志村けんさんが亡くなったのがまだ今年のことで、それがコロナウイルスのせいだったことを思い出した。コロナウイルスの根絶は難しそうだと風向きが変わり、「怖いまんま、元の生活」に戻るような気配までするこのごろです。
経済が止まると国体が揺らぐからと、電車通勤も出社も、やむにやまれぬ業種も再開をしたけれど、忘れちゃいけないのは「死んじゃう病気が蔓延している」ことです。
志村さんが亡くなったとき、街から本当に人の気配が引きました。観光地ではゴーストタウンみたいになってました。いい人でも、容赦なく殺してしまう病原菌です。
もはや「全国のあちこち」に罹患者はあり、厳密な意味で「見分け」もあきらめているようです(ですからPCR検査は未だに一部のまま)。見わけも隔離もしなければ、もはや「いつ病気になってもあきらめて過ごせ」と言っているのに等しいのです。
「罹患したってすぐ死なないし」と思ってる人もいますが、後遺症の血栓は機能不全を起こしますし、肺炎も苦しいものです。中国で多発した「突然死」の風景は、よそ事でなくなったと思うべきです。発症しないまま、萌芽の機会を伺われてるウイルスホルダーになるのです。
ですから、今こそ慎重に、行動の自重、免疫を少しでも上げる生活に気持ちを留めましょう。以降「強毒化」してくるウイルスは、発症後に治療の猶予を与えないほどになるかも、という話も出てきています。そうなったら、病院も薬も無意味なのです。今、広めないことに、力を注ぎましょう。地味でも、大事。
雨が続くのは梅雨が終わらないからなんだねと、からりと思っていまして、唯一苦痛なのが「気圧の乱高下」があると、目の奥が痛みを覚えることくらいですかね。バファリンって要るときにそばにないと不安を覚えます。
体内の気圧と、生活圏の気圧に差が出ると痛むのかな?と毎回「深呼吸」したりするけど、まぁきっとそんな暢気なもんじゃないんだろうな。このごろは「私は気圧差すら体感できる」と能力が増えたように思うことにしてます。
「ただいま997ヘクトパスカル!」とか分かるようになったら人に自慢しよう。
「ただいま997ミリバール!」っていっちゃったら、昭和の人ですわ。うふふ。
昨今の中国韓国の外交見ていて、欧米とガチでやりあったことのない国って、こんなに横柄にしてても見逃してもらえるって思ってる節が強く出てて、米国が本腰入れはじめてようやく「え?怒るの?ひゃあ」みたいになってるので、「嘘やん」とびっくりします。
アジア系の人が国際的に上位に立つことは、根っこの部分で嫌なんですよ、欧米の方には。いっそインドくらいになれば、いいんですけどね。日本もそうですけど、「味方」がみんな、いないんですよね。
人は自分に許した分しか「弱れない」し、「困れない」。決めた分しか、実行を許さないのです。ならばもうあんまり弱るのも困るのも、よそうかなって思いました。