鬱病徒然日記

鬱病を患って早4年。一旦治癒したかと勘違いをし、更に悪化させてしまったどうしようもない人間の闘病日記。

オシャレと三宮と今の自分。

2006-09-20 16:16:08 | 回顧録
私は洋服が大好きだ。
買うことも着ることも。

しかし私が色気づきだしたのは齢にして19の頃だった。

それまでは服よりもゲームだったりCDだったり趣味への投資がほとんどだった。着ている物のほとんどはもらい物だった。

しかし生活の地を神戸に移してから世界はその姿を激変した。

その地、三宮は街が着飾っているような瀟洒な雰囲気で満たされていた。後々関西の最もお洒落な街である事を知った。

その中に放り出された羊のような田舎者。
あるはずないのだが、好奇と蔑みの視線を感じたのである。今思えばまったくの思い過ごしではあるが。たかだか田舎者の一人や二人に注目する人間などいやしない。道端の石ころに頓着しないのと一緒だ。

そこでその地の先輩にお洒落とはいかなるものかを教授された。すべてがカルチャーショック。

そこでひとつの難題にぶつかる。
『おしゃれショップに着ていく服がない』

もともとお洒落だったりする人は何のことか分からないだろうが要約すれば、戦地に赴くために戦闘服を買いに走らなければならないのだ。
戦地とは『服飾店』、戦闘服は文字通りその戦地へ行くとき着ていく『準お洒落服』だ。
私は当時イモいカッコウで戦地に赴く勇気がなかった。今では平気で行けるが。そもそもお客様がどんな格好していたってもてなすのが接客だ。

話は戻って、では当時の私はどうしたか?
お洒落服は三宮で買いたい、しかし戦闘服がないと勝てる気がしない(勘違いその1)。
そこで隣の隣の区のSATYまで原チャリを飛ばして戦闘服を買いにいった。そこのテナントがバリ安でそこそこお洒落に見える戦闘服を並べてあったからだ。
本物のお洒落服を買うために戦闘服に出費を割くのは甚だ馬鹿らしかったが、選択の余地はなかった(勘違いその2)。

ようやく戦闘服に袖を通し三宮へ向かった。

思えば若かった。

本当のオシャレは“如何に良いものを着るか”ではなく“如何にオシャレに着こなすか”であることをまだ知らなかったのである。

時は経ち私の現在のスタンダード(ガイドラインではない)、ユニクロ。でも誰にも気づかせない。それが自慢だ。

そんな私も難治性鬱病と診断を下されて1年。この1年全く服は買っていない。興味そのものが向かないのである。

それでも気持ち的には少し秋モノ・冬モノが欲しくなってきている。よい兆候だ。
普通の鬱患者は日照時間の長い夏、調子が良いらしいのだが、私は全くの逆だ。冬が大好きだ。
あのピンと張り詰めた空気、白い息、暖かな毛布に包まれて眠る心地よさ、そして大好きなコートを着ることができる。なにより健常人にだけ向かってその顔を出しているんじゃないかと思える憎い太陽がなかなか顔を出さないのも要因のひとつだ。置いてけぼり感が少ない。まあ妄言だが。

この冬は新しいコートでも買ってみようか。