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【随時コラム】時々時々(じじときどき)   第1回 高校生パワー

2009年10月13日 19時15分02秒 | 時々時々(「今日の気づき」に統合)
【2009年10月13日(火)】10月12日は体育の日。各地でスポーツイベントが開催されたが、都内の市のスポーツフェスティバルに参加して高校生パワーを目の当たりにし考えること頻りであった。閉会式の掉尾を飾ったのは高校のダンスクラブによるダンスパフォーマンスだった。市内の高校と隣接市の高校の2校で100人規模のダンスが披露された。楽しそうに踊っているが、息をのむほどの技の切れはない 。当然かもしれない。爆発するようなパワーは伝わってくる。何より驚いたのはクラブ員の多さである。今の高校生事情はわからないが、多分、1校でダンスをしたいという高校生が50人以上も集まるクラブというのはクラブの規模もそうだが、学校内のダンス人口が多いように思う。しかし、それは現状認識の甘さで、現実から見ると、50人規模というのは大きい数字ではなく、クラブに入らないけれどもダンスをしたい人数では、もっと多くなるのかもしれない。
 以前に、テレビで高校生の「ダンス甲子園」という番組を見た記憶がある。自らのアイデンティティ高揚への意識が高く、ダンスが好きだという感性の鋭い高校生がいて、その人数は多くはないと思っていた。ところが、「普通の高校生」と表現すると、その「普通」とは何かと問い詰められそうだが、「普通の高校生」が、こんなにも多く楽しそうにダンスを踊り、内にある何かを発散させるようにパフォーマンスを繰り広げる光景を見て驚く自分の認識の甘さに驚く始末である。パフォーマンスでは、ステージの高校生が、会場の大人たちに楽曲のサビの部分を一緒に踊ろうと、マイク片手に懸命に振り付けを教えている。腕を組んで見ている大人が目立つ。それでも、楽曲が流れると、高校生のパフォーマンスに合わせて、手を振り足を動かす大人もところどころにいる。
 ダンスはヒップホップ系である。ヒップホップと言えば、ラップやブレイクダンスを思い浮かべるが、ダンサーが順番に正面に出てきて、速いステップや回転、宙返りなどの得意技を披露するパフォーマンスが印象的である。アメリカ・ニューヨークのブロンクスでアフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系住民のコミュニティで行われていたブロックパーティから生まれた文化と言われている。アメリカや中南米では、時代ごとに、世界のファッションにまで影響を与えるような音楽が生み出される。その根底にあるものは、自分たちのアイデンティティを高揚させようと、現状を見つめつつ現状を打破していこうとする内なるパワーの表現ではないだろうか。そういうヒップポップの語りかけるものが高校生に共感を与え、広がっているのだとすれば、その光景は現代社会に対する1つのシグナルと言えるのではないだろうか。
 高校生と言うと思い出すことがある。かつて、菓子類の新商品やコンビニエンスストアの売れ筋は、特に女子高生 のテイストに合うかどうかが決め手と、商品開発では女子高生のテイストの研究が不可欠とされていることが、よく話題に取り上げられていた。今もそうだと思う。しかし、当時、自らも含めて、そのことを大人の身勝手と思うことがよくあった。当時は、電車内で、床に座り込んだり、大きな声で乱暴な言葉遣いでしゃべり、周りをはばからずに携帯電話で話し込む高校生が目立っていた。ついつい大人は「最近の高校生は…」と、批判の眼差しで見ていた。口に出して言うこともあった。一方、ビジネスの世界では、女子高生のテイストが大切だと、女子高生を持ち上げ、テレビ番組やワイドニュースショーは、テーマにもよるが、コメントを求めて繁華街の女子高生にカメラとマイクを向けた。女子高生を総称的にとらえて言うのはよくないと思う。商品開発でテイストを求められた女子高生と電車の中で大人に嫌われている女子高生が同一の人物ではないにしても、総じて、大人の女子高生の見方は使い分けていたように感じる。総論的にしか見ていなかった自分がそうだったからかもしれない。うがった見方をすれば、電車や繁華街の女子高生の印象が強くて、最近の女子高生は嫌いだが、売上が取れる商品を作るには女子高生のテイストを借りなければならないと、割り切っている大人がいたかもしれない。
 1960年代、世界中でスチューデントパワーと称されて、大学生が既存の体制や価値観の打倒、変革を目指して、様々な運動を起こした。日本でも学生が大学を占拠し、バリケード封鎖をし、火炎ビンが飛び交い、学生と警察の機動隊が衝突する場面が幾度となく新聞やテレビのニュースに登場した。ベトナム戦争の反対運動が求心力にもなった。浪人生や高校生も巻き込んだ。それが全国の大学に広がっていった。
 視点を変えると、高校生や大学生の年代はマグマのような熱いエネルギーが溜まってくる時期で、その噴出の欲求は誰もが持っているものではないだろうか。体制が制度疲労を起こしていたり、ほころびが生じてきた社会の局面で、そのエネルギーが噴出するのではないだろうか。それが、ある時は学生運動であったり、言葉遣いであったり、携帯電話であったり、ダンスパフォーマンスなのかもしれない。この年代の誰もが持っていて、人が成長する過程で避けて通れないエネルギーの噴出行動とするなら、いつの時代にも、形は違っていても、存在していたと考えられる。そういう若い人たちのエネルギーを引き出し、導いていく術を社会が失っているとすれば、大人たちが築いてきた社会が抱える問題と言える。消費の対象、消費を作り上げるための支援者というだけでなく、若い人たちが主体者で、若い人たちの内に溜まったエネルギーを噴出できる環境をどう創り出していくのかという社会の課題を垣間見る思いがしたスポーツフェスティバルの閉会式であった。(東)

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