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冥土院日本(MADE IN NIPPON)

笑顔と拍手でお葬式

                          (C) Photo by Mr.photon


母の葬儀が始まりました。我が家の宗派は浄土真宗です。浄土真宗をご存知の方ならお分かりだと思いますが、葬儀で
あげられるお経がとても切なくて悲しいのです。 

『朝の紅顔、夕べの白骨・・・・』導師の読経が始まると親戚や参列者の中からすすり泣きが聞こえ始めました。やがて参列者全員でお花を棺に入れる段になると、悲しみも最高潮に盛り上がります。母と歳が近い遠縁の老婦人などは、明日はわが身と思われるのか、自分のことのように泣いています。(母の死を悲しんでいただくのは大変有難いことなのですが)正直言って私はこの陰々滅々たるお経が好きではありません。「ああこの世は無常である。人間の命など儚いものだ。泣け、悲しめ・・・」と言わんばかりです。

さていよいよ棺は霊柩車に載せられ、喪主の挨拶です。病の兄に代わって喪主を勤めた私は参列者への謝辞を述べた後、次のような趣旨の挨拶をしました。

「一人の人間の死というものはとても重い意味を持つ事実ではありますが、決して悲しみに満ちただけのものではありません。私も初めて肉親の死に直面した時は悲しくて、つらい思いをしました。しかし、この歳になって死後の世界や転生の仕組みが少し分かるようになりました。それからというものは以前のような悲しみを感じなくなりました」
 
寂しくないと言えばうそになりますが、むしろ今生の勤めと学びを終えて魂となって霊界へ戻ることは死んだ人の魂にとっては喜ばしいことであるはずです。なぜなら人というものは魂だけの存在が本質であって肉体を持つ存在の方が仮の姿であるからです」

そして最後にこう結びました

「明治生まれの母は大正、昭和、平成と四つの時代を生き抜いてきました。先の大戦では父と一緒に苦労をして築いた家や財産をすべて失い、幼い兄と姉を連れてソ連軍の砲弾の下をかいくぐりながら、命からがら満州から引き上げてきました。父はシベリアに抑留され、父が帰還するまでの四年間、女でひとつで、二人の子供を育てあげました。戦後の食糧難と貧困の上に、重い病にかかり、いっそ親子で心中しようかと思った事も度々であったそうです。しかし仏様の教えに救われ、92歳という長寿を頂きました」

「そして三人の子供、四人の孫、そして三人のひ孫に恵まれました。時代の激流の中で翻弄された苦難の人生ではありましたが、女として、妻として、母としての人生は幸せであったと思います。息子の口から申すのもおかしいのですが、本当に良くやったね、頑張ったねと褒めてやりたいと思います」

「そこで最後に皆様にお願いがございます。今日という日は母との別れではなく、母の魂の新しき旅立ちを祝う日だと思います。ですから涙ではなく、笑顔と拍手で送っていただければ、母もさぞかし喜ぶかと思う次第でございます」

こうして母は参列者の笑顔と拍手の中で見送られることになりました。葬儀会場と一転して、火葬場の待合室は終始和やかな雰囲気で、親戚、縁者の間には笑顔がこぼれていました。葬儀場で一番悲しみ、泣いてくださった遠縁の老婦人が、私のところへやって来てこう言ってくださいました。

「私にも近いうちにお迎えが来るでしょうが、貴方の挨拶を聞いて、死ぬことが少しばかり怖くなくなったような気がするわ。今日は本当にいいお葬式だったわね」


Copyright:(C) 2006 Mr.photon 

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