもしれない

強烈な文化芸能だと思う

私は、極めて不道徳な環境下で、「ヤクザ」という単純な包括種別からも見放され、極めて不道徳な権力に、毎日反芻して不道徳を教示され続けてきた。それはそれはひどく暗く、ひどく孤独な環境だった。
そして、私を育んだ権力がその物理的な生存中の影響までしか考えていないことと、決して治らないであろうことに気づき、
私は瞬間絶望する
そして、平原という愛に、やはり救いを求めたんだろうな
私は、排他的に平原の愛と哲学を盲信し、八百万の神々を崇敬する
これが私のクライテリア(標榜)である

私と彼の物語は、平成時代の日本の経済史を背景に語るとよく分かるのでこれを芯に表現を展開していくんだろうな。生き甲斐だよ
世に流布されている平原不良説は色々な人が色々残すだろうから、任せよう

だらだら書いてて面白かった

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