ここ最近で、幾つか「説明会」と名のつくもの、或いは
「~相談」と言われる集団で受ける案内の場に出る機会があった。
“多数”の“不案内”な人に対する案内や誘導をするという点において、どれも共通の目的意識のある会と言えると思う。
さて、そこで感じたこと。
先日から何度か触れているけれど、“案内”或いは“誘導(リード)”って大切だな、と思っている。
それがうまくいくかどうかで、その後の“信頼”が生まれるかどうか、に影響が出てくると思うから。だからこそ、“リーダー”という役職があるんだね。
今回出た説明会というのが、
【確定申告に関する税務相談】
【新就学児童への学校説明会】
【食品試験参加への説明会】というもの。
それぞれの説明をする側の関連する業界をなぞらえて、極端に言えば、「税金」、「学校」、「医者」の世界の、それこそ世間では“先生”と呼ばれる業界に属する人たちが行う説明会ということになるかな。
*但しそれぞれの説明会に居た人が全員“先生”であったとは限らないし、税務相談に来ていた人は税理士ではないのかもしれない。単に納税協会という所の会員である、ということかもしれないし、臨時アルバイトなのかも知れない。
そこは承知の上で、まあ ネタとして。
さあ、どの業界の説明会が一番分りやすく、まとまっていたでしょう?
教えることのプロ、教師の催す学校説明会か?
頭を使って計算するプロ、税理士の説明会?
まさに先生、医師の世界の説明会か?
因みに、どれも広く一般の老若男女の参加で(小学校の保護者はある程度年齢層に一定の傾向があった)その件について不案内な人への説明をする会合。
一番参加人数の少ないのが学校で、人数の多かったのが医療試験。多分アルバイトなどの入る余地がなく正真正銘その道の本職だけが案内役だったのも学校です。
他ははっきりとは分らないです。民間の機関だし。
さて、結論から言うと。
食品試験参加者への案内が最も優れていました。
その差は歴然です。
一番、参加人数が多く、アルバイト(実際どうかは知りません)が入る余地のありそうな、スタッフが若かったのもその試験参加者への案内でしたが。
まず、どこが違うのか。
最初の誘導の時点で違いました。
誰が、どの人をどこへ誘導するつもりなのか、自分がその誘導される側にあたる者なのかどうか、がハッキリと認知できるようになっていました。
・担当誘導者の声、目線がしっかりとしていた
聞く相手が聞いているかどうか、聞こえているかどうかの確認もできていた。
・渡す資料を完全に把握・制御していた
これも、大事な事だと思いました。必ず、もらった資料を読み上げて説明があるのだけれど、どの紙を今から説明するのか、それが分らないということが出てきては先へスムーズに進まない、と感じたのは一番書類枚数の少なかった学校説明会です。
一々、バサバサとどこかで誰かが紙をひっくり返し、説明に入ってもどれのことなのか分らないまま進められて行くのでした。
食品試験説明会では、袋を渡す時に前もって「中はまだ見なくてよい」との案内がありましたが、説明の段になると、全員の袋の中身が全て説明する順序通りの順に入れてあり、説明の前に確認があって、今説明しているのがどの紙を指すのか、ということもタイトルだけでなく紙の見た目・色・綴り方などビジュアル的に分りやすく迷うことがありませんでした。
しかも、何か始まる度に、まず最初に時間拘束することへのお詫びと参加へのお礼から始まりました。待っている間にも、必ず列を作っているところへの目が行き届いていて、右往左往するということが皆無です。
進むべき道のりはしっかりと、色別のコースと番号などの表記、先々に立つ人間やボードによる案内が到着点まで途切れることがありません。(よく、道路や路線案内には途中まであった矢印が、その場所そのものへ着くと消えてしまい、その先への案内に取って代わりますが(ここが目的地ですというのがない)あの矢印を辿ってきた人はそこで宙に浮いてしまうのです。(超方向音痴だから言うことですが・・・)
この点、学校では聞かないと道のりの案内はなく、あっても“そっちへ行って角を右”みたいな感じです。捉え方、案内する人の語句によって差がでそうでした。
一つの事柄を引き継ぐ時もしっかりとしていて、客(?)をないがしろにすることが一切ありませんでした。税務相談会場では、ちょうど後ろに座った人が、“最初に聞いたときに答えてくれた人と答えが違う”ということで少し怒りを露にしていましたが、対応に男性数人が寄ってきて、ぶっきらぼうな言い方をして余計にその初老の男性を怒らせてしまっていました。
税務相談では最初に行った時も(違う場所)説明の順序のせいで、不必要(と後で分った)な説明を長く受けてしまいました。
それらの全ての点、更に進行上の他の幾つかの点においても、民間機関の食品試験の参加者への説明会が最も優れていて、話しを聞いた後、信頼感とか安心感を感じることができ、敬意を抱きました。
医師の世界とは最初にオモシロおかしくするために書いただけであり、あの説明会に誘導に当たっていたのは当然、“先生”たちなどではなかったと思います。
ですが、 “誘導”“案内”ということにおいては一番頼れる案内役だったと感じました。
長い文章になってしまったけど、
これって・・・・・
結局、“導かれる側のこと(知らないということ)をどれだけ理解しているのか、ということなんだと感じた出来事です。
この“理解”のないままでものごと進んでいっていいのだろうか・・・
そんなことを考えてしまった。。。
“慣れ”で済まされるモンじゃないよねえ。。
「~相談」と言われる集団で受ける案内の場に出る機会があった。
“多数”の“不案内”な人に対する案内や誘導をするという点において、どれも共通の目的意識のある会と言えると思う。
さて、そこで感じたこと。
先日から何度か触れているけれど、“案内”或いは“誘導(リード)”って大切だな、と思っている。
それがうまくいくかどうかで、その後の“信頼”が生まれるかどうか、に影響が出てくると思うから。だからこそ、“リーダー”という役職があるんだね。
今回出た説明会というのが、
【確定申告に関する税務相談】
【新就学児童への学校説明会】
【食品試験参加への説明会】というもの。
それぞれの説明をする側の関連する業界をなぞらえて、極端に言えば、「税金」、「学校」、「医者」の世界の、それこそ世間では“先生”と呼ばれる業界に属する人たちが行う説明会ということになるかな。
*但しそれぞれの説明会に居た人が全員“先生”であったとは限らないし、税務相談に来ていた人は税理士ではないのかもしれない。単に納税協会という所の会員である、ということかもしれないし、臨時アルバイトなのかも知れない。
そこは承知の上で、まあ ネタとして。
さあ、どの業界の説明会が一番分りやすく、まとまっていたでしょう?
教えることのプロ、教師の催す学校説明会か?
頭を使って計算するプロ、税理士の説明会?
まさに先生、医師の世界の説明会か?
因みに、どれも広く一般の老若男女の参加で(小学校の保護者はある程度年齢層に一定の傾向があった)その件について不案内な人への説明をする会合。
一番参加人数の少ないのが学校で、人数の多かったのが医療試験。多分アルバイトなどの入る余地がなく正真正銘その道の本職だけが案内役だったのも学校です。
他ははっきりとは分らないです。民間の機関だし。
さて、結論から言うと。
食品試験参加者への案内が最も優れていました。
その差は歴然です。
一番、参加人数が多く、アルバイト(実際どうかは知りません)が入る余地のありそうな、スタッフが若かったのもその試験参加者への案内でしたが。
まず、どこが違うのか。
最初の誘導の時点で違いました。
誰が、どの人をどこへ誘導するつもりなのか、自分がその誘導される側にあたる者なのかどうか、がハッキリと認知できるようになっていました。
・担当誘導者の声、目線がしっかりとしていた
聞く相手が聞いているかどうか、聞こえているかどうかの確認もできていた。
・渡す資料を完全に把握・制御していた
これも、大事な事だと思いました。必ず、もらった資料を読み上げて説明があるのだけれど、どの紙を今から説明するのか、それが分らないということが出てきては先へスムーズに進まない、と感じたのは一番書類枚数の少なかった学校説明会です。
一々、バサバサとどこかで誰かが紙をひっくり返し、説明に入ってもどれのことなのか分らないまま進められて行くのでした。
食品試験説明会では、袋を渡す時に前もって「中はまだ見なくてよい」との案内がありましたが、説明の段になると、全員の袋の中身が全て説明する順序通りの順に入れてあり、説明の前に確認があって、今説明しているのがどの紙を指すのか、ということもタイトルだけでなく紙の見た目・色・綴り方などビジュアル的に分りやすく迷うことがありませんでした。
しかも、何か始まる度に、まず最初に時間拘束することへのお詫びと参加へのお礼から始まりました。待っている間にも、必ず列を作っているところへの目が行き届いていて、右往左往するということが皆無です。
進むべき道のりはしっかりと、色別のコースと番号などの表記、先々に立つ人間やボードによる案内が到着点まで途切れることがありません。(よく、道路や路線案内には途中まであった矢印が、その場所そのものへ着くと消えてしまい、その先への案内に取って代わりますが(ここが目的地ですというのがない)あの矢印を辿ってきた人はそこで宙に浮いてしまうのです。(超方向音痴だから言うことですが・・・)
この点、学校では聞かないと道のりの案内はなく、あっても“そっちへ行って角を右”みたいな感じです。捉え方、案内する人の語句によって差がでそうでした。
一つの事柄を引き継ぐ時もしっかりとしていて、客(?)をないがしろにすることが一切ありませんでした。税務相談会場では、ちょうど後ろに座った人が、“最初に聞いたときに答えてくれた人と答えが違う”ということで少し怒りを露にしていましたが、対応に男性数人が寄ってきて、ぶっきらぼうな言い方をして余計にその初老の男性を怒らせてしまっていました。
税務相談では最初に行った時も(違う場所)説明の順序のせいで、不必要(と後で分った)な説明を長く受けてしまいました。
それらの全ての点、更に進行上の他の幾つかの点においても、民間機関の食品試験の参加者への説明会が最も優れていて、話しを聞いた後、信頼感とか安心感を感じることができ、敬意を抱きました。
医師の世界とは最初にオモシロおかしくするために書いただけであり、あの説明会に誘導に当たっていたのは当然、“先生”たちなどではなかったと思います。
ですが、 “誘導”“案内”ということにおいては一番頼れる案内役だったと感じました。
長い文章になってしまったけど、
これって・・・・・
結局、“導かれる側のこと(知らないということ)をどれだけ理解しているのか、ということなんだと感じた出来事です。
この“理解”のないままでものごと進んでいっていいのだろうか・・・
そんなことを考えてしまった。。。
“慣れ”で済まされるモンじゃないよねえ。。