大地産笑~畑は笑顔を育てる~

新しいスタートラインに立っている今。いろいろなところに目を向けて未来につなげたい。

東京…。

2005-12-21 18:01:42 | 非現実世界アジア学院
アジア学院から1歩外に出てしまうと非現実の世界だと思っていた。しかし、実際のところ今いる東京が現実の世界なのだ。

東京に戻ってみて思ったこと、それはたくさんある。星の見えない空(大学のある多摩の方は星見えたけど)、人の多さ、そして他人との関わりのない人たち、会社と家の往復の一方通行の人たち、汚い空気、あふれかえるファーストフードの店、サ○ゼリ○の野菜がほとんど入ってない安くて不味いドリアとピザ、あいさつのない世界…。

東京に戻ってあんな人がいるのに1回も人と話さなかった。まぁそれが東京では普通なんだが。この東京の世界、まだ慣れない。慣れてしまうのもイヤだが。これが当たり前の生活と思えるようにはなりたくない。

外から見てアジア学院のすごさというか不思議さ、奇怪さがよくわかった。国籍も年齢も性別も性格も文化も育った環境も宗教も価値観も公用語も人種も職業も全く違う人たちがひとつのテーブルを囲んで食事している。こんな姿を普通の人は想像できようか。

すべての人が英語を使って他人と会話している。食事だって日本食だけではなくてアジアン料理。味だって辛かったり酸っぱかったり甘かったり、さっぱりした味がほとんどない。生野菜なんてほとんど出ないし。辛さだって日本と韓国とバングラディッシュでは辛いという味覚の基本が違う。

トウガラシを生のままかじる人、辛くないから食べてみなと言われて食べてみると喉が焼けるように辛く感じた自分。すべてが違うのだ。

このような人たちに囲まれて生活していた自分はなんという場所にいたのだろうかと、今実感している。あぁ、もう過去のことになってしまった。あの頃の食事が会話がすべてが懐かしい。

でも今はこの東京での新しい生活を満喫したい。新しい物事にも挑戦したい。当たり前の生活から脱却した生活を送りたい。 

アジア学院研修終了!

2005-12-19 21:10:52 | 非現実世界アジア学院
 半年研修として行っていたアジア学院から東京へ戻ってきた。実家は千葉だけど、とりあえず友達んちと大学がある東京に。東京の夜は栃木と比べたらまだまだあったかかった。東京には当分慣れそうにないなぁ~今じゃ東京が非現実だ。人多すぎだし、星見えないし、飯うまくないし、温泉ないし、コンビニ近いし。こういうのも次第に慣れていってしまうんだろうなぁ。はぁ。。

 やっと終わったぁっていうのとあぁぁ終わっちゃったっていう、嬉しいのと寂しいという気持ちが半分ずつだ。でもひとつだけ言えること、それは充実した約半年間だったっていうことかな。

 新しい発見ができ、いろいろ考え、自分の価値観が広がったというかいろいろなところに目を向けるようになった。そしてもっともっと外の世界に出てみたくなった。

 これから1年と3ヶ月の残りの大学生活は自分の将来につながると思うから、どう動いていくかをちゃんと考えていかなければならないと思っている。ただ大学内にとどまり授業を聞くだけではせっかくアジア学院で得た知識を活かせないから、外へ外へ出て行かないともったいないだろう。どっかのNGOでボランティアしてみるなどの。今、国際協力に興味を持っている大学生は大学内にとどまらず、いろいろなNGOなどで活動しているということがアジア学院を通してわかった。おれもそういうの参加しなければ…。みんなやっているからとか、ブームとかだからじゃなくて、自分の価値観、世界をさらに広げるためにも。


 アジア学院は終わってしまったが、また行きたい。まぁ1月に有機農業サッカー大会があるから行くんだけどさ。それだけじゃなくて、来年度も1週間だけでもいいから行きたい。新しい学生を見たいというのもあるし。新しいコミュニティの形成を見てみたい。

 アジア学院は終わっちゃったけど、このブログはまだまだ続かせる予定。そのうち、アジア学院研修総集編でもテーマごとに分けて書こうかと思っている。テーマは、今のところ大きく分けて3つ。国際交流と有機農業とアジア学院とその地域。さらに細かく書くと思うけど。でもこれ書く前に派遣実習報告書を書かなければ…。もう冬休みだけど、やることは多い。12月は師走ってだけあるなぁ~忙しい。がんばらないと。

さよならさよならさよなら

2005-12-11 18:30:36 | 非現実世界アジア学院
 今日から1人また1人と故郷へ戻っていく学生がいる。来週中にはすべての学生が故郷に帰ることになる。

 その後は自分の番だ…。

 また来年、新しい学生が自国を離れて日本に上陸する。来年もまた来たい。来年は来年で新しい出会いがあるだろうから。新しい学生も楽しみだ。今年の頭を切り替えて来年来たい。去年の方がよかったって思わないように。

 来年の学生は今年より少ないらしい。20人くらいになる予定。プラス日本人学生をしても25人くらい。かなり友好関係、コミュニティーの絆が強くなるだろう。

アジア学院卒業式

2005-12-10 21:24:29 | 非現実世界アジア学院
 本日12月10日第33回卒業式が行なわれた。2005年度は4月4日から34名の学生を14カ国より迎えて研修を開始したのだが、3名が諸事情により中途退学してしまい、本日13カ国31名が卒業生となった。退学した3名を思うとき、祖国を長期間離れてこの研修を貫徹することが、決して単純なことではないことを改めて認識した。(教務報告参照)

 祝辞として、(社)国際農林業協力・交流協会の方や駐日ザンビア共和国大使からお祝いの言葉をいただいた。(社)国際農林業協力・交流協会の方の祝辞はもうなんていったらいいか。誰かに書いてもらったのを読み上げているような感じだったし。しかも学生らを見下してるように思えた話し方。ほんとやめてほしい。隣のスタッフと耳打ちで話したがそこでも、「なんでああいう人ってああいう話し方しかできないんだかね」って。

 祝辞の最後にボランティアからお祝いの言葉。その担当は4月からずっといるEriiさん。お祝いの言葉のあと、ボランティア・学生一同でマイケルジャクソン『Heal The World』の大熱唱。ホント楽しかった。みんな揃って大声で歌うことも今日で最後か…。歌ってやっぱいいね。みんなをひとつにさせる。

 自分もあと少しでアジア学院を去る。ここでの約半年間、振り返ってみて思い出すといろんなことがあった。7月初めにボランティアとして来てから今まで。最初は右も左も上も下も、そして言葉もわからなかった。英語という世界共通語であるにも関わらず、英語をまともに話したのは高校の修学旅行でイギリスに行ったっきりだった。自分には勇気がないということを改めて認識した。外国人と話す時、文法を間違えないようにしようだとか、単語がわからないだとか…。でもそれは次第に慣れてきて学生から英語で話しかけられたときの対処法を発見した。それは笑顔だ。笑顔で接していくうちに何を話しているかを聞き取れるようになり、今は簡単なコミュニケーションくらいはできるようになった。もっと話したい。もっと自分のことを相手に伝えたい。世界中に友達を作りたい。世界を見てみたい。そしてもっと語学を好きになりたい。そう思えるようになってきた今日この頃。本日まで何を見て、何を発見して、何を考え、何を得たのか、それは一言じゃ表せない。日記を振り返ってみて見つめなおしたい。

 学生はアジア学院で、栃木県西那須野で、日本で、何を学べたのか。そして故郷に帰ってどう活かしたいのか。それはこの前のファイナル・プレゼンテーション(卒論発表会)で明らかになった。自分の地域に有機農業の研修施設を作りたいだとか、化学肥料に頼らないで地域間でボカシ作りを徹底したいだとか、直売所を設けたいだとか、技術力の向上を見計らって技術力の高い農家に経済的に乏しい農家を積極的に行かせるだとか、アジア学院のような地位が高くても低くても平等だということを広めたいだとか、たくさんの夢を話してくれた。中にはアジア学院で学んだことが活かしきれていないような人もいたが。スタッフではないのですべての学生の発表を聞くことはできなかったが、たぶん4月に来た時には考えることもしなかったことを発表したと思う。ここでの経験を活かして故郷の農業の発展につながるようにしてもらいたい。日本人など青年海外協力隊で現地に行って農業指導するよりは、自国の人から日本での体験をふまえて直接話して指導した方が効果はあると思われる。自分もそうだが、日本人ってボランティアなどをして途上国に貢献していると自分自身で思っているように、少し思い上がってしまうところがあると思う。ここでの経験・思い出は一生残っていくだろう。自分もここでのことはこの先忘れることができない。今年度の学生たちとの思い出は深く心に刻んでおこうと思う。

 最後に、学生たちには心から「おめでとう」と言いたい。そして約半年間一緒に生活してくれて「ありがとう」とも言いたい。また、お世話になったスタッフの方、他のボランティア、たくさんのワーキングビジター、充実した約半年間が送れたことに感謝の気持ちを差し上げたい。ここでの生活は自分にとってもこれから生きていくう上で何らかに活かされていくだろう。忘れることのできない約半年間になった。本当に感謝している。でもまだ終わってはないけどね。

落ち葉拾い=地域とのつながり=あいさつ

2005-12-08 20:01:03 | 非現実世界アジア学院
 アジア学院ではこの時期する仕事が特にない。畑ももう冬支度で植えるものもないし、道具片付けくらいしかない。今の仕事、先週から今週にかけてずっと、落ち葉拾いだ。落ち葉集めって言ったほうがいいのかも知れないが、言いやすいから落ち葉拾い。

 近くの神社、乃木神社という乃木稀典大将の別邸があったところでの落ち葉拾いだ。神社の神主さんに頼んで毎年落ち葉を集めている。

 落ち葉…何に使うかというと、リーフコンポストにだ。堆肥のことね。あんだけの落ち葉があったら焼き芋パーティでもできるんだろうけど。来年の畑の肥料になる。

 神社にとっても落ち葉拾ってくれるからラッキーだし、こちらにとっても一度にたくさんの落ち葉を拾えることができて望ましい。まさに一石二鳥とでも言えようか。アジア学院と地域が落ち葉拾いを通して(?)つながっている。

 この落ち葉拾いの作業していて思ったこと、それはやっぱ田舎っていいねぇだね。犬の散歩のおじさんやおばさん、学生、マラソンしてる人、警備のおじさんなどいろいろな人に作業中会えるのだが、その時必ずあいさつをしてくれる。こちらもあいさつするし、向こうもちゃんとあいさつを返してくれる。会話もしてくれる人もいるし。あいさつって気持ちがいいって思える瞬間だね。あいさつは地域のつながりを強くする。
 
 都会じゃあいさつなんてしない。あいさつをすると変な人に見られるかもしれない。都会は人が多くても、人のつながりは薄い。自分は自分、他人は他人、というのが都会。自分も他人も同じ場所に住んでいる共同体とみなすのが田舎だろうな。なんか意味わからんけど。

 そういや、昔でもないけど1年か2年前くらいにあいさつされて褒められたことがあった。実家に帰る途中、実家の近くに知らない人と近所の農家さんが立ち話をしていた。すれ違う時にたった一言「こんにちは」って言っただけだった。その時は特になんにもなかった。しかし、その知らない人は確か実家のお客さんでウチに立ち寄った時に、親か誰かに「あいさつするなんて偉いねぇ。若い人はあいさつなんてしないよ、東京は。」というような感じで言ったらしい。

 後から親にこんな話があったと聞かされたが、あいさつするってそんなに偉いことなのかよ!?別に褒められるためにしたことじゃないから、偉いと言われると逆に気持ち悪かった。あいさつって別に褒められるためにするもんじゃないし。そこに人がいたからあいさつしただけ、たったそれだけのことだったんだが。でも実家近くだからあいさつしたようなもの。地元から一番近い都市、柏駅周辺に行ったらあいさつなんてしないし、東京だったらもちろんしないというかできない。

 地域との結びつきが強いところほど、あいさつは簡単にできるんだろうなぁ。東京で一人一人にあいさつしてたらキリがない。人が少ないからできるのかもしれない。でも今の世の中怖いからなぁ…子供は見知らぬ人にあいさつなんてできなくなっちゃうんだろうなぁ。

 忘れてはならない大切な言葉。

「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」「ありがとう」
「いただきます」「ごちそうさま」「ただいま」「おかえり」

 もっともっと大切な言葉はあるけれど、書ききれない。とりあえず、あいさつはこれからもずっと使い続けたいと思う。


飯の美味しさに感激

2005-12-05 08:19:10 | 非現実世界アジア学院
 昨夜、3日ぶりにアジア学院の飯を食べた。

 いやぁ~美味かった。味がまったく違う。これこそが料理って感じで。

 健康一番☆菜食健美ですな!たまに肉も食べるけど。

 こんなんで、来年1月からの大学生活どうなることやら…。

 大学寮の飯不味いんだよなぁ。

 オリンピック記念センターの飯も不味かったし。

 実家の飯もおいしい。

 よく考えると今までちゃんとしたもの食べてきてるなぁと、実感。

 高校まで給食だったし、大学でも給食。ただ高校と大学の間の1年間を除いて。

那須高原(コミュニティーイベント)

2005-12-01 22:41:49 | 非現実世界アジア学院
 12月にはいりアジア学院最後の月になった。学生にとっても最後の月だ。

 そして最後の月の初日の今日、那須高原へ行った。バス・車で走ること1時間。那須ファミリースキー場についた。まぁそれ以上、上には行けなかったってのが事実だがね。アジア学院の車はスノータイヤをまだはいていない。普通の道路でもたまにスリップするくらい、タイヤの溝が薄いのに…危険だ。

 目的はスキーではなくて、「雪」!!

 学生のほとんどは雪が初体験。インドの山奥の人とかは除いて。初めての雪でどう思ったんだろうか?冷たさ、感触、匂い、味…。心の中には内なる秘めたが思いがあるのではないかな?

 でもね、一番はしゃいでいたのは学生でもなく、ボランティア。それもドイツ人の。ドイツ人にとって雪は珍しくもなんでもないはずなのに。まぁ若いからなんだけどね。若いってすばらしい。おれと1つと2つしか変わらないんだけどね(笑)

英語は地球標準語!

2005-11-29 20:40:27 | 非現実世界アジア学院
 このタイトルは11月28日朝日新聞朝刊の記事にあったものだ。早稲田大学125周年記念21世紀国際フォーラム「グローバルコミュニケーションと日本人の英語」の討論の様子が書かれていた。ついついこの記事に目がいってしまった。すごく興味のわいた記事だ。

 この記事でわかることは日本人は英語に関しては遅れているということ。先進国でありながら英語後進国である。アジア・アフリカ諸国はイギリスから独立したため昔から公用語として英語が使われている。台湾・中国・韓国でも最近英語に力を入れるようになってきた。英語はすでにアジアの言語になっているのだ。アジアで英語がしゃべれない国は日本だけというようにならないようにしたい。日本はそこらのアジア諸国と比べて経済力もあるし、一緒にしないでくれという意見もあると思うが。現に日本人は日本もアジアの一員ということを理解していない人も少なからずいるはずだ。アジア=貧乏とかの偏見も持っている人もいると思うし。欧米に憧れるのもわかる、しかし日本もアジアだ。

 英語ができない、話せない理由は精神的なもの。文法・発音を気にしすぎていて、自分の英語に自信が持てない。勇気を持たなければならないという。日本は島国で大陸国と違って求心力が働く。運命共同体というか。それに「島国根性」とかもある。

 日本は立派な歴史と文化を持っている。それを世界とどんどん共有していった方がよい。それには国際的な発言力が必要だ。しかし、日本は国際的な発言力が弱い。それを改善していかなければこれから日本は世界から孤立されていくかもしれない。アメリカに発言をまかせて、アメリカの言われるがままだとどうなるかわからない。アメリカがバックにいなくてもズバッと発言できるような英語力がほしいところだ。

 
 アジア学院に来て、英語力のなさがはっきりとわかった。アジア・アフリカ諸国から来た学生はアジア学院が英語が共通語ということもあり英語をみんな話す。文法なんてめちゃくちゃな人ももちろんいるが、他人とコミュニケーションしようと英語をとにかく使って話す。単語だけでも、身振り手振りでコミュニケーションできるし。しかし、今まで5ヶ月間暮らしてきて自分はちゃんとコミュニケーションできたかということは、わからない。最初の頃よりはもちろんコミュニケーションできるようになっていると思う。しかし、わからなくて違う日本人に頼ってしまった時もあった。アジア・アフリカ諸国からの学生は英語と同時に日本語も少し話せるようになっている。それはたぶん日本だからというのと、日本語を学ぶ意欲があるからだと思う。自分をアピールするのも何か発言が必要だし。文法・発音がちゃんとしていなくても相手には伝わるということもわかった。縮こまってないでもっとオープンにならないといけないと思う。もっともっと自分には勇気が必要だと思う。そしてたくさんの人とコミュニケーションを取りたい。自分が興味あることなら力が向上する。

 最後に私たちはみんな地球という惑星に住んでいて、日本人であると同時に地球市民だ。地球標準語である英語を話して世界とコミュニケーションしていかなくてはならない。

こんなところに…

2005-11-28 21:35:46 | 非現実世界アジア学院
 農者大の人が来るわけないだろ!?ってお互いに思っていた。何かの聞き間違いだってことを。アジア学院に昨日、農者大の卒業生がビジターとしてやってきた。お互いに驚きだった。だってねぇ…農者大の英語の授業って自己紹介の "My name is~"から始まるくらいのレベルなのに。共通語が英語っていうここに来るほうが不思議だよ。自分は来ているんだけども。

 ビジターとして来たのは34期生の熊本出身の吉永さん。自分が37期生だから34期生の吉永さんとは全くかぶらなかったんだけども、何回か農ゼミで話が出てきたことがあるようなないような。非農家出身で、現在フィリピンのネグロスのNGOで農村に入って現地の人と一緒に働いている。農者大に講師に来ていた大野先生の授業でNGOに誘われたらしい。そこで働いている時にアジア学院を知って、日本に帰ってきているこの時期にアジア学院に来たというわけだ。

 そんでもってアジア学院に来る前の日、山形の米沢郷牧場に見学しに行き、その晩伊藤幸蔵さんと飲んでたんだって。ここでもまた驚きだよ。伊藤幸蔵さんは入学前の1年研修の研修先「ファーマーズクラブ赤とんぼ」の社長さん。ここで、アジア学院を通して、自分と吉永さんと幸蔵さんがつながった。米沢郷牧場にアジア学院の学生の半分が夏休み研修旅行で行っていた。偶然としか言いようがない。

 吉永さんとのつながりは大切にしていきたい。ネグロスは行きたいと思っている。吉永さんの所属しているNGOを見に行きたいし、その農村で作業したいからである。そんでもってアリエルの農場に行ってみたいからだ。アリエルとはネグロス出身の学生で、自国のフィリピンでは珍しいといえるくらいの有機で農業をしてる。アジア学院では更なる有機農業の知識をつけようとやってきたらしい。吉永さんと話したら、連絡してくれればいつ来ても歓迎すると言っていたし。ホテルとかには泊められないけどねって。泊まるところは農村でホームステイ。こっちのほうがいいよ。

 せっかくアジア学院に来て外国人と交流できるようになったんだから、こういうチャンスは活かしたいと思う。いい機会だし。アジア学院はいろんな人がいるし、やって来る。農業とは関係ない方ももちろん来るし、農業したいっていう大学生も、国際協力に興味ある大学生も、最近の高校生も、青年海外協力隊にこれから参加するという人も、アジア学院の講師も、有機農業者も、そして変な人も来る。たくさんの人がいるから「農業」という1つの点に絞られた話だけでなく様々な話ができる。お互いに知らない知識の共有もできた。若いときはいろんなものを見とけっていうし、ここに来てホントよかったと思っている。農家では経験できないこと、得ることのできない知識を得ている。もちろん農家で学べるような先進技術というものはないけれど。それは大学を卒業してからもできるし。今はこのたくさんの人との出会いを大切にしていきたいと思っている。

 今日、一緒に作業したとき農者大の話をした。先輩の話とか、飲み会の話とか、後輩の話とか、もう廃止なっちゃうねとか、学校生活の話とか…懐かしかったね。みんなに会いたくなった。

 最後なんだけど、なんか日本語って好きなんだけど嫌だなって思った。どっちなんだよって感じなんだけど。まぁ気にすんな。アジア学院では英語が主流だから英語で会話する。英語には敬語がないんだよね。どう言いまわそうとしても。だから年関係なく普通に敬語使わず話しているし。日本語になってもそれは同じで、ほとんどタメ語で話している。一部のスタッフの方をを除いてタメ語だ。外部から来る人にも年とか関係なくタメ語で話してしまっている自分がいる。だから態度でかいと思われて老けて見えるのかもだけど。昨日農者大の先輩が来て、もちろん最初は敬語だよ。初対面だもん。いつもなら作業中なら年関係なくタメ語で話しちゃってるのにそれができなかった。昨日が初対面だけど先輩だからっていうのがやっぱ強かった。しかも今日の敬語すごいぎこちなかった気がする。無理やり敬語言っているなぁと話しながら自分で思っていた。敬語なんてなくてもいいのに。こんなところで年関係なく敬語関係なく話せる英語っていいなぁって思った。

全天候対応型グリーンハウス

2005-11-25 21:23:23 | 非現実世界アジア学院
 竹という天然素材を使ったグリーンハウスである。鉄骨でもアルミでもないから強度が心配という人もいると思う。しかし、強風がきてもこのバンブーグリーンハウスなら心配ない。めいっぱい揺すっても、竹がしなって動くだけだ。風を吸収する。

 このバンブーハウスはアジア学院の学生たちが先月あたりに作ったのもの。ミャンマーの学生の指導・指揮のもとに作られた。

 台風のとき、ハウスの骨組みごと飛ばされてしまうものもある。人口のものは自然には到底勝つことができない。自然に逆らってはダメだ。自然には自然で勝負。自動開閉装置や送風装置なんてない、ただのグリーンハウスと思っちゃえばそれだけだし。ミャンマー人はハウス作る金もないのかと思ってしまえばそれだけなのだが。

 日本以外のアジア各国には、日本人に失われてきている昔からの自然の知恵をまだまだ多く持っている。昔ながらの日本人の知恵はこのままだと農村部の一部でしか語りつながっていかないだろう。都市部ではもうすでに昔ながらの知恵は消えうせている。人工的な知恵ばかりがどんどん世の中に出てきている。

 自然を活かし、自然に生きている人の知恵は計り知れない。