結局さ、威勢良さみたいなので振る舞おうとした側をさ、上手に囃し立てて、なんかしでかすようにまでスピンさせられたらさ、もう自発で始めちゃった事柄なんで、上げた拳が下げれなくなっちゃう。今度は体裁が絡んできちゃって、威勢良さで突っ走った手前、もはや戻れなくなっちゃってる。
とどのつまり、お調子ものを神輿に担ぎ上げるまでがクレバーな側の魂胆であって、その後の料理は自在でござい、とばかりに雰囲気の醸成で事足りるって寸法だったんだ。
常々、「最初に手を出させる」までが魂胆の肝であって、そこさえ相手事由で発奮させちまえば、感情的に収まりがつかないのと同時に、成敗なり収束なりとやっつけにかかる目星が成立してしまう。この形骸はかなり強固堅牢で、手出しした側も理性的な計画はやや後回しにしやすくなる。計画性を損なったスタートは、その辻褄がそもそも最初の段階からしくじっており、そこまで包囲戦でじわじわ真綿で締めてた側が「しめしめ」なだけになる。
目先のいくらかは「何かを手に入れた」みたいな体裁が瞬間風速的にあがるけれど、そこが運動のピークで、あとは転落の勢いが止めれないほど、なんのイニシアティブも確保できなくなる。不備や贔屓筋(ひいきすじ)などの実力によらない運用がまかり通った組織ほど、そうした有事の離叛著しく、回復の目処ばかりが損なわれていく。
実に毎回その筋書きが根底に透けている。世相は加害側を許さぬ心情をまとうし、婉曲的に消耗疲弊が数年に亘って効果する。狡猾である、実に人間の心情を司ったやりくちである。腹黒である。
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