
小さい頃には神社もお寺も見分けもつかず、かくれんぼしながら神社境内を縦横無尽に隠れまくってた私は「なんでここには仏像がないんだろう」ってずっと思ってました。神社ですから当然なんですけどね。大きな松の木が2、3本、どーんとあったものです。
境内で遊んでただけでも、なにがしか功徳だとか巡りがあったんじゃないかって今は思うのです。なんか、ずっと元気だったなって思い出すのでした。
大人になって「頑張って」過ごしていると、なにか「足りない」感じがしたのです。黙っていてもめぐってきてくれていたものがあったんだろうな、と。

人が一人生きて過ごすってだけでも、たくさんの巡り合わせのようなものが、恵まれてるときには元気が授かれる気がします。今日、ふと、そう思いました。