ぺるちえ覚書

兎追いしかの山… 懐かしい古里の思い出や家族のこと、日々の感想を、和文と仏文で綴ります。

美容室を巡る冒険

2020-05-28 17:07:59 | 日記/覚え書き
ロックダウン解除で久しぶりに美容室へ行ってきました! 
3ヶ月近くどこもお店を閉めていたから、お客さんが殺到。 予約が取れたのが昨日でした。 それも今回初めて行く、近所の美容室〜

実はこちらでは安心して任せられる町の美容師さんを見つけるのがなかなか至難の技。 技術も値段も高い高級有名店なら別でしょうが、こちらのアヴェレージなヘアサロンで日本人女性の髪を切らせて合格点を取れる美容師さんは、在仏歴ン十年の私の経験から言っても、まあ三人に一人くらいかな?と思います。 フランス人の髪質に慣れているこちらの平均的な美容師さんにとっては、カットの誤魔化しが全然きかない日本人の直毛と髪質は、か・な・り・難しいようです。 その上、美容師さんにこちらの希望を伝えるコミュニケーションの問題もあるので、パリに住んでいる日本人の知り合いの多くはあえて冒険せずに、慣れていて信頼のできる日本人経営の美容室や出張美容師さんにお願いする、とよく聞きます。 

なのですが、 私が普段使いの美容室に求めるのは家から近くてサクッと便利に行けること、基本的なカット技術がOKであること、そしてリーズナブルなお値段であること、の三つのみ。 ともかく近いのが一番。 髪はまた伸びるし多少の冒険もOK!なタイプなので、わざわざ毎回パリの日本人美容師さんにお願いするほどの事もないかな… と。 

しかし冒険にリスクは付きもの。 そしてパリ市から郊外のクールブヴォワ市に10年ほど前に引っ越して来てからと言うのも、この美容室を巡る冒険のリスク(危険度)はいっそう高まったと言わざるを得ません。。。 

クールブヴォワ市はパリの中心からメトロで西に30分ほどにある、なーんにもない小さな町。 パリの隣にありながら美容室に限らず、本当にもう「なぜ?」と涙が出るほどの文化的不毛地帯なのです。 家から歩いて行ける範囲には、展覧会やコンサートは言うに及ばず、気の利いたレストランやバー、カフェのひとつもない "un désert culturel" (文化沙漠)。 実は長年住んだパリを離れたくなかった私、引っ越し前には夫と喧嘩になったくらい(泣)。 特筆できるのは、むかし作家セリーヌが町医者として診療所を開いていたことと、知る人ぞ知るクラッシック・カーの修理工場(ガレージ)が家の目の前にあること!くらい。(笑)  なんでそんな町に住んでいるの?なのですが、そりゃあ市内では手の届かない空間と庭があるからです。 あとテニス・クラブも近い(笑)。  "On ne peut pas tout avoir!" 

で、美容室ですが。。。 

パリ市内にいた頃は近所に数軒、気に入った美容師さんのいる安心して行ける美容室がありました。 それが引っ越して来てからは、まあ見つからないこと!(涙) 何軒か試した美容室も、シャンプー中に耳に水が入っても気にしない、なんてのが普通のレベル。 もっとヒドイと美容師さんがシャンプーしている間中、ずっと隣の同僚と仕事と関係のない無駄話しで笑っていたりする…(汗)。 

まあ、問題がシャンプーだけならまだよいのですが。。。

引っ越して来てからしばらくして、家から自転車で10分ほどの距離にある某フランチャイズのヘアサロンに、「この人ならOK」と思える美容師さんをやっと一人見つけたことがありました。 ああ、よかった〜!と、しばらくの間は安心して彼女のお世話になっていたのですが。。。  

そのヘア・サロンは予約を取らないシステムだったので電話も入れずに、ある日、またそろそろカットしてもらおうとチリリーンと自転車に乗っていつもの美容師さんの元へ。 受付で彼女の名前を言うと、先月辞めてしまったと言うではないですか!(涙) しょうがなく代わりに担当になったのは、その日初めて見る若い黒人女性の美容師さん。 手足のあちこちに怪しげな刺青があって「もしかして昨日は明け方まで遊んでたの?」と尋ねたくなるような、目がまだ半分あちら側にいる雰囲気の見るからに、かーなーりー、危ない感じの人。 でも前の担当者は辞めてしまっているし、外見だけで「この人はイヤだ」とも言えず(人種差別に捉えられる恐れ)…。 シャンプー後、鏡台の前に座らされてカンネンして待っていると… 彼女のマイ・ポーチと思われるヨレッとした道具入れから取り出すハサミや櫛も(え、それキレイ? 使うの?)…なんだかとても怪しげではないですか。 もうすっごい不安に。(涙) 

そして恐れていた通り。。。

彼女は私の髪をカットしながら、なぜか整髪剤?を大量に私の頭にすり込み続けるのです(黒人特有の縮毛を伸ばすテクニックだったのか?)。 どうも彼女のカット技術では髪形が決まらず、どうにもならなくなって整髪剤で無理やり形を整えようとしていた気配が…(汗)。 もう不安を通り越して、気持ち悪く不愉快に。 さすがの私も我慢に耐えかねて、「整髪剤を洗い落としてください」と、有無を言わさぬ厳しいトーンで言い、シャンプーをやり直してもらうことに。 ともかくブローをして貰い、早々にお仕舞いに。 カットは家に帰って自分で手直しして多少はどうにかフォロー。。。

当然それ以来、そのヘアサロンには戻っていません。
美容室を巡る冒険の見事なほどの失敗談でした。

ちなみに、昨日行った近所の新しい美容室はシンプルですが明るくて清潔。 担当してくれた美容師さんも清潔感のある感じのよいカワイイ女性でした。 ロックダウン中に自分で切ろうとして、無残なザンギリ・狼カット風(昭和〜 笑)になっていた私の頭を見た彼女、「あら〜」と新型コロナ予防対策のマスク越しに苦笑。 「そうなんです、やめておけばよかった!」 と、こちらもマスク越しに言ったら、「。。。皆さん、ご自分でどうにか凌いでられましたからね〜」とやさしく慰められ…(笑)。 今のところ、美容室のお客さんも美容師さんもマスク着用が義務。 カットするのにマスクが邪魔じゃないですか?と聞いたら、もう慣れたから大丈夫ですよ!とのこと。 ザクッと思いきり10cmほど短かくしてもらい、カットにグラデーションを少しつけた、肩につくセミロングでキレイに整えて貰えました。 しばらくはこの美容室にお世話になれそうです。 (よかった〜)

Fabio Salsa - Hairdresser Courbevoie
http://www.fabiosalsa.com/salon-3307/coiffeur/60-boulevard-de-la-paix-92400-courbevoie-becon

早くまた日本のヘアサロンでゆっくり癒されたい〜。 
次はいつ行けるかしら。。。? 

早く世界中の新型コロナ騒動が収まることを心から祈りつつ。
皆さま、どうぞご自愛下さい。



イメージ革命と手縫いマスク

2020-05-22 17:22:39 | 日記/覚え書き
ロックダウンが段階的解除になってから、フランスでもマスク姿で外を歩く人が多くなりました。 実はこれ、フランス人にとってはなかなかの意識革命なのです。

以前はインフルの季節に多少ゴホゴホしていようと、花粉症の季節でズルズル、クッシュンであろうと、フランスで外でマスクをしている人はまずいませんでした(涙)。 文化の違いとしか説明のしようがないのですが、こちらでは「顔を隠している」こと自体がまずは非常に怪しいことで、ましてやマスクは病気(うつる危険)の印であり忌むべき姿… みたいな感じだったのです。 だから多少ゴホゴホ、ズルズルしていても、周囲の社会的不安を掻き立てるネガティヴなイメージしかなかったマスクの着用はまず考えられなかったのです。 マスクは自分を守る為だけでなく、周囲に菌を撒き散らさないための配慮(エチケット)として着用するものだ、という理解も社会的にポジティブなイメージもなかったのですね。 なので意外にガンコな夫など、未だにマスクを付けて外に出るのはかなりの抵抗があるようです。 。。

でも新型コロナのお陰で、マスクはようやくフランスでも市民権を獲得しつつあります! 

ちょっと前まで品薄で市販のマスクがなかなか購入できなかったこともあり、最近はこちらでもマスクの手作りが普及して、オシャレな布マスクを付けて歩いている人も少なくありません。 パリではないですが、ロンドンに住むある友人など、美しく染められたインド綿で手作りしたマスクをしていたらご近所でカワイイ!と評判になり、今や一人では捌き切れない程の注文を受けるまでに。 マスクが必要な病院や施設からの注文のほか、自分のドレスと同じ布地でマスクを作って欲しい!など、色々な注文があるそうです。 

ロックダウン解除後のフランスでは公共交通手段を使う場合のマスクの着用が義務となり、自治体によっては日本のように無料マスクを市民に配布しています。 ちなみにパリ市は住民が多過ぎるせいか、残念ながら市民への自動的なマスクの無料配布は行われていないようです。

さて、我が家のあるクールブヴォワ市はどうだろう?と市役所に問い合わせたところ、市民へのマスクの無料配布を少しずつ進めていて、マスク作りのボランティアを募集しているとのこと。 つい先日パリ市在住の友人たちが、病院で不足している使い捨ての医療用上っぱり(ブルーズ)の代用品を、ゴミ用ポリ袋で作るボランティアをしていると聞いて、おお、なんと素晴らしいことよ!と感心し、自分の役立たずを恥じていた矢先。 ここはひとつ私もいち市民として少しでもお役に立たなければと、自分の超不器用をすっかり忘れてすぐさまボランティアに応募。 

翌日さっそく市役所の担当者から電話があり、必要な材料はこちらで準備してあるので、作り方の説明書を付けた制作キットを渡すから取りに来て下さい、とのこと。 指定された月曜日の朝に市役所の窓口に受け取りに行くと、「はい、じゃあ来週の月曜日に持って来てね」と、リストにある私の名前をチェックしてキットを渡してくれた好青年。。。 え?手縫いマスク50枚を1週間後は私にはちょっとキツイかも… とたじろぎながらも、「あは、出来るだけやってみますね」と笑顔でお茶を濁して帰宅。 もしや自分のキャパでは無理なことを引き受けてしまったのでは?と、恐る恐るキットの中を除くと、中にはマスク50枚分の正方形に切られた2種類の白い布の束と耳掛けゴムの束、そしてミシン糸のボビンが。 同封の作り方も当然ミシン仕様。 ミシンありますか?なんて聞かれなかったけど、そりゃあそうよね、マスク縫いのボランティアはミシン持ってるが前提よね!と、自分の間抜けさに一瞬呆然。 困ったなあ…、手縫いでもよければやってみますが、お急ぎだったらキットをお返しします、と担当者にメッセージを残したのですが、今のところお返事は頂けず。。。 

毎日ぽちぽちとマスクの手縫いを楽しんでいます。 でもあまりにも不器用で一日に1〜2つしか作れません!(笑) 

皆さま、どうぞご自愛下さい。


新型ウイルスと週末テニス

2020-05-16 08:00:39 | 日記/覚え書き
フランスは2ヶ月に及んだ外出制限が解除されて初めての週末! とは言え、段階的解除で条件付き。 新型ウイルス予防対策ジェスチャー(マスクの着用、挨拶のキスはなし、手の洗浄…)に、ソーシャル・ディスタンス1m以上を守ること、移動距離は居住地から100km以内、10人以上で集まらないこと…などなど。 それでも晴れての週末を久しぶりに市外で過ごそうと、パリから比較的近場のフォンテーヌブローやノルマンディ方面を目指す脱出組パリジャンの車で金曜日の午後は渋滞に…。 

そんな中、やはり外出制限になってからずっと閉鎖されていた、夫が子供時代から通っているテニス・クラブもようやく再開される!という嬉しいニュースが届きました。 ただ再開とはいえ、併設されているトレーニング・ルームやシャワー、プールやサウナなどの一箇所に大勢が集まる施設は今のところ使えず、屋外のテニス・コートでのプレーのみがOK。 それも「政府からテニス協会に通達された予防対策を厳守の上で」とのことで、テニス・コートを会員専用のサイトから予約して、自分のプレー時間の前後20分間しかクラブ内にいてはダメ、プレー中も各自がテニス・ボールに名前を書いて使用し、マイ・ボールにしか手で触ってはいけない、…という厳しさ。 

テニスをするのもなんだか大変。

それでも、再開を待ちわびていた夫はさっそく息子を連れてテニス・クラブへ。 同じく、再開を今か今かと待っていた大のテニス好きの三番目の義理兄一家や夫の甥っ子もクラブで落ち合うことに(ちなみに夫は7人兄弟姉妹の末っ子で、兄と姉が3人ずついます)。 義理兄はプレー中に2度ほど間違えて相手のボールを拾って触っちゃったけど黙ってた〜、とのこと。(笑) 夫は息子を相手にプレーしたので、さすがにマイ・ボールの件は気にせずにテニスを楽しんだとのこと。 二人はこうして新型ウイルス流行後、初のテニスをなんだかんだ楽しんで帰宅。 …そこまでは良かったのですが、翌日、夫がまたサイトからコートの予約を入れたところ、クラブから折り返し電話が。 「誠に申し訳ないけど、前回のプレー時にクラブ内滞在時間を5分間オーバーしたので、三日間のクラブ出入り禁止です」とのお達しを受けてしまい、ビックリ!  実は自分達のプレーが終わった後、そのコートに次の予約が入っておらず誰も来なかったので、普段のように気にせずにちょっと長めにコートに残っていたらしい。 夫の姉の友人も同じように油断して一時出入り禁止になってしまったとのこと。 はじめは「幾らなんでも厳しすぎる〜!」とぶーぶー文句を言っていたものの、でも確かにそのくらい厳しくしないと(フランスでは)誰もこんな規則は守らないよね、と変な納得の仕方をして、夫も大人しく三日間待つことに。。。 

「ブーローニュの森のサークル」もしくは「鳩撃ち」

ブーローニュの森にあるこのテニス・クラブ、実は100年を越える歴史があります。 敷地内には昔は冬に氷が張るとオシャレなパリジャン、パリジェンヌ達がスケートを楽しみにやって来た池もあり、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」にも一度だけ名前が出てくるそうです。 当時はここで、生きた鳩を使った鳩撃ちもスポーツとして行なわれていたそうで、ちょっと前までクラブは「鳩撃ち」という名前で呼ばれていました。 今は名前から「鳩」をはずして「撃ち(シューティング)」だけになっています(笑)。 風情もなかなか伝統的で、ウインブルドンのようにコートでプレーする会員は白のテニス・ウエア着用がルール(色付きのウエアを着ていると怒られる)。 ハード・コートのほかにロラン・ガロスと同じクレー・コートも5つあり、全仏オープンの時期になると、大会に出場する海外からの選手達がときどき肩慣らしにやって来ます。 ナダル選手などが来た時は子供達はもう大喜びです!(大人もですが〜) 私は最近は下手なテニスもしないので、夏たま〜に義理姉達に会いにプールに行くくらいです。 (。。。テニスまた習おうかしら?) 

外出規制中、人恋しくて仕方のなかった夫。 この週末はお天気もよく庭でBBQ日和〜。 毎晩のように義理姉兄達、夫の長男とそのママ(仲よし)などなどが入れ替わり立ち替わりにやって来て、久々に賑やかな夕食時を楽しみました。 

今のところ、夫は在宅ワークを継続中、息子の学校も再開の目処は立っておらず、もしかするとこのまま夏休みに突入の可能性も。。。 こちらもまだまだ普通の生活からはほど遠い状態ですが、日々、油断をせずに健康に過ごすことが一番ですね。 

皆さまも、どうぞ引き続きご自愛ください。



"Il faut que j'existe !" 夫婦喧嘩とカルチャー・ギャップ

2020-05-13 11:52:13 | 日記/覚え書き
ブログの書き方がよく分からず何だかあわててアップしてしまい、「あ''〜 やっぱり違った!」というダメ出しが続出、一度つけたタイトルさえ二転三転。 そんな中途半端なアップを読んでしまわれた方、本当に申し訳ございません。 どうか平にご容赦を。

実は先日もこの前の投稿を「あ''〜」と頭を抱えて、ひとり居間のソファーで見なおしておりました。 その日は日曜日で(外出制限になってから曜日の感覚はゼロなのですが)、お昼ゴハンはそれぞれで適当にサンドイッチでもつまんで済まそうね、と夫と言っていたのですが、しばらくするとお腹を空かせた外出自粛中7/7、24/24在宅の家族が居間に現れ、何となくまとわり付き始め… 私の近距離でブイーンブイーンと旋回運動を始めるではないですか! それも息子ではなく、夫が!です。 

始めのうちはできる限り優しくやわらか〜く受け応えしていた私も、編集画面とにらめっこしている頭の真上でブイーブイーブイーと小回りが始まるに至って… あーまたか、またですか、またこれですかっ!!と、胃のあたりに怒りのボルテージがフツフツと湧き上がり… 「あのね、 ちょっと悪いけど、いま取り込み中だから少しほっといてもらえない?」と冷たく言い放ってその場を退場。 心の隅にうっすらと罪悪感を感じながらも、なぜこんなにフツフツっと感情が沸き起こってしまうのか、と。。。 

"Il faut que j'existe !"

根は私の一千万倍も優しい夫なのですが、悪いところを、あ・え・て・ひとつ取り上げて言うと、個人主義のフランス人にしても人並み外れた自己中のうえ超ニーディーな性格。 基本が甘えん坊の末っ子で己の「気持イイ〜、気分エエ〜」がすべての基準になっているのです(気持ちはわかるけどね)。 最大の問題点は「でもそれは周りの人たちも本当は同じなのだよ」ということがほぼ全く分からないこと。 そういう他に対する感性がもうスッポリと欠落しているとしか言いようのないレベルなのです!(義理母も同じような所があり遺伝説も…汗)。 どうも、相手の身になって物事を考えてみる、ということが分からないようなのです。 想像力の欠如です。 

一方、私は生まれながらの冷め型自己中ひとりが好き派で戦歴も長い(笑)。 フランスに来てから結婚するまでずっと自分ひとりの時間と空間をキープして作品を作って暮らしていたのです。 実は家庭を持ってから仕事を続けられなかった理由のひとつは(もちろん自分の不器用さが主な原因ですが)、この制作に必要な空間と時間の自由(物理的だけではない)を、夫にまったく理解してもらえなかったことだと言えます。 バツイチの彼は私と付き合い始めてしばらくして、長男(当時12歳、週1+隔週末はパパと一緒)と共に私の生活空間兼仕事場だった1,5LDKのアパートに転がり込んで来たのですが…、 その頃からそういう気遣いは一切なかった(涙)。 でも今それを言うと、「じゃあなんでその時にそう言わなかったのよ?」で、えっ?悪いのは私?ということに(涙)。 だからそれもご縁、私自身の選択。 あの時の私は(そして今も)何よりも自分の家族が欲しかったのだから。

兎も角、夫婦としてはもともと「水と油」で難のある組み合わせ(どうして一緒になれたのか、謎。 これぞタイミングの妙! 笑)。 今までにいったい何度こうして暴風雨が、嵐が、炸裂したことか! それでもかれこれ15年も保っているのは、二人ともアクの強さでは力のバランスが取れているからでしょう。 なにせフランスでは何でも自己申告制、請求制。 あなたの事はあなたが自分ではっきり相手に言わなければ、だれも察したりはしてくれません(強くなる〜)。 遠慮なく、嫌ならイヤ、必要なものがあればそれが必要と、言ってしまって良いのです。 逆にそれを言わない方がおかしいと思われるくらい。 それで、根に優しさと思い遣りがあればOKなのです。 

最近は私も多少の年の功で、グッと怒りを鎮めて(でも声に軽くドスを効かせて)「お互いにイロイロ文句はあるけど家族でしょ?」という、自分の中に作ったブレない落とし所に持っていけるように少しは成ってきました。 (日々是修行、続行中)

ところで、歴史を振り返れば1968年5月(Mai 68)でそれまでの保守的な社会的価値観をラジカルに否定した当時のフランスの若者たち(特にパリ市民)。 その余波で今では「家族」という概念自体がフランスでは過去のもになり崩壊しつつあるのではないか?と思うこともあります。 結婚も家庭も、私/俺がイヤならスグやめればいい的な感がなきにしも非ずで(これは夫の言動からも伺える)、息子が通っていたパリ市内の小学校などもクラスの半分以上の子供達が離婚家庭で育っていました。 だから子供達にとっても親の離婚なんぞ珍しくもない普通のことで、離婚した元夫婦も多くは近くに住み、よい関係を保って、子供は父親の家と母親の家を週の半々で往き来して暮らしたりしています。 最初から面倒くさいだけ?の結婚なんてしないで子供を作り家庭を持つカップルや、片方が離婚経験者もしくは離婚経験者同士で連れ子と一緒に新たに家族を再構成する「famille recomposée」も多く、かく言う私の夫も前述の通りバツイチ子持ちでした。 最近では日本もずいぶん変わったと思いますが、こちらの「家族」のあり方・考え方はずいぶん自由で多様です。

もちろん中には今でも伝統的な価値観を大切にしている家族もあります。 多くは敬虔なカトリック信者で教会の活動に熱心な大家族。 子沢山が多いです。 親戚や友人が一同に集い、神さまの祝福を受ける教会での結婚式にはヨーロッパ本来の風情があってやっぱり素敵です。 夫の長兄一家がそうで、7人の子供を持つ大家族。 その7人の子供達も皆かなり早くに結婚して家庭を持ち、義兄夫婦にはすでに1ダース以上の孫達がいます(名前を全部覚えきれない… 涙)。 同じ家の兄弟姉妹でも、考え方も生き方もそれぞれ違い自由です。 

どんな形であれ家族って大切だなあと思います。 
だから、毎日いろいろ大変だけど、ありがとう私の家族。

皆さま、今日もご自愛下さい。

*タイトルの写真は1957年夫の叔父の結婚式。 叔父夫婦のダイヤモンド婚のお祝いのカードから。

ビギナーズ・ラックと人生のタイミング

2020-05-10 05:02:43 | 日記/覚え書き
今夜のパリは久しぶりに稲妻を伴った激しい雨。 夜空が明るくなるほどの閃光とドロロローンという轟に胸がワクワク、ソワソワします。 子供の頃はよく部屋を真っ暗にして、まるで花火でも見るかのように窓から夜空を走る稲妻を見るのが好きでした。 季節外れの低気圧で、こちらはこれからしばらく雨模様が続くようです。

さて、今日でブログを始めて10日目 (という表示が編集画面に)。 

少しはブログというものを勉強したほうが良いのでは?と、ブログ・ランキング上位の方達を覗かせて頂き、イマドキのセンスとは無縁な自分を痛感。 数年前に時々読んでいて好きだった小説家さんのブログを検索したら、新しいアメブロ版日記をみつけたのでこちらも拝読。 さらっと書いているようで人生の喜哀楽を大きな愛情で包み込み、素敵な情報が満載のうえに所々さりげなく宣伝まで挟んであって、流石はプロの文筆家。 余裕の貫禄、そして深い視点に軸のブレない振り幅が違います。 

…ビギナーはつたなくとも正直に、大切な基本だけ忘れずに、自分なりに書けばよいのだわ、と今更ながら思いました。 

ところで、人生に夢や希望はいっぱいありますが、現実的に自分にできることはソコソコ限られています。 そして何にでも「その時にしかできないコト」という人生のタイミングがあるようです。 逆に言うと、タイミングが合わなければ、どんなに良さそうなコトでも実現は難しいようです。 これが夢と呼ばれるのかも。 夢をつかむ、とか、引き寄せる、なんてこともよく言いますが。 

例えば、私の「ブログを書いてみる!」も、いまタイミングの合った、いまだからできるコト、のひとつに違いありません。

思い出してみれば日本にいた頃も、人生の節目で迷った時は「きっと今しかできない率」を自分のプライオリティの基準にしていました。 大学を卒業した時の「新卒で企業に就職」がそれでしたし、職場を辞める決意をした時の「留学」もそれでした。 そうしてフランスに来たのでした。 

こちらでは結婚するまでフリーランスで写真の仕事をしていました。 そもそもフランスに来た最初の目的が写真の勉強を続けること。 卒業してから数年勤めていた広告写真の制作会社(と言っても、それはほぼお茶汲みの行でしたが 涙)をサクッと辞めて日本を飛び出したのです。 (ヤッター!) それまでノホホンと実家で暮らしていた私が、 突然、言葉もできず、ほぼ誰も知らない海外での一人暮らし(最初はブザンソンの語学学校が紹介してくれたホームステイ)にジャーンプ!したのです。 毎日が新しいチャレンジの連続。 文化も人種も習慣も違い、習い始めたばかりのフランス語では意思の疎通も難しく(フランス人は意外と英語ができない)、東洋系外国人に冷たいフランス人にカルチャー・ショックを受けて涙することも…(イジワルな人間はどこにでもいる)。 でも行く先々で新しい出会いに助けられて、泣いても笑っても楽しかった! (若いって素晴らしい〜) 

当時は怖いもの知らずで、なんでもダメ元で体当たり。 1〜2年ほどフランス語の勉強に集中してから、南仏アルルの国立写真学校(l'Ecole Nationale de la Photographie d'Arles)の留学生枠を受験。 写真の勉強をアルルで再開できることになりました。 アルルの学校では「頭で考える写真」(日本の感性神話や職人気質とは対照的な)に驚き、「何をどう撮るか」だけでなく「なぜ撮るのか」がいかに大切かを教えられて、自分にとっての写真の意味を問い直す機会をもらいました。 

その後もパリの国立アール・デコ校(l'Ecole Nationale Supérieure des Arts Décoratifs de Paris)に編入して写真の勉強を続け、作品づくりに熱中。 その頃、夏にはアルル写真祭やペルピニャン報道写真祭を仲間と見て歩き、それまで自分はまったく関心がなかった報道写真を志す友人達ができて、これまた知らなかった別の世界を教えてもらいました。 お金は無くてお家賃払うのもギリギリな時もあったけど、たくさんの人に助けられて、まことに学びも実りも多く、自由で豊かな時代でした。 

夜空にキラキラと輝く星々のように、思い出たちは今も私の中で生きています。 あの頃のすべての恩人に限りないありがとう!を伝えたいです。  そしてこれからも、その時々にしか出来ないことを自分なりに精いっぱいできたら幸せです(家庭の主婦修行、続行中)。

さて、先日のぬか床が熟成して、お初のぬか漬け(キュウリ)が美味しく仕上がりました! 一夜漬けでしたが、薄く刻んで生姜のみじん切りと和えました。 私のマドレーヌ、祖母の古漬けにはまだまだ遠いですが、家族も美味しい!と喜んで食べてくれました。

皆さま、どうぞご自愛下さい。