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近江湖西会家族会へようこそ!

精神障がい者の家族と支援者の集まりです。

5月の家族会集会

2018-05-18 14:47:30 | 集会の報告

ずいぶん書かないでいるうちに、もう5月半ばが過ぎてしまいました。

先月半ば近くまでかかって、前年度の会計の始末をし、

ほっとしていると大型連休になって、それも終わり

今日久しぶりに家族会のみんなで集まりました。

「なんかずいぶん会わなかった気がするねー」

「ひとつき間、何にもお互い連絡せんかったものねー」

「今日の会合皆よう覚えてたねー」

「そら、ちゃんと予定表書いてくれたしねー」

「けどね、Kさんね、忘れてたらしい。昨日用事で電話したら

あわててましたわ」

「ええー!重要人物が忘れるのは困る」

そんなことをしゃべりながら全員出席で10名、

元気なおしゃべりができました。


来月初めのふじみ寮祭りに参加するのでその確認と

6月半ばの「いろりの会研修会」のお知らせなどをしてから

今日は久しぶりでみんなのおしゃべりをしよ!

としゃべりだしたら盛り上がって楽しかったです。

まずはじめに入院した息子さんの話。

これは前回このブログに載せた手記の方です。

3月に課長が来てお話を聞いてくださったとき

この方が困っている話をして、みんなが一緒に心配したことがあります。

そのあと事情が好転し、そのことをみんなで聞かせてもらいました。

そのあと、次々に、うちは今こうしている、こんなことで困っている、

など、話が弾み、本当は湿っぽくなてもおかしくない事にもかかわらず

笑い話にしてしまい、ゼスチャーまで交えての盛り上がりでした。

一番の問題は、もう長く9年ほど入院している息子さんに退院許可が

下りたのですが、帰ってきてどんなふうにかかわり合えばいいのか、

お母さんは膝と肩を痛めて家事もままならないのが大問題だ

ということで、誰か公の立場で手伝ってくれる人はないのか、

私立の施設で頼めるかも、など知恵を出し合いました。

当事者がたばこを吸いすぎる話も3人ほどが問題にしていました。

どこにも行かないで家に居るだけ、という話も出ましたが、

当分好きなようにさせるのがいいのでは、と

専門家がいないのでただ、みんなで話をするだけです。

けれども、肩書を持っている専門家ではなくても

家族というのは何十年も悩み考え、自分で勉強もしてきた経験者です。

大した結論は出なくても、同じような立場の者同士

話し合い、考え合い、笑いあううちに希望が湧いて来たり

気持ちがすっきりするものです。

今日の2時間近くはそういう意味で実り多いものになりました。








入院の手記

2018-04-23 09:49:55 | いろんな想い

先週金曜日に家族会の集会が実は行われていたのです。

ですが大した収穫もなく、書きそびれているうちに日にちが過ぎていました。


その家族会の会員の一人の方に春先になってかいろんな問題が起きて

それが何とかうまくいくように会員の方が自分であちこち奔走して解決の道が開かれました。

そのいきさつを書いたと言って見せてくださったのですが

ここにそれを掲載させていただきます。

もちろんかなりの個人情報が書かれています。

でも書かれた方は誰にでも読んでほしいと言っておられるので出すことにしました。


精神疾患の状態や家庭の事情はそれぞれ違っています。

この方の場合はかなり特徴がありすぎて一般的ではないかもしれません。

けれども障がいを持つことで大変な苦労を強いられることには変わりません。

この「息子」さんは精神のほかに全聾という障害を持っておられるのでよけいに大変です。

障がいを持つものが出来る限り生きやすい環境でいられる世の中に

少しでも早くなることを祈ります。




      「息子の入院」

    
 昨年の冬は本当に寒かった。息子は早朝に風呂に入りまたどこかへ行く。夜中に入っていることもある。
「なぜ?」と聞いたら
「寒いから」と言う。
 風呂を上がって外出したら余計寒くて風邪を引くのに困った人だ。私が後から入りたくてもチャンスを逃してしまう。困ったことはいっぱいあるが言い出せばきりがない。

 Yさんに生活費のことを相談した。光熱費や食事代など細かく書いて示し、Yさんから息子に「だから月四万円をお母さんに渡すように」と言ってもらってやっと振り込んでくれるようになったけど。
 何しろ貯えがないので急な支出があると忽ち底をつく。現金で渡されると少しずつになって結局足りないままになる。
 昨年冬にストーブが壊れた。火事になると困るので社協で借金して買った。すでに赤字で苦しかったが、鉄屋と社協に月五千円ずつ払わねばならず、「泣きっ面に蜂」である。

 食料はなるべく安い店で買うが、荷物が重くて「ハアハア」言いながら駅まで歩いてバスに乗る。それが体に負担だったのか、三月一日の夜から左の背中が痛くなり、朝になったら治るだろうと思ったが、朝起きたら背中全体に激痛があり、病院へ行った。
 先生は「スジや!」と言って何の説明もない。内臓を見るとかで「CT」を撮る。痛み止め薬を二週間分貰って帰る。あくる日も激痛に耐えられずKさんに車で送ってもらい救急で診察してもらった。「二週間で治る」と言われたが薬を呑んでも傷むので、一週間後にまた診察を受けた。先生は「もう整形は終わり」と言いながら薬を二十日分くれた。
 結局一カ月で薬はやめられたが、4月に入ってもまだ「ドシン」とした重さを感じる。強烈な痛みに耐えながら買い物や炊事もしなければならず、ついに息子に「お母さんはもう八十八歳だし、もう二人で暮らせない」と告げた。息子はさすがに「無理なのだ」と悟ったようで「入院する」と言った。

 三月十七日、サークルに行く、と言って出たが帰らず、どうしたんだろう、と心配していたら、二十一日の夜中二時半ごろ長浜病院から「足が痛いから迎えに来てください」と電話があり、明けてからYさんが長浜の役所へ連絡してくださり、
「電車の切符を貰って帰られます」
とのことで待っていたが帰らず、夕方、敦賀の図書館より電話が入りびっくりした。「何故?」と思った。
 仕方なく警察に保護願いを出した。「どうしよう」と思案したが結局Fさんにお願いするしかなかった。とても心苦しかったが
「お疲れなのにすみません」と言ったら
「心配しないで」と言ってくださり、敦賀の警察まで迎えに行ってくださった。夜十一時無事に帰ることが出来た。

 三月三十日、BクリニックのF先生に診察を受けた。結果は
「入院する状態ではない」と言われた。
「強制入院でお願いします」と言ったが駄目だった。
 もうK先生にお願いしよう、と思い、
四月二日T病院で診察していただき
「入院してもよいよ」と返事を頂いてホッとした。
 家に帰ろうとしたが息子がいない。家に帰ったんだろうと思っていたがとうとう帰らず、またしても家を出たのだった。
 あくる日、近江八幡の医療センターから電話があり、
「家へ帰るように言った」とのこと。
 待てど暮らせど帰らず、あくる日また長浜病院から電話があり
「賤ケ岳で足が痛くなり、救急車で病院へ運ばれた」とのこと。またしても長浜市役所でお世話になった。
「車いすに乗っておられます」とのこと、どこまで心配をかけるのか、と情けなかった。
 今度は今津駅まで切符を貰い送っていただいた、とのこと。今津からはCさんとYさんにお世話になり家まで送り届けてもらった。
家で息子に話してくださった。
「今津までの電車賃は払ってくださいよ。家まではタダやけどこれからはお金をためて電車に乗って行きなさいよ」と注意してくださった。
 今度もまた大変ご迷惑をかけてしまった。もう絶対入院させるしかない、と思った。

 K先生の水口病院での診察は五日と六日なので予約の電話をしたら
「急に来られても入院できませんよ」と厳しかった。
 しかしいつかの診察日に何としても入院させるつもりで行った。娘にはいい辛かったが、Yさんが電話してくださったようで、娘からFAXがあり、堅田駅で待っているから、と約束してくれた。
 水口病院は大きくて綺麗な病院だった。
「今日が初診なので診察が終わってからになります」との事で、二時半から診察してくださった。
 先生は息子に「何故入院したいと思ったの」と聞かれた。
「お母さんは料理が出来ないから僕は食べられないから」と言った。
 まったくその通りかもしれないが、何ということだろうと思った。
 が兎も角、入院させてくださる、ということで一安心した。
 その後担当の人から入院についての説明がいろいろあり、また、三階の病室に行ってからは詰所で看護婦さんから説明があり、いろいろと聞かされたり、持ってきたものは家は持って帰って下さい、とのことで、例えば剃刀、靴、スリッパ、カバンなど持って帰り、新しくプラスチックのコップ、部屋履き、ズボンなどを売店で買って届けた。看護婦さんが
「今日はお風呂の日なので入ってください」と案内された。
 新しい服に着かえた息子は何とも言えない寂しげな顔だった。今生の別れでもないのに何とも切ない思いでいっぱいになる。

 今回のことは娘が協力してくれたので大助かりだった。手話で息子に説明してくれたので納得したようだった。朝早くから出て、帰りは病院を出たのが五時過ぎで、私をK駅まで送ってくれた。T駅では最終のバスは済んだので、A駅までJRに乗り、タクシーで家まで帰った。娘はSの義姉さん宅で泊めてもらい、あくる日また家まで迎えに来てくれた。
 SAの本庁へ行って書類の手続きなどいろいろとありお昼まで掛った。二日連続で娘も私もずいぶん疲れた。娘は特に遠い所から来てくれて、本当に苦労を掛けて済まなかったと思い感謝している。三か月後にはどうなるかわからないが、祈るしかない。
 あくる日は久し振りにゆっくり風呂に入り寝る。天気の良い日に布団を干したり部屋を片付けたりする。今はただ、息子の回復を祈るのみである。

いろりの会

2018-04-21 19:27:13 | 集会の報告

今日のいろりの会は6月に行う研修会の準備の話し合いでした。

いろりの会の常連はどのくらいだろう、という話が今日も出ましたが

いつも思うことは、その常連さんが実に多様だということです。

今日の出席は12名でしたが欠席の方などを数えると17,8名はおられるのです。

その中身は当事者の方が6,7人、お寺の住職ご夫妻、運営メンバー4,5人

他にも時々来てくださる市会議員だとか、福祉施設の方も来られて

意見も豊富に出てきます。

運営メンバーの一人はパソコンで会のチラシを作るのがお上手ですし

会の代表者は当事者ですがしっかりとこの会をまとめられます。



今日は近江湖西会家族会からのメッセージを伝える用事があって

少しお話ししました。それは社協からの注意事項で

2月に催したお楽しみサロンの中身のことでの手落ちを指摘され

そのサロンの出席者全員ににそのことを伝えるようにと言われていました。

このいろりの会からもかなりたくさん出席してもらったので

そんことを伝えたのです。

そうしましたらみんなが、そうか、そうだったんやね、とか

いろいろ反応してくれたし、一人などは自分も以前それに似たことをして

やはりちょっとと問題になった、とか言ってくれたりして

声や態度に表して答えてくださったことが

何とも言えずうれしく、温かい気持ちを感じました。


やはりご住職夫妻が精神的な中心になっておられるのかもしれません。

指導的な発言はされませんが皆が温かい気持ちになれる何かがあるのでしょう。



快晴のこの日、お寺の庭でみんなで戴いた野草のてんぷらや

誰ともなく持参のおいしいものがたくさんあってそれに舌鼓を打ち

心は晴れ晴れとした日でした。

もう一つ書くとすれば私個人にちょっとしたメッセージをもらって

それが何とも言えずうれしく、心の中にふんわりととどめておく

喜びの日でもありました。

このブログを書く気持ちに一層励みが出てきました。

今日のうれしさのエネルギーを家族会のみんなへの

何か役に立つものにしていかねばなりません。



希望の集い

2018-04-15 19:37:26 | 集会の報告

「希望の集い」の集会に行きました。

このグループの魅力は当事者がすべて計画し段取りをつけているところでしょう。

しっかりした方が多いと言えますが

あまりお話されない人も違和感がなく集まれるのは

当事者の代表者を始めとする人達がが醸し出している雰囲気が

ホンワカとした温かいものだからではないかと思います。



今日はランチタイムをしました。

集会場近くの喫茶店の奥に丁度の大きさの部屋があり

そこを総勢8名で使えました。

おいしかったです。

代表世話人さんはそれはいろいろ気を使ってくださいましたが

その他の我々はのんきに好きなものを頼んで

和やかムードでゆっくりしました。

こういうのもいいですね。

そんなに難しい話もせず寛いで、笑いあう。

今日も希望の集いに出て本当に癒された思いです。



それと、会のあるたびに頂く次回の案内書。

これがまたとてもすばらしいので毎回楽しみにしています。

案内書には次回の日時と場所や内容が書いてあるのですが

それに加えて毎回テーマの異なる文章があり

それは心を打つものです。


今回は題名はなく、いきなり「心がKOノックアウトされた状態で」

始まっています。

今日の文章を読んで初めて分かったことがあります。

それは書いておられるのは一個人の方でしょうけれど

中身は精神疾患のみんなの気持ちを総合して表現しておられるのだということです。

自分のことも含めて周囲にいる当事者の仲間たちみんなの気持ちを

書いておられるのだなぁとわかりました。



病気はよくなったりぶり返したりで長く長く続きます。

その中で「私たちは今現在、心の悲痛が溢れかえって、こらえることが困難過ぎて、

どうする事もできないまま、世間一般の常識に取り囲まれ、

ノックアウトされた状態にも関わらず、抵抗も出来ないまま、

ボロボロのグシャグシャのズタズタに、打ちのめされて、

見えないエアサンドバック状態のようで、

さらし者状態に置かれているのが現実です。」
と書かれています。

これは筆者が最近そういう状態に置かれたのか

または、現実としてたびたびこうなるのだということを表現されているのか

それとも、誰かお仲間の一人がこういう状態なのだ

ということを書いておられるのか、それは分かりません。

けれどもエアサンドバック状態にいるときには、書こうとしても書けません。

書ける状態にいるときに、そういうことを文章で伝えること、

これは難しいことですが、誰にでもわからせるには大事なことだと思います。


後半には、「しかし、くよくよと泣いている訳にはいきません。」

力強い記述があります。

「夢中になれる日課や心境や環境をこしらえて、

それをこなして人生を楽しむことが一番大切なことです。」


難しいことかもしれませんが、本当にそれが一番大事でしょう。

病気になっていない人間にも大事なことではないでしょうか。

「うっぷんを吹き飛ばすような、自分らしい心地よい疲れの汗を流せる、

遊び感覚的な運動レクレーションもよいと言われています。そういったことが

一番の特効薬と言われています。」


これも本当にそうだと思います。

心の病は真面目でがんばる人が良くかかると言います。

そういう人が病気になると、よけいに真剣に悩み自責の念にとらえられます。

適当に遊び怠けること、これは確かに必要なことです。

ですが、それを理解できない人は世の中にたくさんいます。

それを知っている筆者は、最後にこう結んでいます。

「精神疾患に、疎い人からすれば、遊ばないと治らないなんて、

何て怠慢な話だと呆気にとられる方も多々おられると思いますが、

同じ疑問を持たれている方を見つけたら、精神疾患とは遊ばないと治らないんだよ

と教えてあげて下さ。」




いつのころからこうした文章を付けて、次回の案内を配られたのかはわかりませんが

これは素晴らしい啓蒙書だと思います。

多くの人に読んでほしい、病気が辛すぎて思っていることを

しゃべることも書き表すこともできないみんなを代表して

書いてくださったこの文章の数々を

多くの人に読んでほしい、そう思います。




この頃うれしいこと

2018-04-12 09:26:40 | いろんな想い

うれしいことが二つ三つありました。


永く家におられた息子さんが障がい者枠で仕事に就かれ

もう数か月、辞めずに続けておられること。

8時間労働なのでみんなが無理だろうと言ってたそうですが

いま続けて通っておられます。

「風邪もひかずに?」と聞いたら

「うん、大丈夫」とお母さんが輝く笑顔で言われました。


それとやはり息子さんがもう長くお薬も飲まず病院にもいかず

家におられたのですが、先日自分で納得して入院されました。

今までの10年か20年の長い間のお母さんと息子さんの

大変さがどんなものだったか想像を絶するものがあります。

ですから今度やっと入院されたことは大安心だったろうと思います。

退院されてから行かれる施設も決まったとか。

年老いていく親にとってはこれほど嬉しいことはないようです。

このお母さんはこれではもうどうにもならないと、

自分であちこちの病院やら行政を訪ねて解決に向けて努力されました。

お母さんはみなさんがよくしてくださったと言っておられます。


もう一つ、これは解決はしていないかもしれませんが、

訪問看護のことで、来てくれる人を変えてほしいけれども

気兼ねがあってそのことを言い出せない、と悩んでいる当事者のことです。

先日の福祉課長との話し合いの際に

そんな気兼ねは何にもいらない、とはっきり言ってくださったおかげで

当事者も変更をお願いする勇気が出たようでした。



もう一つは家族会の運営について

相談できる方があるんだ、という喜びです。

今までは資格も立派にお持ちで、長くやってこられた専門家が

家族会を指導してくれていましたが、その方が他府県に移転されることになって

この家族会はちょっと置き去りにされた感がありました。

しかしあちこちの行政やら専門機関にご相談すると

皆さんが丁寧に応対してくださりとても心強いことでした。



春とともにうれしいことがたくさんあって

これから先もみんなと何とかやっていける家族会でありたいものです。







家族会のこれからのやり方

2018-04-05 19:03:19 | 行事の報告

家族会が今まで集会場に使ってきた場所は

田舎の町のまた田舎、周囲は畑がほとんどで、造園会社の敷地の端に

ぽつんと立っている一部屋の小屋でした。

その小屋を造園会社に売ることになりました。

その会社はキャンプ場を開くので、この小屋が事務所に便利なのだそうです。

家族会はそのために、街中のコミュニティセンターで開くことになりました。

田舎の小屋の近くには家族会の会員が4人ほどいますので

その人たちにとっては便利な場所でした。

けれどもかなり遠くから来る人も4人ほどいますので

これからはその中間の場所で集まるのはいいことかもしれません。



今日はその集会所の最後の片づけをしに皆が集まりました。

急な召集だったので5人しか集まれませんでしたが

2時間ほどで何とか片付いたようです。

ここから先はNPO法人とは関係のない

単なる精神障がい者家族の集まりとして集います。

それがうまく作動するかどうかはわかりません。

けれども同じ思いを持った、同じ環境で苦労するものが集まれば

そこにはおのずと知恵や安らぎが生まれるのではないでしょうか。

何事もやってみなければわかりません。

どんなことをするにしても心を込めて一生懸命

自分たちの出来ることをする

それが自分の為だけではなく世の中全体の為にもなれば

少しずつでもいい方向へ行くでしょう。











福祉課長を迎えて

2018-03-28 16:13:01 | 集会の報告

先日になりますが

障害福祉課の課長が話をしに来てくださいました。

1月に予定をしていたのに こちらの家族会の都合で延びていたものでした。

快く日延べの時間を取ってくださって

出席者9人でしたが 本当にうちうちで 家族会メンバーだけで

いろいろとお話が出来ました。

行政から見た市民病院の事 訪問看護の事など

気さくにお話してくださいました。

それから何よりよかったのは 出席した家族の個々の

問題点を聞いてもらったことでしょう。

課長に聞いてもらったからと言って すぐに解決の目途が

立つわけではありません。

ですが 家族の中にはこんな問題を抱えた人がいるのだということを

課長に知って頂いておくのは何か安心感を覚えます。

この街に住んでいる数百人の精神疾患の人の中の

たった数人の家族のことではありますが

目の前で相対してさまざまな問題を相談されると

課長としての立場におられても

当事者や家族のことを実感としてわかってくださったのではないかと思います。


いつもこのコミュニティセンターを使う時に思うのですが

終わりの時間を設定するのが難しいと感じます。

テーブルを動かしたり お茶のポットを使ったりしたときは

元に戻し後片付けをする時間を考えねばなりません。

話が佳境に入ると終わる時間がぎりぎりになりあわてます。

今までは自分達だけの建物を使っていましたから

何時に終わろうが自由だったので

よけいにそういうことに慣れていないのでしょう。



また話し合いに出席してあげる と言ってくださった課長の

気持ちに感謝して 甘えて またお願いできるときには

みんなが先日のように課長と直接

いろんな話ができる日があれば家族会の励みになります。



少しづつ小さな家族会が発展していくことを願っています。


「世の中の皆さんへ…」

2018-03-20 10:38:42 | いろんな想い

「世の中の皆さんへ…私達のリカバリィを捧げたいです」

こういう題名で「希望の集い4月の案内」をいただきました。

原稿用紙2枚余りと長いものです。

やはり詩のようで、うねりのある、思いが次々にわき出てきているような

そういう作品です。(個人の感想です、ってテレビのコマーシャルみたいですが)


「リカバリィ」はここでは「回復」という意味でよいのでしょうか。

私たちのリカバリィを世の中の皆さんに捧げたい、

というのはなんというおおらかな表現でしょう。

けれどもこの題名の下にはカッコ付きで次のような言葉が。

(精神疾患者達のガッカリした憤り…~分類視されてしまう私たち…~)

社会に対して憤りを持つのは必要で大事なことでしょう。

分類視という言葉は差別と考えてもいいのだと思います。


こうして本文が始まります。

始めの2行に書いてあるのは今日の社会に対する警告です。

「社会の心外で心得違いな善意」が精神疾患者達の憤りを生む、

「分類視につながる言動をなくす声掛け」が社会に必要になっている。

善意ではあってもそれがずれていて心得違いになっていること、

気づかずに差別の気持ちを言動に表してしまうこと、

これはむしろ、善意もなく差別意識があると自覚している人

そういう人の方がましなのかもしれません。

善意で近づき、だけど自分の差別発言に気が付かない人が

どれほど精神疾患者をがっかりさせているのか

これは大きな反省すべき点であり、気付かせてもらわねばなりません。


次に 当事者というものにはいろんな人がいる と書かれています。

ここに挙げられている二つの種類の当事者については 

とても注意深く表現してあるので、ひょっとしてあまりに俗っぽい「改ざん」に

なってしまうことを危ぶみつつ 単純に書いてみます。

つまり一方では、生きやすいようにしてもらうことを待っている人、

もう一方は、普通の人のように装うことで評価されることを望む人。

そして、この両方共が「ぞんざいなものではなくて大切な道理」であると書いてあります。


次の段落では憤りが大きくなっていて、

「支援者側も、ゆとりがなく、か細すぎて、未熟すぎて」と書かれていますが

これは本当にそうだな、と思う人が多いでしょう。

続いて「当たり前でなければいけないはずの、市の環境配慮が留守になっている」

という表現がありますが、厳しいけれどもこれもその通りでしょう。

このことは社会全体の問題ですから、と書かれ、

「当事者と社会とで謗り合いから始めてもいいかもしれません」と書いています。


ですがまだあと二つの段落が書かれます。

発病によって一般論が通じなくなってしまった当事者は

そのために当事者だけが咎められ、それがそもそも間違いだ、とあります。

そうなのです、当事者だけではなくその親たちや家族も社会から咎められています。

そんなことが起きている世の中って本当におかしいです。


でもこの著者は「ガッカリした憤りが積み重なって」と書きながらも

当事者が「奉仕の心で手を抜かず、只働きでも、世の為、人の為、誰かの為に、

もっと本気になれば、もっと素敵な景色が見えてくるはずだと信じて、

逆に当事者が裏方に回り、社会を持ち上げてサポートしていける日が訪れることを信じて、

世の中の皆さんに心から私たちのリカバリィを捧げていきたいと思っています」

と結んでいます。


少し引用が長くなりましたが、

この部分にはどんな人も胸を打たれるのではないでしょうか。

つまり、当事者は社会から何かをしてもらうことを待つのではなく

当事者自身が社会のために何かをすることで、それが回復につながる、

そういうことなのでしょう。


今までにも多くの当事者が素晴らしい仕事を成し遂げ

そのおかげで一般社会全体が多くを学び癒されてきました。

文学者、音楽家、画家、多くの精神障がいと言われた人々が

社会全体を癒すことのできるものを作りました。

ですがそのような世界史に残る人たちのようでなくてもいいのです。

小さなサークルで、街で、市で、県で、周りの身近な人々が

ほーっと心を慰められる、勇気づけられる、そんなことでいいのです。


実際、これを書いている一個人は、この「4月の案内」の文章で

心が温かくなり、今、なんだか荒れ果てたように感じる政治の世界を通り越して

人間の本来持っているはずの気持ちの清らかさを感じ、

幸せな気持ちにさせられました。

「素敵な景色」が見えてきたのです。


お好み焼きサロン

2018-03-18 15:45:38 | 集会の報告

お好み焼きを作って食べるという「希望の集い」に参加させていただきました。

東コミセンの調理室と和室<小>を借りておられて、

いつか家族会でもこのようなことをしたいね、と話が出ていたので

ははぁこんな風にして使うのかと、とても勉強になりました。

参加者は少なくて当事者の方5名と家族会から1人、という構成です。

代表の方が材料その他すべてそろえて持ってきてくださったようです。



広い調理室に6人で粉を入れ水で溶き、卵を入れて混ぜ、

さらにサクラエビも入れフライパンで焼きます。

6人だけど二人は小食なので5枚焼いて丁度です。

トッピングはそれぞれ自分で焼いたものに好きなだけ掛けて

自分用のお好み焼きが出来上がります。

和室の方へもっていって「いただきます」。


非常に無口な方を含めておおむねみんな静かな人たちで

温かいふんわりした雰囲気で食事をしました。

もし家族会のものが参加しなかったらどうだったでしょうか。

とても無口な方はもっとおしゃべりだったでしょうか。

そこらへんは分かりません。

でも決して不愉快そうではなかったし、参加した家族会の1名も

こういう静かな会が好きであることもあって

このような集まりはいいなぁとすっかり癒された気持ちになったそうです。

4月の案内もいただきました。

「話し合い」があるそうです。

何がテーマかはわかりませんが、ぜひ出席して

食べる代わりにおしゃべりを、どんなふうにするのか

聞いてみるのが楽しみです。


4月の案内書にはまた代表者の考えが詩のようにして書かれています。

今日はその代表者からここで勝手に発表することを

許してもらえたので、また書かせていただきます。

それは社会に対する熱い思いで、

こういう思いが実際に実現すれば

精神保健の世界もどんどん良くなるだろうなーと

将来に少し明るさが見えてきました。











最後の場所での家族会集会

2018-03-13 16:16:10 | 集会の報告

サロンの日から2週間以上が経ってしまいました。

その間 今後のことなどで忙しくしていたので それほど経ったようには思えません。

ですが日は容赦なく過ぎていき 4月の新年度に向かって決めねばならないことはたくさんあります。


今日はいつも皆で集まる場所での最後の集会ということで 欠席が2名ありましたが

ほぼ全員が集まりました。

それに今日は予定外の飛び入りのお客さんが来てくださったので

まるでその方との話し合いの日のような様相を呈しました。

お客さんは他県から研修にこの市の訪問ステーションへ来ておられる訪問看護師さんです。

うちのメンバーの一人の家に息子さんの訪問をしてくださっている人で

家族会を見学したいとのことで 来てもらったのですが

皆がその方を取り囲み質問をし 思いを述べたりで

とても活気のある集会になりました。


こんなに皆が生き生き発言するのは やはり自分が一番心にかかっていることを

しゃべれるからでしょう。それに訪問看護というのは当事者や家族にとって

通院よりも日常的で大事なものだと思っているからに違いありません。

もう一つはこのお客さんが比較的新人で話しやすい雰囲気だったこともあるでしょう。

お人柄もやさしくソフトな感じがにじみ出ていました。

その方が来られたことで何かが決まったとかいうことはありませんが

皆が晴れ晴れとまるで変化が起きたような顔をしていました。



そんなハプニングのため 新年度からのことを話し合うのは30分しかありませんでした。

それでも予定よりも1時間オーバーした集会だったのですが。

この家族会を細々とではあってもこの先もめげずに続けよう!

こんな声が全員から出たのも 障がいの子供を抱える思いを

話し合えた後だったからかもしれません。


ともかく家族会はこれからも続けていきます。

今日の集会所とはお別れして 次からは コミュニティセンターが

集会場所になります。時間が5分超過すれば1時間分の料金を取られたり

自分たちの薬缶や湯飲みもありません。

お茶菓子をストックしておくこともできません。

少しはよそよそしい気分になるでしょう。

それでもそういうものはすべて慣れてしまえば何ともありません。

精神障害の当事者はもちろん 家族ができだけ生きやすい世の中になるように

自分ひとりで考えるのではなく 皆で話し合い協力し合うこと

そうしようという想い それが何より大事なことです。

小さな積み重ねの行動でも いつかはきっと良い日がやってくることでしょう。