ぺるちえ覚書

兎追いしかの山… 懐かしい古里の思い出や家族のこと、日々の感想を、和文と仏文で綴ります。

アートは変わらない

2020-06-01 02:25:11 | 日記/覚え書き

ロックダウン解除になって2週間以上経った今も、パリの美術館や映画館、劇場はまだ休館閉鎖のまま。 再開は早くても今月末か7月の初めになるそうです。 毎年恒例だったカンヌ映画祭やアヴィニョン演劇祭も今年は開催中止になってしまい、私の記憶する限りでは初めてのこと。 夏の東京オリンピックが延期になったくらいですから仕方のない事とは言え、いちフアンとしてはさみしい限りです。 

 
それにしても、毎日、毎年、あたりまえにしていたコトが突然そうでなくなると、それまでの普通の生活が、実はそれほど確かでも揺るぎないモノでもなかったことを知らされてハッとします。 ある日突然、家から自由に出られなくなったり、学校でクラスメートと一緒に勉強することも、オフィスで同僚と打合せすることも、友達とカフェでお茶することも出来なくなるなんて、パリにいる私の周りの誰にも、ついこの間までは想像もできなかったはず。
 
非常事態と言えば、今やひと昔まえのコトになりますが、2001年9月11日に米国で起きたテロ同時多発事件が思い出されます。 ハイジャックされた2機の旅客機がNYのWTCに突っ込んでツイン・タワーが崩れ落ちてゆく映像をテレビで見た瞬間の、どうしてもそれが現実とは信じられない茫然とした感覚と、感情すら起こらないフリーズした気持ちを思い出します。 実はその当時、NYには弟が住んでいたり、親しかった写真家仲間がブルックリンやマンハッタンに何人もいてよく彼らに会いにNYへ行っていたので、私の受けたショックは殊更でした。 特にその数日前にペルピニャン報道写真祭で合流してフェスティバルを一緒に過ごし、事件前日の9月10日にパリからNYへ戻っていた友人がまさにWTCのあったダウンタウンに住んでいて、いくら電話をしても繋がらなくてようやく無事が分かるまでどんなに心配したことか!  そしてその後に続いたアフガニスタンとイラクへの米軍の報復?侵攻。 報道写真家の友人知人たちは、老若男女、エキスパートも新人も、我も我もと米軍を追うようにして重装備で取材に旅立って行き、「君も行かないの?」と誰かに聞かれて一瞬考えたけど、何かに群がるように戦地を目指して行く彼らを見ながら、やっぱりそれは私の仕事ではないなあ、とそのとき感じたのを覚えています。それはおそらく正義感や使命感、大義名分だけではできない仕事。 それがその人にとって必然でなければ出来ない仕事のひとつだと思います。 それに、この時の米軍のイラク侵攻は、当時アメリカの要請を断ってフランスの出兵を拒否したシラク大統領が言った通り、中東が現在のカオスへと向かう始まりとなりました。
 
もちろんあの時の状況と今の状況を同じように比べることは出来ないのですが…。 疫病による世界規模の非常事態(パンデミック)が100年前のスペイン風邪以来だからかも知れませんが、マクロン大統領がロックダウン直前のTV演説で使った「我々は戦争の只中にある」 "Nous sommes en guerre." と言う表現には、現代の対テロリストの報復戦争を彷彿とさせるものがあります。 でもウイルスとの戦争は、敵との共生が終結へのキーワードかも知れませんね。
 
さて、話がずいぶん飛んでしまいましたが。。。(笑)
 
ロックダウンの間、ありがたいことにテレビではカンヌ映画祭の特集が組まれて新旧のフェスティバル参加作品が特別放映されたり、コメディ・フランセーズ演じるロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」やモリエールの「人間ぎらい」など素晴らしい舞台の映像がプログラムに目白押しに。 パリのオペラ座やフィルハーモニア、ボビノ劇場なども次々にとっておきの舞台映像をネットで特別公開してくれて、家に居ながらにしていつになく豊かな文化的時間を家族で過ごすことができました。 普段、お芝居を観にゆこうなんて誘っても渋るだけの中学生の息子も、テレビの前のカウチに寝転がってですが(笑)、最後まで一緒に飽きずにモリエールを観劇。 なかなか嬉しいひとときでした。 
 
こうして毎晩のように、映画や演劇、コンサートなどを家で楽しんでいて思い出したのは、むかーし、私が日本でまだ学生だった昭和60年代(歳がバレル~ 笑)、池袋や中野の映画館や、今は無き六本木WAVEのシネヴィヴァンなどにひとりで平気でレイトショーを観に行っていたこと。 唐十郎さんのテント芝居や寺山修司さんの天井桟敷の元メンバーが集まって舞台をやると聞けばそれも一人で観に行ったりと、ともかく映像や舞台を観ることにハングリーでした。 当時はまだ渋谷の東京山手教会の地下にあったジァン・ジァンがなくなる前で、いちどはそこで観たい!と思っていた美輪明宏さんのライブを観に行ったのも覚えてます(笑)。 それらの多くはその時すでにひと時代前のアングラ・アートの残像のような感もあったのですが、そこにまだ残っていたあの時代特有の空気感(l'Atmosphère)を肌で感じられたのはよかったなと、何となく思っています。 当時の私にはそれがとても魅力的だったようです。 
 
パリに来てからも劇場や映画館や美術館にはしょっちゅう通っていました。 溝口健二監督や小津安二郎監督の作品を初めてちゃんと観たのもパリに来てからでした。 フランスの美術学生は公立の美術館に無料で入れるので、その頃は本当に気ままに好きなだけルーブル美術館やオルセー美術館に行っていました。 ちょっと時間ができたらルーブル美術館でぶらぶら散歩、なんて贅沢な時間だったことか! 
 
ホンモノのアートは時間を超えて残ります。  音楽も演劇も映像も、詩も文学も、絵画や彫刻も、インスタレーションや建築も。 世の中がどんなに変わっても芸術は変わることなく私たちの魂を潤してくれます。
 
皆さまどうぞご自愛下さい。




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