
親子、と一言に言えても、関係は千差万別。一様がなく、信者が「そんな権利があるのか」と叫ぶ時、複数の思惑が錯綜する修羅になる。
親は親であり、子は子に違いない。
事実の突きつける過酷は、大人当人より、子供側に避け得ない苛烈を刻みもする。
行動の様式に常人と違う側面をはらみ持ちやすくもなるし、トラウマは意識下で作用を憚らない。
人とのやり取りのうちに支障を設置してしまう「宗教」は本来の意味で宗教なのだろうか。
少なくとも子供が息のしにくい現実に晒され感情を抑える性向に向かうのはどうにもやりきれない。
家庭に宗教が強くある時、ある種の本末転倒を強く覚える。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます