『それでも恋するバルセロナ』の解説を新聞で読んだ。
その人の見る、ウッディ・アレンの“自己投影的恋愛観”とでもいうか彼独特の世界観にオレも賛成一票。
曰わくーー
「女の子は身の程知らずな程にエゴイスティックな時がもっとも美しい」と。
この文言、「」で括ってあったんだけど、映画の中で誰かの台詞として出てくる引用なのかな?
ま、ウッディ・アレンの映画はいつも彼の主張を必ず誰かが語ってくれるからね、そうかも。
男と女のありようについて、劇の進展はとてもシニカルで冷静に見てる面もありながら、だけどその視点の持ち主であるはずの彼(彼を投影した人物)が劇中ではヤッパリ、バタバタと運命にいや、女に振り回される
でもなぜかそこに切なさはあっても恨みつらみはないんだよね
なんとなく、ハートフルで可笑しい。
きっと、ウッディ・アレン自身、カナシイというよりかそんなところも含めて、“女”ってものをそして自分を素直に愛しているからなんだろうな・・・なんて思った
解説を読みながら、全然関係ないんだけど思い出したのがブリトニー・スピアーズの「ウーマナイザー」のPV。
彼女のスタンスのなかで、女はいつも女王様って感じがちょっと似てるなあと。
あのPVの中で、ブリトニーに惹きつけられてはペシって感じでいなされる男がいるんだけど、なんだか滑稽で、でも、ある意味当たってるなあ~って見てた。
先の解説の書き手の言葉を借りると、ウッディ・アレンの映画は“「美しい女」と「情けない男」”だと。
ウッディ・アレンの映画には『世界は(地球はだっけ?)女で回っている』というのもあったよね?
女王様な女の前では惹きつけられた男は情けなくもなるよね・・・って、ウッディの映画が好きなオレはそこに自分の姿を映してるワケでは・・・ナイです、はい。・・・多分・・・(笑)
彼は女好きと言いながら、十分にある種の敬意を持っていて、純粋に女というものに憧れを抱きもする。
そんなウッディ・アレンの世界観がまた見れるのかな。
しかも、スカーレット・ヨハンソン+ペネロペ・クルス。
これは是非とも見たいね。
その人の見る、ウッディ・アレンの“自己投影的恋愛観”とでもいうか彼独特の世界観にオレも賛成一票。
曰わくーー
「女の子は身の程知らずな程にエゴイスティックな時がもっとも美しい」と。
この文言、「」で括ってあったんだけど、映画の中で誰かの台詞として出てくる引用なのかな?
ま、ウッディ・アレンの映画はいつも彼の主張を必ず誰かが語ってくれるからね、そうかも。
男と女のありようについて、劇の進展はとてもシニカルで冷静に見てる面もありながら、だけどその視点の持ち主であるはずの彼(彼を投影した人物)が劇中ではヤッパリ、バタバタと運命にいや、女に振り回される
でもなぜかそこに切なさはあっても恨みつらみはないんだよね
なんとなく、ハートフルで可笑しい。
きっと、ウッディ・アレン自身、カナシイというよりかそんなところも含めて、“女”ってものをそして自分を素直に愛しているからなんだろうな・・・なんて思った
解説を読みながら、全然関係ないんだけど思い出したのがブリトニー・スピアーズの「ウーマナイザー」のPV。
彼女のスタンスのなかで、女はいつも女王様って感じがちょっと似てるなあと。
あのPVの中で、ブリトニーに惹きつけられてはペシって感じでいなされる男がいるんだけど、なんだか滑稽で、でも、ある意味当たってるなあ~って見てた。
先の解説の書き手の言葉を借りると、ウッディ・アレンの映画は“「美しい女」と「情けない男」”だと。
ウッディ・アレンの映画には『世界は(地球はだっけ?)女で回っている』というのもあったよね?
女王様な女の前では惹きつけられた男は情けなくもなるよね・・・って、ウッディの映画が好きなオレはそこに自分の姿を映してるワケでは・・・ナイです、はい。・・・多分・・・(笑)
彼は女好きと言いながら、十分にある種の敬意を持っていて、純粋に女というものに憧れを抱きもする。
そんなウッディ・アレンの世界観がまた見れるのかな。
しかも、スカーレット・ヨハンソン+ペネロペ・クルス。
これは是非とも見たいね。