みんなで踊った時には6人くらいのひとが、のりのりで、楽しそうに踊ってくれました。
気仙沼の道なき道を、走りました。このおじさまに、第一高松園への道を教えて頂きました。後ろのこの屋根は、このおじさまの家の屋根だそうです。この場所の人たちが避難している第一高松園での、私の踊りを見たいと言ってこの後、来てくださいました。
ともと
まいこを駅に送り、もどって”けいた”と言う青年に約束していたことがあり、七が浜に戻り、会いました。
”けいた”さんは、3週間会社を休み、この公民館を拠点に、ギターを弾いたり、子供たちと遊んで、きました。この日帰る日だったようです。私の髪にさしている、かんざし
を作ってくれたのです。せつこがお礼にと少しお渡しすると、えーこんなにいいんですか?帰りのフェリー代の足しになります。ありがとうございます。といいました。数千円ですよ。
こんな若者を含めて、東日本の被災地では、若い人がとても輝いていて、仕事を積極的にやっていました。
ともは、被災地がデビューで、4か所で踊りました。お別れのこの時、ともは、ぼろぼろ”有り難涙”を流し、大変なことが 起きている被災者の方々に感謝とお礼を何度も言っていました。そのともの涙につられて、おばさまたちも皆涙目でした。
ともの御蔭で、被災者の方々ともちょっとだけ、より理解し合えた気がします。ともちゃん、一緒に行ってくれてありがとう!
1回目のステージが、終わって後かたずけも終わり、玄関を出たところに、やってきた73歳のおじさま福岡長一さん”踊りを見に来たんだけど終わっちゃったんかい”周りにいた方が終わっちゃったよ”そうか、、、と寂しそうです。するとこのおじさまは私たちに今夜は何処に寝るんだ。と言います。せつ子が、大丈夫です。車とか、テントも持ってきましたから。するとおじさま、”おレンチに泊れ!””今ばあさんに布団しかせるから”と言って下さいました。車のところで、かたずけごとをしていると、栄養ドリンクの冷えたのを3人分持ってきてくれた最上さん(50代)、今夜はうちの仮設に泊れ”と言ってくれます。皆ほんとに優しくて、、、。と言うことで福岡長一さんと和子さんの、仮設へ移って3日目の新居に泊らせて頂き、シャワーも浴びさせて頂き、そして、おやきも作らせて頂いて隣の方や、外にいた方々のもらってもらいました。そして、お二人のためにここで踊らせて下さいとお願いしました。すると皆にしらせたようで、お部屋がいっぱいになってしまいました。
3回目のステージは、100戸の仮設住宅のある、集会所兼ボランティアセンターでした。せつこの前のおじいちゃんはなんと98歳”伊丹四郎さんと言う方で、ガソリンスタンドの前のほうのおうちで、被災し、頑張って歩いて、山の上までおばあさんと逃げたそうです。多くの大変な戦争も経験し、今この1000年に一度の震災も経験したよ。と語ってくれました。家は全部流され、避難所から仮設住宅に移ってまもなく、”ばあさんが体調を崩し入院しちゃったんだよ。寂しいよ。”といってました。このおじい様とも、”又来ます!お元気でいてください。”と固く手を合わせました。
東日本ツアーで、2回目のステージで沖縄のお巡りさんが6人くらい通りかかり、見ていてくれていたのですが、最後に皆で踊りましょういうと皆さん参加してくれて特に一人のお巡りさんはとても、楽しそうに一緒に踊ってくれました。避難所のかたがたも大笑い、楽しい空気に包まれました。さすが沖縄、のりがいい!!