パーキンソン病と診断されました

パーキンソン病について、皆さんと情報を共有できる場になればと立ち上げました。

きっついわぁ

2021-05-12 09:26:16 | 病気

今週に入って始めた朝の乳製品断ち、結構きついです。結婚以来、毎朝食に牛乳を欠かすということはほぼなかったと思います。牛乳のみならず、ヨーグルトもチーズも朝の食卓には欠かせないものでした。退職して、体重が限界にさしかかったときも、主食の炭水化物の量を減らし、毎食事30分前にチーズを食べるという方法で15kgの減量に成功しました。ヨーグルトも腸内環境を考え、機能性の高い種類のものを多く摂取するようにしてきました。しかし、今、これらの食材が、朝食、昼食の場に並ばなくなってしまったのです。物足りません。否、物足りないだけではなく、たんぱく質が足りているのかどうかも心配になってきます。

今、乳製品を断っているのは、L-ドパの効果を高めるためです。食後の眠気を我慢しきるためにも、内服薬の効果を存分に発揮してもらわなければなりません。しかし、今のところ食後の眠気は変わりなく襲ってきます。身体の動きについても、さほど変化を感じるものではありません。本当に、これでいいのか、このまま乳製品をカットすることにメリットはあるのか、自問自答する3日目です。

ただ、朝の時間の有効活用については必須項目ですので、この3日間は「根性」で乗り切っています。月曜日は6時までぐっすり眠れたのですが、昨日は5時半、今朝は夜中に3度のトイレと5時起きということで、またまた不眠の方向へ突き進んでいるようです。今朝は、「根性」にもひびが入り、1分程居眠りをしてしまいました。身体はたんぱく質を欲しがっているようで、昨夜は、妻の用意してくれたおかずに、卵豆腐と納豆を追加しました。機能性ヨーグルトについては、10時、14時、20時に森永ビヒダスヨーグルト便通改善やそのドリンクタイプ※1や明治プロビオヨーグルトLG21※2を飲んでいます。

もしかしたら、たんぱく質を十分摂って運動し、筋肉量を増やすことの方が今の私には必要なことなのかもしれません。でも、より重要なことは考えているばかりではなく、実行することだと思います。さぁ、ヨーグルト食べよっと。

※1 https://www.morinagamilk.co.jp/products/yoghurt/bentsu/6146.html

※2 https://www.meiji.co.jp/dairies/yogurt/lg21/#home



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2 コメント

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Unknown (607080abcha100)
2021-05-16 11:06:55
おはようございます
コメントありがとうございました
材料を料理して行く工程や出来栄えはドラマチックと偉そうを言っても喜寿になってからは大儀な気分に襲われます
メニューも技も少ないですが、手の震えや箸使いが悪くなり口こしらえも低下してる家内には握り寿司はご飯とおかずが同時に取れるから ちょこちょこしてますよ(私が好きなことも重要です 爆笑)
真っ直ぐに歩く、前だけ見て歩くのと配膳、下膳は違うので家内を座らせたまま動きは全部私がします 短距離で体の向きを変えたり姿勢を変える時の転倒防止策です

12回でワンクールの社会福祉協会が主催した「男の料理教室」は私だけ3回も受講 それは飲み込みが悪いからでした 無料でしたが、ボランティアで料理を作るサークルにも入りました (コロナで休止中)

料理教室では最初にダシの取り方を聞きましたが、講師の人は以降は簡単なダシ醤油を使い素人の男性が入りやすい道を選びました

本格的なダシは、澄みきった深さがあると感じますが、最近私は白ダシ(2種と昆布ダシ醤油)で即席してます
名前は ちょうじと読みますが釣りの名前
車で横付けの波止場から小アジ釣り専門でした  やがて渡船で渡る波止から太刀魚狙い
夜目がききにくくなりウマズラハギ専門

その頃は「釣り師」と公言してましたが、ひょんな事から釣り友が出来て、早朝の暗い内に手探りで糸を通し、釣りを始めました
隣で私は懐中電灯でまだ仕掛けが出来てない
以降、釣りを志す 釣志と名乗り郵便局にも届けを出して30年ぐらい経ちます
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Unknown (607080abcha100)
2021-05-17 05:12:07
私より遥かに釣り師されてたんですね

夕方からの太刀魚釣り 昼過ぎから渡り 餌になるサイズを確保 針は10本くらいで明るい内にセットしてクーラーへ(夜間の餌の付け替えはしないように)
太刀魚釣りの竿も準備し、いつでも切り替えられるようにして小アジ

太陽が沈む瞬間 10分程度でしょうか 今までにないサイズが混じります
早い人は既に太刀魚釣りを開始してホタルが飛び交う夕まずめ

ふと昔の釣りを思い出すきっかけになりました
洋上の防波堤は渡船が無ければ帰れません
二昔前は 単独でも「泊まり」が許されていました  店で泊まりを言って帳面に名前、住所を書けば、泊まっても一往復の代金

10月の夜の気温から11月、12月となれば寒さで震えます 近くのスーパーでトイレットペーパーの空箱を貰い 畳んで紐で結び三個持参  風上には箱の底を組んで、後は三個を連結して足から入り込みます
段ボールは隙間がクッションとなりコンクリートでも痛さかありません 風除けの無い一文字では豪華な布団(爆笑)
明るくなる前には燃やすと火力は強く、防波堤の遠くに居残った人が駆け寄ったモノでした
最近はキャンプ道具も進化してますが、卓上コンロ、鍋、水、即席ラーメンやコーヒー
魚が釣れなくともエンジョイして最高の夜を過ごせましたが、何様にも荷物が多く、渡船屋さんは「一文字で世帯を持つのか?」と笑われました
釣りのキャップランプは一文字では魁でした
丸い懐中電灯は、海の中へ落とした人もいます 暗い、高い波止場は両手が自在に使える照明は不可欠 
テレビで炭坑夫が着けてるのを見て買いました
当時は腰に電池入れ  頭に着けるランプはコードで繋がってました
大昔の笑い話でした
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