四国の四季と遊びのお部屋(JAPAN THE LIGHT OF DEY)

何を探しているの??リンクが一杯です。お探しのものありませんか??探しますよ・・・!!!

徳島県小松島港!?

2014-10-03 00:19:32 | Weblog
画像は一昨日から、小松島港へ曳航されてきた九州の船ですね。
沖でトラブリ入港したみたいです。
中国船が入港した時は一年近くそのままでした。批判は反応早いが、仕事は遅い中国ですか!!そして小松島港などは運輸省第三港湾の所轄だったのですが。
現在は国土交通省の中の四国地方整備局に属しますね。そして、現在はタグボートや緊急避難船舶の係留地となっている小松島港ですが。現在、巡視艇が泊まっているところから南海フェリーが出ていました。
もう古い事故ですから、忘れ去られているかもしれませんが。
片山流にいうなら・・・現政権の時代です。台風下を押し切っての出航後の事故ですが。
此方は海事審判のページからです。
参考文献 
南海丸(総トン数494トン)が、昭和33年1月26日午後5時30分、旅客139人を載せて小松島を発し、和歌山に向けて航行中、同日午後6時28分ごろ無線電話で危険を知らせる連絡をしたのち消息を絶った。
当時付近海上には強風注意報が発令されており、平均風速17ないし20メートル、平均波高4ないし5メートルであったものと推定されたこともあって、直ちに救助体制がとられたが、翌々28日午後4時紀伊水道沼島の南西端から260度2.4海里の水深約40メートルの地点に沈没している船体が発見され、旅客及び乗組員167人全員が死亡又は行方不明となった事件である。
 洞爺丸をはじめとする旅客船の相次ぐ重大海難に、社会の関心は非常に高いものがあり、本件は遭難現場が目撃されずその消息を断ったのでより世間の関心を寄せるところとなった。
 本件については、昭和35年3月8日神戸地方海難審判庁で裁決された。

となっています。小松島港を訪れると、事故の話を思い出します。
そして、寂れる地方の港に昔の面影を探しますね。現在、船が泊まっているところは当時は大阪南港と結ばれて連絡船が行き交ってました。
ココで降りると、竹にさしたチクワを売る女性が二人居て、それぞれに味が違ったのを覚えていますね。
そして、その後国有鉄道の民営化で小松島港駅は消え・・・チクワ売りのおばさんもどこかへ行ってしまいました。寂れる地方の再生????簡単に出来るならこんな寂れた港は無いでしょうね。そう思うのは私だけでしょうか!!!
此方から全国のブログを見てみませんか!!!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。