7月の集いの案内をいただきました。
いつものように日時と場所と内容が(7月はトランプ大会!)
記されている以外には
A4用紙1枚のほとんどを代表の方の思いが綴られています。
原稿用紙にすれば2枚余りになります。
この頃思うのですがこの案内文に書かれている内容が
ずいぶん肯定的で積極的になってきているのです。
長い期間闘病せねばならない病気であるために
調子の波はいろいろあるでしょう。
いま、ここ数か月、よい方の波が来ているのでしょうか。
題名には「私たちと世の中の両想いが叶うことを証明したいです」
とあります。
どうすれば証明できるようになるのでしょうか。
「どんなに心が病んでも、現代社会は容赦ありません。」
という文章から始まっているのを読めば「両想いが叶う」のは
とても難しいのではないかと思ってしまいます。
次の文では「私達をメンタル的に圧倒する、社会人達が恐竜で、
私たちがアリ、といったような隔たりを覚えます。」とあります。
ほら、やっぱり難しいのではないでしょうか。
次の三つの段落では、必死になって頑張れば限度が来ること、
回復に向けて休息していると怠けていると誤解されること、
元気に活動していると完治しているだとか思い違いをしてほしくないこと、
そして、心の病はまずは遊びから始めるしかない、
という事柄を述べておられます。
また、「当事者が遊び怠けているところを見かけたら、どうか安心を恵む心で、
心の病と真っ向勝負されている最中だろうと、
暗黙の了解のように受け止めてあげて頂きたいです。」
とも書いておられます。
この、「受け止めてあげて頂きたい」という言葉にじんと来ます。
自分がそうしてほしいというよりも、心を病んでいるみんなのことを思って
書いておられることが分かりますから。
最後の段落では「そして環境や居場所を、極端にえり好みしてしまう私達ですが、」
とあります。けれども環境や居場所をえり好みするのは「私達病人」だけでしょうか。
通院したり服薬していなくても、環境や居場所についてつらい思いをする人はいます。
現代人は多くの人がひそかに病んでいます。
むしろ、心の病だと認定された人の方が、より多くそのことを自覚し、
一般の社会人とどのように折り合いをつけるか考えています。
病を得たのはそういうことに敏感で他人を思いやる心が多すぎたからではないのでしょうか。
この文章は次のように続きます。
「そして環境や居場所を、極端にえり好みしてしまう私達ですが、
豊かな心身を引き起こしあう、ときめきを皆さんと分かち合いたいです。」
最後に長い一文で結んでおられます。
「私たちが耽ることによって、この社会の思いやりを提供し合える両思いが、
叶うことを証明する為に、今、何かが光り実現しだすと確信して、私たちは活動しています。」
こうして病と社会との間の橋渡しの為に
病気である本人たちが真摯に活動していることを
どれだけの福祉専門家や政治家が知っているのでしょうか。
小さな街の小さな集まりです。たった十数人か数十人かもしれません。
けれどもこういう思いが社会に浸透して
「私たちと世の中との両想い」が叶うときが
いつか必ずやってくることを信じています。