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近江湖西会家族会へようこそ!

精神障がい者の家族と支援者の集まりです。

「病の吾子に寄り添いて」-6

2017-10-17 21:37:26 | いろんな想い


♪「普通」とは 何事なるぞと 問いかけし 吾子の精神病(やまい)と 向き合いて今 ♪


この歌は精神疾患の本人や家族の思いを表しているだけではなく

社会への問題提起にもなるのではないでしょうか。

「普通」とは何なのでしょう。

今のこの世の中では 特に日本の中では

そしてとても残念なことですが この県のこの市の中では

「普通」というのは職業を持ち収入があり

男性なら妻子を養い 女性なら子供を産み育てる

そういう人のことを言うのだと思っている人が多いようです。

それでは 病気の為に収入があまりなく

障害手当や生保で生きている人は

普通ではないのでしょうか。

たとえ普通でなくても一生懸命生きているのです。

病気を治したいと少しでも良い方に向かいたいと

毎日努力しています。

それが普通でないというのなら 

普通という意味はおかしいのではないでしょうか。



この歌を読むとき この作者がどんな思いをしているのかと

胸が締め付けられます。











~私達は…だけではありません~

2017-10-14 14:43:40 | いろんな想い

以前8月28日に「あるグループ」の集会について書いたことがあります。

このグループの代表者から11月の活動のお誘いをいただきました。

そのお誘いチラシの表題が今日のブログに挙げたタイトルです。

「~私達は…だけではありません~」というのを見て

なんだろう?とたいていの人は思うでしょう。

副題は「素晴らしい明日の為に Small brand new start」とあります。

そして本文に 自分たちが…だけではない ということを

7つの文章にして表現してあります。

それは精神疾患の人からの鋭い表現です。

そしてこれは一つの詩になっています。

この詩に曲を付けて歌にして発表することが出来たら 

精神疾患について偏見の多い一般社会に

どれほど啓蒙することが出来るでしょうか。

この文章をここに掲載してもいいかどうか

了承を得ていないので載せられないのがとても残念です。





いまこの社会に必要な事の一つに

一般市民が精神疾患の人たちを特別視することなく

同じ人間なのだということを理解することがあります。

働く場や憩える場所を作ることも必要ですが

そのまえに人の心が大切です。

昔はいろいろな病気が差別のもとになっていました。

ハンセン氏病や結核などですが今は改善されています。

精神疾患だけは今も大きな差別意識が存在しています。



精神疾患のことを理解したいと思っている市民もいます。

それはでもあまりにも少数です。

もっと理解を高めるために ここに書かれた文章(詩)などを

当事者自身が書き 発表することが大きな力になるのではないでしょうか。

少しづつでもいい 「素晴らしい明日の為に」素晴らしい明日を信じて

進んでいきたいものです。










「病の吾子に寄り添いて」-5

2017-10-10 14:43:02 | いろんな想い

この作者の短歌を紹介するのももう5回目になりました。

まだ半分にもなりませんが 中ほどまで読んだとき

この作者が心平らかな時に詠まれたかと思われる短歌に出会い

また病人も平穏な状態であったのだろうと思われ

これらの歌を読む者にとっても

ふと心休まる気持ちにさせられます。



♪今日からは 一人で通院 できるとぞ 吾子を見送り 無事祈るわれ♪


無事を祈って見送るのは父親である作者だけではありません。

そばには母親も一緒に見送っています。

いい家庭を営み誠実に生きてきたのに不意に訪れる子どもの病気。

それを受け止めて少しでも快方に向かうよう心を配る両親。



♪病むことは 不幸にあらず 休息の シグナルなりと 教えし友あり♪


休息のシグナルはこの病気ではあまりにも長い期間です。

それでも作者はそう教えてくれた友の気持ちをくんで

永くゆっくりと待とうと思ったのかもしれません。

この病気を実際に経験した者でなければなかなかわからない苦しみを

説明することもせず 黙って友の好意を受け入れた作者の

大きな心を感じます。



♪病む人を 支える家族 語り合えば 重き心も ほぐされていく♪



ある日 同じ病の家族を持つ人と語り合ったのでしょう。

病気の家族のことを語り合っても病気がよくなるわけではありません。

けれどもそのそのことで家族の心の重さがほぐされるのであれば

それは大事なことです。


家族会を作り 語り合うことは やはり必要なのでしょう。

まだまだ当事者の家族というものを大事だと認識してくださる人は少ないですが

この歌を読むと 家族同士のつながりを 困難を乗り越えて 

作っていこうと勇気が湧いてきます。






「病の吾子に寄り添いて」-4

2017-09-25 21:42:05 | いろんな想い

入院した息子のことを想い

淡々とそして切々と詠われた次の5首を読んだ人は

どんな気持ちになるのでしょうか。

当事者を家族に持つ人は作者の気持ちと一つになるでしょう。

とくにこの作者と同じくわが子が病人のとき

どれほど胸に迫ってくるか

想像を絶する思いです。

作者やその息子さんの詳しい経緯は知りませんが

息子さんが最初の入院の時にお詠みになったのでしょうか



♪銀嶺の 比叡の峰を 右に見て 琵琶湖を望む 吾子の病室♪



病室から見える景色にほっと慰められる気持ちが分かります。

次の一首は退院を心待ちする息子さん心を

わがことのように感じる家族の思いでしょう。



♪枕辺に 置きたる吾子の 手帳には 退院の日が 記されおりし♪



そして次の二首には入院の状態が良いようだということを

ひとまず安心する親の気持ちが出ていて

読んだものにとってほろりとさせられます。



♪療養の 仲間と囲碁を 打ちしこと 語りし吾子に 我は安堵す♪

♪入院し 安らぎを 取り戻したる 吾子は見舞への 謝意を口にす♪



どんな親も皆、気持ちは同じことでしょう。

ただ、それをこうして和歌に詠むかどうかは個人の差です。

和歌を詠んだからとて悩みが解消するわけではありません。

でも自分の気持ちを和歌や俳句、詩や文章にすることで

書いた本人も安らぐでしょうし

それを読んだ読者も気持ちが救われるでしょう。



ひとは本人にも家族にも環境にも関係のないことで精神の病になります。

そのことを理解する力がまだまだ人間にはありません。

特に日本ではこの病に対する理解が遅れています。

一人一人の病人と家族が明るい気持ちになれるよう

行政や一般市民に訴えたい気持ちが

こういう愛と悲しみに満ちた歌を読むと

ふつふつと湧いてきます。



♪主治医より 吾子の退院 告げらるるも 我が喜びは 半ばというべく♪








講演要旨ー3(了)

2017-09-13 13:29:36 | いろんな想い

精神科病院の経営

 病床利用率というもので精神科病院の経営状態が分かります。

 日本では1970年には利用率104%だったのですが、2015年には79%になっています。

認知症患者数53000人を差し引くと71%になります。

90%を切ると経営状態の赤信号がつくとされているので、経営は悪くなっているのですが、

これは短期入院が多くなったということで、精神医療の進歩を反映しています。

しかし、精神病院経営はだんだん崩壊しています。

これからの精神医療

 これからの精神医療には三つの道があります。

 第一は病院の「病棟転換型居住系施設」化です。

病棟を回収してグループホームのように長期滞在施設に変えるものです。

これは大きな反対運動があって中止になりました。

 第二は認知症患者の精神科病院入院です。しかしこれも簡単にはいかない状況です。

 第三は精神医療改革です。精神の病気と障害を持つ人を支えていくという方向です。

当たり前のことをできるようになる精神医療に変えていくことが必要です。

 この医療改革をするためにはお金の使い方が問題になります。

 日本では入院医療に97.4%、地域には2.6%、

イタリアでは地域で違いますが入院医療に10%、地域には90%となっており、正反対です。

これをイタリアに近づけて行こうとする動きが出てきています。

 日本の病院は民間医療が中心なのでこういう改革は難しいとされてきました。

しかしベルギーでも民間病院が8割を占めているのですが

こういう改革をやっていっています。

国が責任を持って民間経営の病院を助ければ日本でも成功するはずです。

誰にとっても他人ごとではない

 2004年の精神保健医療福祉改革で、日本は初めて精神医療政策の立ち遅れを認めて、

地域中心の医療に変えようとしましたが、まだ実行できていません。

病気の不幸の原因は日本の遅れた政策にあることを国民にもわかってきたのです。

当事者・家族・医療関係者がもっと発言し行動するときです。

政府も問題があるけれども国民全体も精神医療に対して

向き合ってこなかったのではないでしょうか。

精神病の家族を持つことや病気になることが不幸なのではなく、問題は、

国が当たり前の医療を提供しなかったことです。

世論や国会の議論を高めていこうとしなければなりません。

当事者・家族・医療関係者がそういう立場に立ち、新たに政策を作るようにしたいのです。
 

講演要旨ー2

2017-09-12 09:53:22 | いろんな想い
医療差別の原因

なぜこのようなことになったのか、それは国の精神医療政策の基本が、

精神科の患者は危険なので入院させておこうという、社会防衛的視点があるからです。

病院に患者を任せてしまって、当事者・家族が一番望んでいる、地域での住む場所、

働く場所、憩う場所を国が作らないで来たのです。

精神障がい者は危険だから病院に収容しておこうという発想は間違っています。

精神障がい者の犯罪率は一般人と比べて非常に低いのです。

精神科の外来・入院数は392万人であり、糖尿病や高血圧を上回る1位の数です。

国民4人に一人は精神科の病気にかかると言われています。

日本でもヨーロッパを見習って、当たり前のことを普通に行うことが出来るように、

精神医療政策を変えていかねばなりません。

現在の精神医療政策

戦後の精神医療の変化

1950年:精神衛生法制定 私宅監禁禁止、入院させる

1958年:精神科特例 一般病棟より医師や看護師の割合を減らす

1960年~:抗精神病薬の本格的使用

先進国ではこの頃から、当事者の希望をかなえられるように支援する考え方

地域中心の治療になりました。病人がやりたいことをできるようにすることです。

日本では職員数を減らす特例を作ったため、入院政策が続きました。

ヨーロッパと違い日本は9割が民間の病院であることが問題なのです。

日本の現状が続く理由

 日本の精神医療政策はなぜ先進国のようになれなかったのでしょうか。

1.全患者数の23%を占める精神科患者数に対し、全体の6%の医療費しか使っていない。

2.精神病棟の9割が民間病院であるため、病床の削減が困難。

3.家族や医療者は病気を治すことを重視している。抗精神病薬に過度に期待しすぎている。
                                  (多剤多量服用)
 このような理由のために日本では病床を減らすことが進んでいません。

ヨーロッパでは最多期と比べ7割から9割の病床を減らしました。

もし日本が病床数を現在の35万から6万4000に減らせば

精神科入院医療費を82%減らすことができて1兆4千億円から2520億円になります。

この差額は1兆2千億円になります。これを地域生活向けに、

現在500億円しか使われていない額に足して活用すれば、

障がい者の社会生活がかなり改善されるに違いありません。







講演要旨ー1

2017-09-11 16:22:16 | いろんな想い

この国に生まれた「二重の不幸

100年ほど前、精神疾患は「不治の病」だと思われていました。

精神医療に対してお金を回すことを政府はあまりしませんでした。

患者は自宅内の座敷牢や庭の隅に立てた小屋で一生暮らすのが普通でした。

当時の精神科教授は「精神障害になった不幸」と「日本に生まれた不幸」の

「二重の不幸」と表現しました。

1960年代になって抗精神病薬が使われるようになり、症状を改善できるようになりました。

いまでは働くこともできる時代になっています。

けれども問題はまだまだあります。精神障害は入院していれば治るものではありません。

退院してから、または入院しないで、地域で生活できるための支援が必要です。

ヨーロッパでは家庭の中はもちろん職場にも作業療法士が同行するような支援がされています。

「日本に生まれた不幸」はそういうことからの発言です。日本の精神医療政策の遅れが問題なのです。

先進諸国との大きな格差

 日本の精神医療の問題の一つは他の先進諸国との格差であり、二つ目は国内での一般医療との格差です。

 先進諸国では入院日数は平均18日です。日本では平均284日です。

 世界全体の精神病床は181万床ですが、その20%を日本が占めています。

 人口では日本は世界の1.6%しかないことを考えると非常に多い病床だということになります。

これはつまり日本は入院期間が長く、社会生活が困難になり、当事者や家族の苦労が増える国なのです。

 入院期間が長いだけではありません。医療スタッフの数は先進諸国の5分の1しかいません。

日本の精神科病院は治療機関というよりは「収容施設」の状態にあるのです。

国内での一般医療との格差

日本の中だけで考えても、一般病棟との格差は次のようです。

2014年の厚生労働省の報告によると患者受け持ちの数が一般病棟より少なく、

医師は4分の1、薬剤師は3分の1、看護師は5分の2、准看護師は1.5倍です。

職員数が少ないため精神科病院は一般病院の3分の1しか収入がありません。

全疾患の在院患者数126万人のうち精神科在院数は30万人ですが、

医療費は総額29兆円のうち精神は1兆9千万円で、患者数は30%であるのに

医療費は9%しか掛けていません。

つまり日本の精神医療は当事者・家族の大きな犠牲の上に成り立っているのです。






よその家族会

2017-09-10 11:16:49 | いろんな想い

東京に「世田谷さくら会」という家族会があります。認定NPO法人です。

この家族会はとても規模が大きく、毎月冊子を出しておられ、32頁に及ぶものです。

この冊子を時々読みますが、実にいい勉強になります。

これだけのものを出版するためにどれほどの人手がいるでしょう。

人手がいるということはつまりお金もいるということで

たとえばこの冊子はB5の大きさのものですが1冊300円ということです。

「みんなネット」と同じ値段ですね。

年会費も高いと聞いています。10月のバス研修旅行なども参加費が3,500円らしいです。

結構お金に余裕がなければこの家族会に入るのは無理でしょう。



この冊子の中には家族教室を開いた時の講演の内容が掲載されていることがあります。

今回見せてもらったものにはとても良いことが書いてあるので

ここに少しまとめて書いておくことにしました。

14ページにもなる長いものです。ですからかなり要点だけになります。




講師は社会福祉法人(うるおいの里)理事長 氏家紀章氏です。

今年の4月に(世田谷)区立総合福祉センターで講演されました。

題名は 「病院から地域へ ~精神科病院はどこへ向かうのか~」 です。

百年前の日本の精神障がい者のことから始まって現在の様子、問題点、

それから一般医療と精神科との違いなども分かりやすく書かれています。

また、ヨーロッパと日本の差も論じられています。



これらのことを知ったからと言って、医療関係者でもなく政治家でもない私たちには

詮無いことかもしれません。

しかし知っておくことは精神障がいについてのより深い理解につながると思います。

このブログでは明日から何回かに分けて書きます。





「病の吾子に寄り添いて」-3

2017-09-03 09:03:04 | いろんな想い

何かもやもやとして心の落ち着きのない状態のとき

K・Iさんの歌を読むと不思議に心が静まります。

五七五七七の短歌の旋律が好きな人だけの現象でしょうか。



家族会の活動は安らぎや喜びをもたらすものではありますが

どうしても煩雑な事務仕事や人間関係にかかわらねばなりません。

それを一つ一つ解決しながら続けていくことで

世の中が成り立っていくのでしょう。


やまいの吾子にどう対応すればいいのかを自分に問いつつ

詠まれている短歌の中に

子どもに対する大きな愛情と理解が見えて

人の切なく美しい生き様が見えてきます。


♪ 病なれば 罵声を浴びせし 吾子ならんに 心を狭く駁せし我か ♪

♪ 両の手で 頭を抱え 吾子が言う 頭中に巣喰う 魔物は何ぞ ♪

♪ 今日もまた 他者と語らう 吾子がおり 我が加わる 隙間無かりし ♪













「精神疾患とは」

2017-08-28 09:31:10 | いろんな想い

あるグループの集会の案内をいただきました。

そこに原稿用紙1枚半くらいの文章がありました。

題名として

「精神疾患とは異次元の空間の世界に迷い込んで心を支配されている疾患です」

と書かれており、副題として

~心の疾患~回復に向けて~

とあります。

この2行を読んだだけで気持ちがスーッと入り込んで次の本文を読みたくなります。



どなたがお書きになったのでしょうか。

署名がないのでわかりませんが、精神障害になった人のことを「患者さん」という言葉で

書いておられるので、精神科医が書かれたのでしょうか。

そして「まさかこの自分が…」とも書いてあるので

書かれたご自分も病気になられたのだと思います。



「今までアジャストしていた世の中の環境に、まるっきし順応できなくなり、

いっそのことこんな現世なら放棄して、

今まで当然だった人の心の働きの機能をあえて切り捨てて、

人間(ひと)が人間(ひと)でなくなって見られても構わないと判断し、

その道が堅実だという答えに行きつき、心を閉ざしてひきこもるものです」


このように本文では、病気のこころの有様を表しておられます。

この方は医者であるか又は精神疾患のことをよく勉強されたのでしょう。


筆者は「心の疾患に迷い込んだ人たちを見て、健常者よりも幾分

気が病むだけだろう」と思って「笑って誤解していた」そうです。

しかし「発病によって絶望を見る患者さんに接する際に、わかるわかる、私らも一緒一緒!」

と軽率に理解しないでほしいとも書いておられます。



妄想や幻聴の一歩手前でとどまっている人間にはやはり、

本当にその世界に入ってしまった人のことは分からないのかもしれません。

「わかるわかる」というのは軽率です。


「ご本人さんたちが回復に向けて不安になっていたり、

病気になってがっかりしていることを理解してあげること」

このことが患者さんの安心につながる、と書いておられます。


「安心して自分らしい生活ができるような、そうした環境づくりが大事です。

周囲の方にもその点を理解していただきたいと思います」

こういう言葉でこの小論文は終わっています。



精神疾患を「大したことではない」「わかるわかる」「私らも一緒」と思わずに、

病人さんに「わかってもらえたな」と安心してもらえるにはどうすればいいのか、

周囲の者は勉強しなくてはなりません。


この会合にぜひ出席していろいろ教えてもらいたいです。

それは周囲の人、家族、支援者、一般市民にとって

とてもとても大事なことだと思います。