自分の勇気のなさのうちに、ぶるぶる震えながら立った人を、認めたい。
怖くとも、立つとした、弱さゆえの足掻きを賞賛したい。
丈夫になるまで待ったり、支度できるまで引っ込めてたりしなかった勇気を称えたい。
怖かったうちの、凛を見つけて、添える魂の側でありたい。
かつて、あんなに恐怖に心震えて、逃げ出したくなる衝動だけで胸が一杯になったことたちが、今や経験値を得て、微笑みすら見せながらも、怖いながらでも、姿勢は違えて進む足取りを得てる。
わからないこと
こわいこと
最初は狼狽し、猜疑に苛まれ、人も責めた。
そんなのなんの役にも立たないけれど、なにかしてないとおかしくなりそうなほどの心細さで、実際起こること以上に過分な思い込みが、身も心も焼いた。
その弱さを知ってからは、こういうのもかと心得もできるようになった。
できたからといって、きっと多分事態は少しの猶予も変遷も起こしてはいない。
それでも、顔つきと足取りにはこもるものが宿ったし、そうしたなけなしの勇気ひとつで、やってくんだと諦観を胸にしたのは、大きな財産だった。
生きるってのは、きっと「解釈」。
どう捉えても答えをくれ、どうしくじって、どう歪でも、あなたには「そう、という真実」としてまごうことなき本当になる。
あなたがそうなぶん、人にもその余地を「いいよ」ってわたさないとね、フェアにならない。
自分には許し、人には許さないことを「品位がない」とする。許さない分は許されない分でもある。
卑怯に甘んじたり、日和見に過ごせば、自身が穢れ、真っ先に自身が「敵対の側」に配置される。
怖さの分量は重さを変えないけれど、そのまま怖いけどって爪先が向かえるんで、人は進むってだけのこと。
怖さって怖いまんまなんだ。
なのに進めてるってのが、強くなったってことなんだと思う。
まんまなんだよ。
米ロ連携の「ゼレンスキーおろし」をウクライナ議会が全会一致で拒絶、最悪の国難を救う
嘘つきはトランプで、他国の存亡や尊厳にかかる重大な情勢時に、深刻な虚偽で翻弄したことが分かる決定。
ファクトの怪しいアメリカ大統領が実害の種と知れ、追従者はプーチンという構図。
この茶番、すべからく嘘つきの軽率が重篤な圧迫を見舞ったとわかる明確な提示となった。
アメリカは恥を知れ。
ウクライナに難をもたらしす国に天誅あれ!
ゼレンスキーの一人勝ちに向かったマイルストーン。
「怪我をしなさ過ぎて」かえって怪しく映る有様。
こんだけ国民一丸の火の玉となって荒んでるのに、「被害のない」人らがそうしてられるには「仕組み」の作用があるんだよ。
無傷の連中に気をつけな。訳ありだ。
そしてそれは、今では「目立つ」。
国民は勘づく。被害に遭ってるから。