会長スピーチ

綾部ロータリークラブ会長スピーチを収録します。これは週報に掲載されたものをそのままコピーしたものです。

「通し矢」

2008-01-24 14:07:40 | 会長スピーチ
                                
1月14日は成人の日でしたが、その日は毎年、京都の三十三間堂で、恒例の行事が行われます。通し矢です。
毎年新成人が弓を射ますが、特に晴れ着姿の新成人が弓を射る姿がテレビで放映されます。
 
 三十三間堂の庭で、60m先の的を射ます。本来の競技では約30mの距離で行われますが、その倍の距離ですから、なかなか当たりません。
ところが、本来の通し矢とはそんな生易しいものではありません。三十三間堂の西側軒下(縁)長さ120mを、南から北へ矢を射通す競技の事を意味します。一昼夜に射通した矢の数を競います。

 西暦1100年代から行われていたという話もありますが、明確な記録があるのは1606年からであります。江戸時代には盛んになり、
各藩の弓の名手が、藩の威信を賭けて挑戦しました。軒下で射るのですが、幅2、5m、高さ5、5m、長さ120mを通すのですが、
立位では無理なので、座して弓を射ました。暮れ六つ、夕方の6時から、何と24時間射続けます。記録はどんどん更新されて、
最高記録は1686年、紀州藩の若干18歳であった『和佐大八郎』が残した、13053本中通し矢8133本という記録です。率で言えば62%、
1時間に544本、1分間に9本を射る速さで、弓の強さ、技術、そして精神力は想像を絶するものです。以後、この記録は破られる事はありませんでした。この競技は江戸時代で終っています。

 では、現代人が通し矢を行ったらどうなるのかという事で、1987年今から約20年前に、プロジェクトを組み実験的に通し矢を行いました。
芦川という5段の腕前である人が、100射して通し矢が9本。弓は炭素繊維をいれ、特別に強くしたものを使ってのことです。
多分現代では、普通の腕前の人が射ても、1本も通らないと思います。

 江戸時代の武士は、現代人では考えられないほどの体力、精神力、技術を持っていたのだろうと驚くばかりです。

(週報2008/1/18)