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団塊団子

団塊世代の暇潰し冗談 ぼやき と たわごと

はは八景

2020年03月15日 13時50分34秒 | 小樽

http://mariko.blue.coocan.jp/geo/kyouiku/otaru5.htm

RをKに変えるとオタク
頭にHをつけると蛍
AをOに変えると劣る

小樽八景


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梅毒だった裕次郎は

2019年03月09日 22時25分32秒 | 小樽

石原裕次郎は梅毒だったので子供を作ると
やばちいと考え養子縁組を検討していたらしい

寿司屋通りの日本橋で修業中だった美男子に巡り会い
養子になる気はないかと申し出た

しかし寿司職人一筋で生きると心を決めた彼はお断りしたと云う

その縁でマキコ奥様に
独立して店を出すんだったら本名で勝負したらって勧められ
ひらがなを店名にしたらしい


注1)これは店主の奥さんの妹の親友の噂話である

注2)その店内には石原裕次郎のでっかいポスターが飾ってある

注3)鮓まるやまは寿司屋通りの政寿司の斜め向かいにある


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龍宮のお姫様に逢いに行ったのか

2018年07月16日 13時20分29秒 | 小樽

オタモイ海岸の龍宮閣付近の絶壁から
飛び降り自殺

ポテトチップを食い缶コーヒーを飲み
靴を揃えて逝った模様

血が流れた様子は見えなかったが乾燥したのか

頭を陸側、足を海側にしてうつぶせ状態だった

男は女の写真を撮ろうとしていたが
女はうすら寒い霊感を感じ崖下を注視した

女は半狂乱になって喚いた

男は110番した

警察が来たが刑事が来るまで
居てくれと言う

男と女の関係は?
とか
人定質問されたが
立入禁止区域への侵入を咎められることはなかった・・


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小樽殺人事件

2018年03月19日 11時01分19秒 | 小樽

名探偵 浅見光彦、本業はルポライターで、
観光キャンペーンの取材のためフェリーで小樽へと向かう。
薄明の小樽港に漂流死体を発見した光彦は第一発見者となる。
殺されたのは小樽の金持ちの家の女性だった。
被害者の衣装棚から黒い揚羽蝶が出てきた。
葬儀の朝、第二の殺人事件が起こり、被害者の喪服の懐からも黒い揚羽蝶が出てきた。
能登に流された平家ゆかりの名家の家紋が揚羽蝶で、
一族の一人が小樽に渡り殺された伝説に手懸かりがあるのではないか、
と光彦は思う。

名探偵 浅見光彦シリーズは結末の犯人に対する態度が納得行かない、
という人も居るらしいが、この作品は、哀しくせつない結末、
これぞ推理小説の結末という終わり方だそうだ。
その結末というのは、
犯人が高速道路でアクセルを踏み込み対向車に突進して逝くというものであるが、
空港から札幌に向かう道央自動車道には分離帯が有って対向車に突進しても衝突はしない。
北海道の僻地の道路は熊やキツネしか通らないというイメージで、
高速道路にも分離帯なんて無いと思っているのだろう。
ただし、この小説では実在の道央自動車道ではなく、
架空の札幌自動車道という高速道路名にしてあり、
それで逃げを打っているのかも知れないが・・

この作品は、旅情と推理が融合し、ミステリーファンでなくても楽しめ、
運河の整備が始まった頃のゴタゴタを含めて観光地 小樽の案内も有り、
今の小樽と比べてみるのも一興ではある。

注)2018.3.13 内田康夫死去


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第2次小樽・石狩戦争

2018年01月05日 11時24分22秒 | 小樽

石狩湾の国境、いや市境はどこ?

洋上風力発電の税収をめぐり小樽と石狩が綱引き、
陸界延長か海岸垂直かで第2次小樽・石狩戦争勃発か?

洋上風力発電の計画が進む石狩湾新港沖の海上で、
小樽市と石狩市の境界を画定する必要が生じている。
境界線の引き方次第で、
発電施設にかかる固定資産税収入が大きく変わるためだ。

(2014.3.24 北海道新聞)



第1次小樽・石狩戦争

小樽の領土は奇妙に北東方向に延びたゲリマンダーである。
そこは、小樽と石狩の新港利権を巡る経済戦争の結果、
小樽領となったのである。

石狩湾新港

1973年、港湾工事が開始されるも、小樽港の衰退を懸念する小樽市がごねたため、
1975年、石狩町大字樽川村の一部を割譲し、小樽市銭函4~5丁目とした。
石狩湾新港を真っ二つに分割することによって和睦した両者は、
1978年、それまで北海道単独だった港湾管理者に加わり、
三者により石狩湾新港管理組合を設立した。
JR銭函駅で降りて銭函5丁目の新港までタクシーで行った早とちり氏は
国道337をぶっとばし、メーターが3千円4千円と上がるのに驚いたという。


バッタバッタ

小樽の東端、手稲山口にバッタ塚というのがある。
明治時代の北海道はバッタの大量発生で被害甚大だった名残である。
北海道でイナゴの大群?、まるでパールバックの大地じゃないか?
映画『北の零年』の一シーンに疑問を持ったのだが、
これが動かぬ証拠であった。
映画『北の零年』は稲田騒動から始まるが、この映画、
史実は参考程度と割り切り過ぎた娯楽活劇ではあった。


(注1)小樽の領土はバッタ塚よりさらに北東に延びる。

(注2)稲子
パールバックの大地で描かれたイナゴの大群、
昔は大群で押し寄せ、農地に壊滅的打撃を与えたのはイナゴと思われていたが、
イナゴは大群で飛び回ることはないそうだ。
バッタは普段はおとなしく緑色で孤独な生活をしているが、
旱魃で食べ物が減ると、えさをもとめ幼虫が密集し、刺激物質を発散し、互いに刺激し合い、
体は黒くなり、顔も四角になり、凶暴な群生バッタに変身するということだ。
明治13年~17年頃、北海道で農作物を全滅させた記録がある。

(注3)稲田騒動
江戸時代、徳島藩家老の稲田氏が淡路島を支配し、
稲田家臣は、徳島本藩からは陪臣として扱われていた。
明治2年、政府は武士の身分を改め、
稲田家当主は士族としたが、家臣は陪臣のため卒族とした。
稲田家臣は士族への編入と分藩独立を求めるに至り、
この動きは徳島家臣の激しい怒りを買い、明治3年、
稲田家臣が襲撃される事件が起きた。
政府は徳島藩側に斬首など厳しい処罰を下し、
稲田家側には北海道開拓を命じ、静内に移住させた。

(注4)バッタ塚
手稲山口のバッタ塚は札幌市指定史跡になっている。
飛蝗(ひこう)はバッタ科の昆虫(殿様飛蝗)が群飛して移動するもので、
アイヌ人の口承では何十年かおきに有ったという。
明治13年に十勝で発生し各地に広がり18年まで被害を与えたという記録が残っている。
政府は飛蝗が津軽海峡を越えることを心配し駆除に努め、
捕えた成虫は穴に埋め土で覆ってバッタ塚を造った。
手稲山口のバッタ塚は明治16年に掘り集めた大量の卵のうを砂地に並べて埋めたものである。

(注5)映画『北の零年』
北の零年、北のカナリアたち、北の桜守。
北の三部作最終章『北の桜守』は2018年3月10日公開。


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