見出し画像

冥土院日本(MADE IN NIPPON)

母の死

                         (C) Photo by Mr.photon


今年も残り少なくなってしまいました。ここ一月あまりいろんな事の整理で公私共に多忙となり、ブログを中断せざるを得なくなってしまいました。ようやく再開です。


振り返ってみると今年はいろんなことがありました。その中でも一番の出来事は母が92歳で亡くなったことでした。母は臨死体験を二度もしたせいなのか、若い頃から大変霊感の強い人でした。人の心が読めたり、霊の姿を見ることも出来ました。また信仰心の大変厚い人でしたので、私は小さい頃から各地の神社、仏閣をはじめ、修験場や霊場と言われる場所に母に連れて行かれたものでした。母親という特別な存在を抜きにしても、今の自分という人間の形成に大きな影響を与えた人の一人でもありました。

気丈で快活な性格の母が入院したのは五年前のことでしたが、ここ三年間は完全にボケ症状が出て、元気な頃の母からは想像も出来ない程の変わりようでした。話をする事はおろか、私の顔や名前すら思い出せない状態が続いていました。

私は東京、母は福岡という生活でしたので、気にはなっても思うように見舞うことはできませんでした。最後に病院を訪れた時のことです。なんとなく生きている母に会えるのはこれが最後のような気がしました。目は開けているものの何の反応もしない母を見ていると『もう一度、母の声が聞きたい』という強い衝動にかられました。しかしそれは今となっては叶わない願いでした。

私は母の手を握りながら「母さんしばらく話をしていないね。元気なうちにもっと話をすれば良かったね」と語り掛けました。それから半年後、母の容態が悪化して危篤状態となりましたが、何とか持ちこたえました。小康状態とはいえ意識の無い状態が続いていました。

ある夜のことです。夢の中に母が現れました。その姿は何と四十そこそこの若さなのです。買い物籠を下げていて、私に一緒に買い物に行こうと誘うのです。そういえば私が幼稚園児の頃、母の後にくっついて市場に買い物に行くのがとても大好きでした。母は買い物をしながら、しきりに私に話しかけてきます。しかもその声も若い頃の声なのです。夢の中で私は母ととりとめの無い会話を楽しんでいました。

入院生活を始めて五年間、一度も母の夢など見たことはありませんでした。とっさに私は夢の中で、母が別れに来たのだと感じました。
私は『母さん、今夜はお別れにきたの?もう行くの?』と尋ねました。すると母は『貴方と話ししに来たとよ。まだすぐは行かん。もう少しする事がある』と答えました。その瞬間私は夢から覚めていました。

その夜から二週間後、私の姉と姪に看取られて母はあの世へと旅立ちました。


Copyright:(C) 2006 Mr.photon 

最近の「死後の世界」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2021年
人気記事