配信とかオンデマンドの浸透とやらで、払った対価が手元には何も残らないのに、支出額は見合わぬほどには高額であると常々思っております。
対価、なのよ。
記憶に残るから、で済ませられるものはもっとうんと少ないって感じる世代。
まずもって以前確保できてたサービス群よりもクオリティーが落ちてるわ、選択肢も減ってるわ、業界を存続させる潤沢さも損なわせてて、トリプルパンチで凋落しか予感しない。
世界が良くなってってないんだよ。
もっと怒れよ。
自分の希望要望ばっかり相手に当てこするのは幼稚だし卑怯だわな。
受け止め切るだけには自分を律しときもしないで、言える分だけ吠えられても迷惑だよ。
相手が言うに言えないでいてくれてる堪えを加味しないのもアンフェアだ。
なすべきをなし、揃えるべき支度を揃えなさい。ものをいうのはその後だ。
曼荼羅、そして複数の円の集合。
わかりやすいメタファーです。
そして現状のつまんなさは、必然だったかと觀念もしました。
その上でルーカスのした決断は妥当と思いました。
日本で言うなら巨大な漫画のヒットで、生涯に1〜2本で著名な作品だけで、人生を終焉させらる漫画家みたいな存在が、未だその生き方以外のセカンドライフに満喫を覚えたなんていうニュースがないように、とても狭量で偏屈なクリエイションをプロゆえのハンデ然とする卑怯さとは、雲泥の差です。
40年ひとつごとしたんだしもういいだろって人に言わせないで済ましにかかったルーを支持します。
もしや本当にいいものには辿り着けなくなり、拾い上げる術も失っている時代に我々は住んでいる。
昔より目に見えて劣化し、洗練を損なった媒体や俳優、メディアに占有される埋没ばかり目の当たりにしておる。
一言で言うなら、現代は数ばかり凡庸に多く、有料化の割に、価値が薄く酷い。
洗練が足りず、魅力を引き出し、ブラッシュアップを怠ったツケしか見れていない。面白く感じないとはそういうことだ。
手間をかけないのだから、いいものにならない。便利やコスパの優先されるうちは、いいものには巡り会えないであろう。
つまり
コストや観念に対し、度外視を目論み、経済観念からくる脅迫を押し除ける阿呆なしには、ブラッシュアップされた洗練はありつけない。
80点主義の、天才不要で、せいぜいの秀才好みばかりに逸るがゆえ、凡庸の域を出ない。
生きることに歌舞く気概なしには、頭ひとつ抜きん出た真価あるものには出くわせない。
本物を目の当たりにしたことのない凡人が烏合の衆を肉厚にしたところで、巨大に退屈でしかない。
忖度や順序、今後などを勘案させないで奔放を助長させる昂りを、けしかけに臨む気概次第では、いつにだって世界に応える驚愕の洗練がでないとも限らない。
公器が馬鹿に巨大で、垂らす蜜が無尽蔵ならば、相応を値踏める阿呆も倣うものだ。
準備する側と、みすみす乗っかる側が双方ともに際限のない阿呆であるだけで、調和のある巨大な洗練は起きるかもしれないのに。