《人生がうまくいかない人の代弁者だった》遠野なぎこさん死去公表で共鳴した“フォロワー”たちの嘆き (1/4)| 女性セブンプラス
うまく人生がいかないことは、誰にでもあるけれど、深く存じるわけでもないうちにも、苛烈な経緯のうちに生涯が苦難多めに苦しんでいたのは、ときおり伝えきく芸能ニュースで知るくらいでした。
それでも心のどこかで、訴えられてくる苦痛や悲しさを「越えた」ところの話を、彼女から伝え聞けるといいなとは、ずっと思ってはいました。
摂食障害は本当に苦しいと思うし、お茶すらもどしてしまう記述を見たりすると、体と心が調和に向かえぬ苦しさは筆舌に尽くしがたかったろうと推察する。
なにか救いになるものがあればよかったのに。なんでもいい、ひとつ、救いになれるものがあれば、もうすこし、違う進め方があったんではないかと、外野ながら思ってしまう。
ある意味、他者では憚られるとこまでの言葉を繰り出す彼女は、過激にも見えたし、病的な鋭利さや混乱が透けて見える時もあった気がする。
それでも見てるこっちは、どこかそこに「正直さ」もわかり、それで過ごし続けるのもさぞかしきついだろうとは思ってはいた。
「その正直さでは、周囲が参ってしまう」とも。
なのに
ひどく心にぽっかり穴が開く感じを受けてしまうのです。