アメリカ国立公文書館でFBIの寺崎ファイルと呼ばれる文書が発見される。
日本の外交資料館には寺崎英成が日本に宛てた暗号使用指示書なるものが存在し その暗号名がマリコ。
マリコは寺崎英成とグエン・ハロルドの娘。
寺崎英成はマッカーサーと天皇の通訳として知られる外交官であり、日米開戦の前夜、アメリカの日本大使館の一等書記官をしていた。
英成がアメリカ人女性・グエンと出会うのはワシントン日本大使館で開かれたパーティー。
昭和6年、2人は結婚、翌年マリコが生まれる。
昭和15年、英成はアメリカ・ワシントン勤務を命じられる。
日本では軍部が力をつけ日米開戦への道を突き進む中、
英成の兄で、外務省アメリカ局長をしていた寺崎太郎は日米交渉には現地情報が必要だとして暗号を使用することを提案する。
電話は盗聴されるのでマリコの名が暗号につかわれ、「アメリカ側の日本に対する態度」のことを「マリコ」と呼んだのである。
「マリコは病気になった」と言えば「アメリカ側の態度は悪化している」という意味だった。
FBIはすでに英成の情報収集活動に目を付け、英成がワシントンに着任するなり監視を開始、
電話の盗聴、尾行、手紙の開封まで克明に記録、それが寺崎ファイルであった。
日米交渉は紛糾を続け暗号マリコの状態は日に日に悪化、英成は戦争を回避するため、
天皇の口添えには軍部も反対できないはずと、ルーズベルト大統領に直接働き掛け
大統領が天皇に親電を打つという和平工作にかかわる。
ルーズベルト大統領の親電が翻訳され天皇の手に渡ったのは 昭和16年12月8日午前3時過ぎ、
真珠湾攻撃の30分前であった。
日本へ帰国、鬼畜米英憎しの風潮のなかマリコは棒でたたかれ石を投げられ、
グエンは女スパイと罵られ、特高が寺崎家に目を付け誰も寄り付かなくなった。
終戦後、英成は日本政府とGHQの連絡業務をする連絡官として復職、翌年、
吉田茂首相から宮内庁御用掛を命じられ、天皇とマッカーサーの通訳担当官になる。
マリコの将来を考えアメリカで教育を受けさせようとの英成の強い説得に
グエンはマリコをつれてアメリカへ帰る。
それから一年後英成が死ぬ。
後にグエンは家族の絆を綴った回想録「太陽に掛ける橋」を出版する。
マリコが英成の遺品の中から昭和天皇独白録を発見するのは、英成の死後40年のことである。
マリコはアメリカで大学に入り、結婚し、政治活動に目覚めていく。
ワイオミング州キャスパーで一人の女性が日本国名誉領事官を勤める傍ら、ひたすら世界平和を願う講演を続けている。
彼女の名前はマリコ・テラサキ・ミラー
真珠湾攻撃
昭和16年12月8日
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