四国の四季と遊びのお部屋(JAPAN THE LIGHT OF DEY)

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古代ロマンを求めて壱拾六・・Ⅱ

2013-11-13 08:30:51 | Weblog
世界を震撼させる台風30号がフィリピンを襲いましたが、多数の犠牲者が・・そして、世界から救援が発動されました。
何気なく日々のニュースを聞いてますが、TVが白黒時代には無かったニュースです。
つまり世界は一つになる動きをしていますね。そして、アメリカ大統領オバマ氏彼が大国として世界に赴いても世界で3人には最高の敬意を表します。ローマの法王、イギリスの女王、そして日本の天皇陛下です。
其の前では、いかなる人も敬意を表します。其の方が日本に居るのです。
神社を訪ね歩くうちに疑問と核心が生まれました。それは、古いとされる神社でも狛犬や常夜灯の刻印から平安時代以後ばかりです。
そして話は変わりますが、日本人のルーツと関わりが深いと言われる古代イスラエルと<BIBLE>聖書です。
聖書には旧約と新約とと呼ばれてますが、キリストの生誕以前と以後と思ってください。
そして聖書は普及と共に世界を信者とします。又ユダヤ教やイスラム教でも啓典であります。
特に旧約ではヘブライ語とアラム語で律法や預言者、歴史書であります。
旧約にでて来る創世記では<ノアの箱舟、バベルの塔>などが有ります。又新約聖書ではギリシャ語とラテン語で書かれていました。
ゆえに旧約聖書をヘブライ語聖書、新約聖書をギリシャ語聖書などとも呼びます。
旧約聖書は紀元前400年頃に書かれたとなっています。古代イスラエルは紀元前971年からですが、当時の繁栄はユーフラテス川からガザまで有ったそうです。
そしてソロモン死後10種族が帰るところの無いディアスポラとなりました。
彼らが放浪の果てに日本へ渡ってきたとすれば高度な技術と高い教育を受けていた可能性は有りますね。
ココまでは聖書からの引用ですが、一時期騒がれた秦氏ですが、283年に百済より渡来と有ります。そして興味深いのはこの時の天皇は応神天皇です。彼らは<THE BIBLE>の存在を知っています。もちろん勉学を美徳とするイスラムの教えですからそして、長旅で得た知識も持ち合わせていたことでしょう。
712年に書かれたとする<古事記>これに深く関与した<大安麻呂>彼は民部卿従五位ですが、彼が聖典を知っていたとすると古事記も書きやすかったでしょうし、又、日本書紀にも携わっています。橿原市の彼の墓より没年723年7月とのことですから可能ですし彼の子息多人長が編集にかかわったことでも想像できますね。
そして其の後、元正天皇(女帝)715年~724年に法規として養老律令を編纂しています。757年に施行され明治まで古代日本の政治の体制を規定してきました。
つまり、日本へ受け入れてくれ古代日本の礎を創り上げた応神天皇は全国で八幡宮として崇め敬い、古事記と日本書紀でそれを保護し、キリスト教社会の受け入れを拒む為に神社を建てて信仰することで古代日本を守ってきたのではないでしょうか???
ですから必ずしも古事記にモデルの必要性は無く!!むしろ、日本全国に当てはまる事柄を記述してあると考えたほうが良いのではないでしょうかね。
見本は<THE BIBLE>と考えると年代や崇拝に違和感がなくなると思いますね。
こんな記事も見つけました。合わせてご覧ください。そして・・こんな記事も有ります。すべて真実ではないとしても・・・参考までに・・・
長く書きましたが、日本は世界の中心ですよ・・近隣は羨ましくて駄々をこねるが・・・!!!
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・・近日古事記と日本書紀に込められた一族の栄華の夢!!!