昨日のコンサート、「マタイ受難曲」は圧巻の演奏だった。児童コーラスのパートはどうするのかと思いきや、ソプラノが1人、二階席から歌ったのにはびっくりした。無駄な力の入っていない、澄んだピュアな声だった。
リフキン(指揮者)のこの演奏は、合唱と楽器を2群に分けて演奏したが、その効果は思っていた以上だった。生き生きとしたドラマティックな表現となった。考えてみれば、『マタイ』は、一種の「コンサート形式の受難劇」なのだから、当然といえば当然なのだが。
歌手もオケもどちらも妙なアクセント、色づけをすることなく、本当にピュアな演奏だった。それだけに、歌われる内容に心が向く。初めの音合わせの時に、あまりのピッチの低さと不安定さに大丈夫かな?と思ったが、耳が慣れるにつれ安心して聴けた。
帰ってからも感動覚めやらず。寝る前のうとうとしたときには、その音がリアルに頭の中で蘇るほどだった。なんという至福の時間だったろう。字幕が見えなかったのは、逆によかったのかもしれない。ちょっと「聞き取りテスト」みたいな感じもあったけれど。(笑)
案の定、前の席が最初から最期まであいていた。一人でコンサートに行くといつも、隣や前の席がずっとあいている。またもや、パッパが陣取っていたに違いない。
| Trackback ( 0 )
|