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近江湖西会家族会へようこそ!

精神障がい者の家族と支援者の集まりです。

「病の吾子に寄り添いて」-2

2017-08-19 21:51:10 | いろんな想い

今日、先日短歌集を下さった方と少し喋るチャンスがありました。

あの45首をどこでどのように使ってもいいということでした。

その方は4年ほど前から短歌を始められたそうです。

昔から短歌が好きだったということはあるけれども

ある短歌の先生に縁あって2首を見せたところ

「ぜひ勉強しませんか」と言われて始めたとおっしゃっていました。

その2首というのはこれです。


♪ 音重ね 想いの丈を 銀盤に ぶつける吾子を 我今日も見ゆ ♪


♪ 弾き終えて ギターにそっと 頬よせる 吾子の生き様 問いし吾あり ♪


この方の息子さんがピアノをよくされるということは知っていましたが

ギターも弾かれるのですね。

音楽などの芸術に惹かれる人で精神に障害を持つ人はよくあると言います。

この息子さんもそうなのでしょうか。

そしてこの方は歌うこともお好きなようで、こんな1首もあります。


♪ 恋歌を 声轟かせ 歌う吾子 われにはなぜか 寂しく聞こゆ ♪


プレイボーイでもいい、実際にあちこちで恋を遊ぶ息子ならば

むしろその方がいいかもしれないと思うお父さんの思いでしょうか。



今日またこの歌集を読みなおしました。

本当は投げ出したくなるほどつらいことの多い日常なのに

こんなすがすがしい短歌が読めるのは

この方の並々ならぬ努力や気力のなせる業でしょう。



近江湖西会もいろいろうまくいかないことがあります。

ふと投げ出したくなることもあります。

ですがこの短歌集を読むと、このくらいのことでめげていてどうする、と

背筋がしゃんとしてきます。

この短歌集を少しずつ、ここで発表していくつもりです。

ここを読んでくださる方のうちたとえお一人でも

共感してくださることを願って。





 

「病の吾子に寄り添いて」

2017-08-05 20:23:00 | いろんな想い

今日、ある人から自作の短歌集をもらいました。

その人は当事者のお父さんです。

精神障がいであるわが子に対する気持ちがあふれ出ていて

目の奥がじんとしてしまいました。

この4,5年に詠まれたものだそうで、45首ほどありました。

その人の息子さんはもう20年ほど前に病気が出たと聞いています。

これらの歌を詠むようになられるまでには

どれほどのつらい思いがあったでしょうか。

もちろん歌を詠むようになったからとて、つらさが消えるわけではありません。

でもずいぶん救われる思いもおありでしょう。



短歌は日本語の美しさを一番あらわすものだという気がします。

小説や詩はどの国の言葉でも言い表せますが

短歌という形式は日本語にしかできないものでしょう。

俳句は外国語に訳されています。

短歌はでも外国語に翻訳するのは難しいのでしょう。

そういう日本語特有の短歌に子供の病気のことを

淡々と切々と静かに表現されたこれらの短歌を読んだ今日は

心が洗われた気がします。



今までの長い年月、そしてこれからも続くであろう日々、

そのような立場の人はたくさんいます。

一般市民はそういうことを知らないまま、よそ事として過ごすことが多いでしょう。

でも何年も病気と付き合うことになる本人とその家族は

生きていく一番の大事なことになるのです。


そういう人たちがこういう短歌集を読んでどれだけ生きる糧になるかは分かりません。

人によって受取りかたが違うと思います。

和歌が好きな人にはかなりの救いになるでしょうし、

興味のない人にはそれほど影響がないかもしれません。

けれどもこの和歌集を読んで胸を打たれない人はないと思いました。



著作権に触れますからこの作品を書き写すことはできませんが

これを小冊子にして多くの人に読んでもらいたいと願っています。

それにこの45首は、もし2,3首を例に挙げたいとしても

とても難しくて選び出せないほど、どれも心を打つものなのです。



もし、1首だけ、許しを得ずにここに書かせてもらうとするなら

この歌を選びます。


「やさしさと素直な吾子故失へし心の失調誰も責め得ず」


ある人は自分が20才代だったときに、世間の人と違うことに気が付き

専門家のところに行ったそうです。長い面接の結果、

病気ではなく個性だと言われたそうです。

かなり個性的で、生きるのに苦労があるかもしれないと言われ、

職業も変え、その後20年ほどは平穏な状態だということです。

その人もやさしくて素直な人です。



まさか病気ではないだろうと思ってなかなか病気を認められない日々はきっと

誰にとっても長く続きます。それは本当に長くてつらい時間です。

そんな気持ちを歌にして表現してあるものを読むと

心にすとんと落ちてくるものがあります。


「統合を失う病に立ち向かう決意に至る日の長かりき」










「みんなねっと」8月号

2017-07-28 20:00:30 | いろんな想い

「みんなねっと」8月号を読みました。

7月号に続き、

「それぞれの自立を目指して~本人・家族・医療者が、ともに考えられる社会へ~」

の「その2」として夏苅郁子医師が書いておられます。

7月号も「医師が変わらねばならない」という趣旨のことが書かれていました。

8月号では「医師はどう変わるべきか」について書いておられます。

このことは本当に大事なことでしょう。

当事者はどんな医者にかかるかで半分以上病気の回復が左右されると言います。

それを思うとほかの病気以上に医者の大切さが精神障がいには切実です。

この夏苅医師は精神科医療の当事者と家族にアンケートを実施されたそうです。

1万8000の質問票で7226通のの回答があったらしいです。

その内容も詳しく書かれていますが、その次には

「当事者と家族が自立すること」の必要性も書かれています。

確かにそれも大事なことでしょう。

このことについては多分9月号でもっと詳しく書かれるのではないでしょうか。



ただ、当事者と家族を支えるのは医者だけではないということをこの頃思います。

ソーシャルワーカーや看護師、保健師、精神保健福祉士、社会福祉士、

などの、医師ではないが専門の人たちもいます。

それと資格としては何もない単なる支援者もいます。

ですが当事者は医者以外の人に信頼を寄せるということが少ない現状のようです。

中には看護師に大きな心のよりどころを得る人もあるでしょう。

ですが当事者が、やはり専門の人に、つまりは医者にしか信頼を寄せられないとしても

それは無理もないことかもしれません。

だからこそ精神科の医者はもっともっと変わって頂きたいのです。



では、それ以外の人は何のために存在しているのでしょう。

先日聞いたのですが、ある当事者が支援者(ボランティア)に

「(ボランティアを)するのだったらもっと勉強してください」と言ったことがあるそうです。

確かにそう言われるのは的を得ているでしょう。

精神障がい者はえてして知能が高いことが多く、考えも深い、だから人をよく見ます。

単なる支援者だとしても精神障がいのことを理解していなければなりません。

しかしそういう風に限定すると、なかなか支援者という人に出会えません。



この夏苅医師のお話にはそういうことについても言及されているのでしょうか。

9月号、10月号と、一般の支援者はどうすればいいのかということに

お話が進むのでしょうか。



あの障がい者施設襲撃事件から1年がたちました。

知的障害の人たちを、不必要な存在だと思い込んで、またはそういう理由をこじつけて、

襲撃した犯人は、精神障がいだったのだとも言われています。

このことは二重に悲しいことです。

知的障害の人がこの世に不必要だということは決してありません。

ですがそう思い込んで襲撃した犯人を精神障がいだと決めるのはもっと悲しいです。

実際に医学的にそうだったのかもしれません。

仮にそうだったとしても、世間の大半の人が、

精神障がいであればこういうことをしてしまう、と思ってしまうことが恐ろしいです。



医師は変わらねばならない、当事者と家族は自立せねばならない、

と書いている夏苅医師に、では一般市民はどうなるべきなのか

一般市民が精神障がいについて理解できる世の中になるにはどうすべきなのか

そのことについてもぜひ書いていただきたいものです。


















「みんなねっと」7月号

2017-06-26 12:29:20 | いろんな想い

「みんなねっと」という雑誌を購読しています。

先日家族会の一人と電話でしゃべっていて

「みんなねっと」は気持ちの上でも実用的にも役に立つので

家族会会合でも取り上げて読み合うといいね、と言ってました。


7月号が届いたので早速見ましたが、夏苅医師の特集が組まれていて

心から共感しました。

「まず、医者が変わること」というテーマでした。

難しいですね、医者の一人がそういうことを提案するのは可能ですが

家族や当事者が言うのは憚られるし、勇気も出ません。

でも実際にそう願っているのは当事者と家族です。


「「患者は…」といった、事務的な、見下した態度はやめてほしい。

自分が患者になった時、自分だったらしてほしいと思うような対応を願っているだけです」

と夏苅医師は書いています。

こんな当たり前のことが出来ない医師が多いのです。残念です。

でもちゃんとした医師もいることはいます。

こういう医師に出会うのはあまりないのですが。


訪問看護制度というのがあって、これはとてもいい制度だと思いますが

これさえも医者の許可を得て初めてなされるものですから

やはり精神科の医者は患者の運命を握っていると言えるのかもしれません。

夏苅医師はご自分が家族であり当事者でもあったのですから

その立場の人間の気持ちがよくわかって居られます。


その立場でなくてもわかってくれる医師が増えていくよう

心から願ってやみません。




活動範囲はどのくらい?

2017-06-25 09:51:20 | いろんな想い

6月から近江湖西会の本部が新しい場所に移ります。

本部というのはB型作業所と職員の事務所です。

家族会は今までも近くの別の集会所で集まっていました。

これからはどうするのでしょうか。まだ決定していませんが

あまり遠く離れてしまわない方がいいかもしれません。


新しい年度が始まって

家族会でももっと広く交流していこうという動きが出ています。

一方では自分たち一人一人の家族の現状を何とか少しでも

いい方に持っていくことの方がさしあたっての必要事項だ

という人もいます。

現在家族会に常に参加しているのは12名ほどで

子どもが障害を持っていて生計を共にしているのが8名

兄弟姉妹の障がい者と同居しているのが1名

障がい者の子どもが別に家庭をもって暮らしている人1名

当事者1名 支援者1名 です。


こうしてみると、いろんな施設を訪問したり、研修会で勉強したりしながら

知識や考えを深めていくことよりも、直接の生活改善を

求める人の方が多いのは無理もないことだと思います。

誰かのために何かのために活動しようとして集まったのではなく

自分たちはどうすればいいのかを模索するために集まったのですから

自分の家族の問題をまず解決したいのは当然です。



新年度の始まったこの1年どのような方針でやっていくのか

とても難しいことです。


家族会は発展しないものなのか

2017-06-22 19:54:14 | いろんな想い

県の精神障がい者家族会の一覧表というのをもらいました。

一括して県が連合会としてやっているのはいいとして

そのほかに12箇所で家族会があるようですが

それが今はもうほとんど休会状態のようです。

考えてみればこの近江湖西会も家族会としての運営は

1年半ほど前まではあまりなかったのです。

ある事件がきっかけで家族が集まるようになり

それが今も続いています。

県の家族会とうちの会を除いて11の家族会のうち九つの会に連絡が

取れましたが、その人たちの多くがおっしゃるのは

家族会の衰退の原因は第一に気持ちの余裕がなくて出かけられないこと

第二には当事者のことをよそに知られたくないということらしいです。


おととい電話でしゃべった家族の人も言ってました。

家族が寄って話し合っても本当の解決にはならないと。

確かにそうかもしれません。

それでもこの家族会に出席してなにやかやとしゃべるだけで元気が出る

という人もいます。

よその施設見学に行ったり、研修会をするのも勉強になってなかなか良い

という人もいます。

でも今自分の家族の病状に苦しんでいる人はそんな余裕はないでしょう。

一人一人の気持ちや状態が違うのは当たり前です。

何とかそれぞれが少しでもいい状態になれるといいのですが。


いろいろ模索しながらも、とりあえず県の中の家族会との交流を

してみようという話がまとまりつつあります。

そうすることで何かいい知恵をお互い出し合えるかもしれません。

家族が一人ひとり前向きにやっていけることを願います。