ぺるちえ覚書

兎追いしかの山… 懐かしい古里の思い出や家族のこと、日々の感想を、和文と仏文で綴ります。

日記 2023年9月14日

2023-09-14 23:01:45 | 日記/覚え書き
この夏、3年ぶりに帰省していた日本から8月24日パリに戻った。戻ってからは、9月からグランゼコール予科生となった息子の下宿のことやなんやらでバタバタと時間が過ぎてしまった。高校を卒業した息子がまかりなりにも家を離れて(毎週末、洗濯物を持って帰ってくるけど!)これでまた人生の一段落かな、と。ひとつの転期を感じる。不器用で一度に一つのことしかできないモノタッシュな自分としては、これからまた何をするか真剣に考えないと生けないなと思う。ブログもやり掛けでしばらく書いていなかった!ひとまず、後からになるけど、この夏からの日記を付けてみようと決める。(実はこの夏、ずいぶん前にネットで注文して実家に届いていた「富士日記」の武田百合子さんのロシア紀行記「犬が星見た」を読んだので、その影響は大。)


7月12日(水)
今日から息子と二人で、私は3年ぶり、息子は4年ぶりに日本に帰省。朝9時40分CDG発のAF羽田便で浜町の実家に向かう。今朝ちょうど同じくCDG空港から出張に出る夫が車で一緒に送ってくれる。

飛行機運賃はコロナ禍前の2倍なのに、エコノミークラスの機内は満席。3人がけの私の隣は一人は40歳もう一人は24歳だと言う、いずれも北アフリカ系フランス人男性の二人連れ。マルセイユからコロニードヴァカンス(サマーキャンプ)で2打ほどの15歳を引率するモニター(引率者)とのこと。彼らの後ろの席には賑やかな青年や娘さん達のグループが座っていた。フランスから日本にサマーキャンプに来るなんて贅沢な!と驚く。

飛行機の離陸が20分ほど遅れる。機内に閉じ込められたまま、みな大人しく座って待っている。飛んでからも後ろの方の席なので飲食のサービスもなかなか来ない。私はベジタリアンミールなので一人だけ早く来てしまうが、遠慮せずにさっさと食べてしまう。

モニターの彼らは海外旅行は初めての様子で、入国手続きの書類の書き方がわからず聞いてくる。現地では通訳の人が待っているの?と聞くと「いない」と言う。日本は安全でみな親切だから通訳はいらないと言われたとのこと。

到着まで映画を3〜4本みて少し眠る。スピルバーグが映画監督になる原体験を描いた自伝的作品「フェイブルマンズ」がとてもよかった。流石。


7月13日(木)
予定時刻を少し遅れて朝6時過ぎに羽田に到着する。羽田まで都営浅草線が乗り入れているから地下鉄で東日本橋へ。時間調整も兼ねて、実家に戻る前に駅のそばのドトールでコーヒーとチーズトースト(私)、焼肉サンドイッチ(息子)の朝食を取り直す。近くに酵母パンのパン屋を見つけて、出発前に頼まれていた母の朝食用のパンを買う。

実家に着くと母はまだベッドの上で休んでいた。なんだかまた小さく萎んで青白く、弱々しくなったように感じる。パリのロックダウンが解けた直後、コロナ禍初期の3年前、父危篤の知らせでようやくの思いで帰省した初日に見た、あの時の母と同じ印象。あの時は2ヶ月ほど毎日一緒に暮らしたらずいぶん生気が戻って「あなたのせいで太ったわ」と怒られた。もっと簡単にちょくちょく帰って来れなくて申し訳なく感じる。時間と共に誰も若返りはしないんだから。

家の中は郵便物、小包、広告、雑誌、メモ、食べかけの菓子、その他もろもろがあちこちに置かれ、サロンにある大きな食卓テーブルも3分の2が雑雑と埋まったままになっている。玄関や部屋の隅々には届けられた様々なサプリや化粧品の箱が山積み。それも同じ箱がいくつもある。部屋の様子が前回の帰省時と比べても母がさらに弱ってきていることを如実に物語っていた。とりあえず整理を始める。息子も布団出しなど手伝ってくれる。母に聞きながら息子の布団、父の部屋だった寝室に、私の布団、仏間に敷いてくれる。助かる。


今日はこれくらいで。
続きはまた次回。

写真は昨日の散歩、ヌイイのラ・ジャット島から見たセーヌ川。


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