『音惚花活気好@kakky』=垣内政治的《霊界物語学》の日記的な雑記の様なレポート状の諸々?

出口王仁三郎聖師による弥勒胎蔵経『霊界物語』を『音惚花活気好@kakky』的に学問してみるランダムレポート?

『音惚花活気好@kakky』的『第5章 抔盤狼藉(255)』分解(一)

2010年11月13日 23時47分57秒 | Weblog
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第一篇 山陰の雪

平成二十二(2010)年十一月十三日 旧十月八日(土)

 にはかに館の大広間は陽気立ち騰(ノボ)り、
酒や果物(クダモノ)は沢山に運ばれ、
木葉奴(コツパヤツコ)の端(ハシ)にいたるまでずらりと席に列し、
大樽や甕(カメ)を中央に据ゑ、竹を輪切にしたる杓(シヤク)にて、
酌みては呑(ノ)み、酌みては呑み、一所懸命に謡(ウタ)ひはじめたり。

しかして酔がまはるに連れて杓の引奪(ヒツタク)りあひが始まり、
頭を杓でこつりとこづかれ、
禿頭(ハゲアタマ)の爺(オヤヂ)は面部と頭部とに沢山の出店を出し、
次第々々に舌は縺(モツ)れ、泣く奴、笑ふ奴、怒る奴、様々なり。

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今週は、おそらく六年ぶりくらいに風邪らしい風邪をひいたので、
今朝までひどい咳に悩まされていたのだが、
朝起きてすぐに長葱を生でかじり、昨晩炊いたカレーを頂いて、
もう一寝入りしたら、奇跡的に咳が治まり、
先刻、風呂に入って汗を流したので、若干まだ声もかすれ、
時々洟をかみつつも、三日ぶりくらいに、無事、

夕拝(夜拝)「天津祝詞・神言・石笛・讃美歌・霊界物語拝読・感謝祈願・基本宣伝歌奏上」

をさせて頂く事が出来たので、今、またカレーを頂いて、
心勇みつつ、このブログの更新に取り掛かる事が出来た。

今日は世界史的にも、なかなか結構な日で、
吾が愛する神奈川県横浜市のみなとみらい地区で、
APEC「アジア太平洋経済協力」が行われ、
今は多少落ち目らしい米国オバマ大統領と、
同じく尖閣諸島問題での一見軟弱な態度が不評な、
与党政権民主党総裁管首相とが、
筆者がその気になれば、
愛用ママチャリのマイチャーリーをユルユルローリンさせて、
三十分ほどで行けるほどの会場で会見を実現したり、
尖閣諸島問題でややこしい関係にある中国の胡錦濤首席やら、
これまた北方領土問題でお騒がせ中のロシアのメドベージェフ大統領とも、
公式会見を実現させたり、
舞台は違うけれどもミャンマーのアウンサン・スーチー女史さんが、
七年半ぶりに解放されたりと、割とよいニュースが多かった。

中でもオバマ大統領が記者会見の場で、

  「日本は世界のモデル」

という意味合いの事を公式発言したのが筆者にとっては慶事だったのだが、
筆者がこの件についてツイッターで、

 「日本は世界のモデルというのは、日本は世界の型と米大統領が公言したも同然」

という意味の事をつぶやいたら、
その次のニュースからはその部分のテロップがカットされていて、
日本の報道事情の裏側の暗黒面を垣間見たりもしたのだが、
そんな意味を感じさせるつぶやきをしたら、その次のニュースでアナウンサーが、

「オバマ大統領の発言中にテロップが一部表示されませんでした。失礼しました。」

という意味の事を言っていたので、何の事かは断言出来ないけれど、
筆者なりに口元を緩める事が出来た。

ミロクの世、地上天国の基本である皇道経済が実施されるという事は、
資本主義社会での勝ち組にとっては、まだまだ面白くないのであろうから、
そういう方面に気を使ったのか?
はたまた、そちら方面から「待った」がかかったのか?
わが愛する日本国の明暗相混ずる部分を実感出来た様な気がしたのだ。

そんな一見目出度くもあり、要注意でもある世界史の分岐点的今日と、
なんとなく一致する様な、この「第5章 抔盤狼藉」の冒頭部分である。

筆者も一緒になって飲んで浮かれて楽しみたいし、
八岐大蛇の様に素盞嗚尊に首の全てを斬り落とされる前に、
たらふく酒を飲まされて猛々しく荒れる力を封じられる側に入るのも厭だし、
…という様な段取りだ。

筆者も三十代の頃ならば、こんな風にややこしくいろいろと考えるよりも、
映画「椿三十郎」でのワンシーンを観た時の様に爽快な気分にもなれるのだが、
こういう「ざまあみろ」的な爽快感ではなくて、
もっと頭のいい、品のイイやり方があるのではないか?…と、
そんな「椿三十郎」で捕らえられた老中の様な気分になっているのもちょっと不思議だ。

とりあえず素盞嗚尊が退治した八岐大蛇の尾から取り出した「草薙の剣」というのを、

「頭の悪い雑魚共を権力者たちの首を抑えて一気に平らげる。」

という風に筆者には読み取る事が出来るので、
言って聞かない身魂連中を改心させるためには、
こんな謀略的な「ざまあみろ」的戦略も必要なのかな?
…と、若干ためらいながら受け入れざるを得ない様な…

ちょうど勝海舟が人斬り伊蔵に刺客を斬り殺してもらったあと、伊蔵に説教したら、

「わしが斬らなんだら勝先生が斬られてましたぜ。」

と逆手をとられて閉口した様な、そんな塩梅の気分である。

仏教的というか宗教的には、岡田伊蔵に警護させていたから刺客を呼び寄せた。
…という解釈も出来ないわけではないのだが、
掃除をしようと思えば穢い所から逃げるわけにもゆかず、
ゴミに触れずにゴミは片付けられないのだから、
御神業というものは、まったく綺麗事だけの理想論だけではいかないなあ…と、
なんとなく清濁併せのむ大神様の御経綸の前では、筆者などちっぽけなものだと、
そんな事を思いめぐらせるのである。

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甲 『ヤイ、皆の奴(ヤツ)ら、けつたいが悪いぢやないか。
   美山彦(ミヤマヒコ)が大将面しよつて、毎日々々、
   俺(オイ)らを敵の末か何かのやうに扱(コ)き使ひよつて、
   自分ばかり酒を喰ひよつて、
   春日姫(カスガヒメ)の膝枕に身(ミ)も魂(タマ)もとろかしよつて、
   お負けに足を揉(モ)め、手を揉めと人に嬉しいところを見せつけ、
   自分ばかり酒を喰つて、
   己(オイ)らには一口でも呑めと言ひよつたことはありやしない。
   俺(オ)りや、いつも器(ウツハ)を片付けるときに盃を一つ一つ舐(ネブ)つて、
   香(ニホヒ)を嗅(カ)いで満足(タンノウ)しとつたのだ。
   今日は春日姫にや、
   痩(ヤ)せ馬が荷を顛倒(カヘ)すやうにして厭(イヤ)がられてゐたのが、
   どうした風の吹きまはしやら、尼(アマ)つちよの方から結婚してくれと、
   ぬかしよつたとか言つて、吝(シワ)ン坊(ボウ)の美山彦が、
   地獄の釜を一足飛びをするやうな気に到頭(タウトウ)なりよつて、
   腐りかけた酒を俺たちに鱈腹(タラフク)呑(ノ)めといひよるのだ、
   実に業腹(ゴフハラ)だ。
   甘く見よつて馬鹿にするにもほどがあるぢやないか』

と腕を捲(マク)りて、自分の腹を二つ三つ拳(コブシ)でたたきながら、
面(ツラ)ふくらしていふ。

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今ふと映画「用心棒」の中で桑畑三十郎が、

 「人をあんまり安く使うと後でかえって高くつくぜ。(大意)」

…みたいな事を言ったのを思い出した。

力主体霊(つよいものがち)、体主霊従(われよし)の身魂達の主従関係には、
常にこの様な不平不満が充ち満ちている。
…という風に解釈してよいのではなかろうか?

筆者も路上ミュージシャンをやってた頃、
時々、飲み屋などに招かれてライブらしき事をさせて頂いたのだが、
最初の頃は、なかなかのチップが入って喜んでいたものだが、
回を重ねる毎に、段々実入りが少なくなって、嫌味まで言われる様になり、
こちらが近寄らなくなると、あんなに世話してやったのに恩知らずが…
という様な悪評判を立てられている様な、そんな不快な気分になったものだが、
所詮、商売の世界は儲けが多くてこそのつきあいなので、
如何に理想は出口王仁三郎聖師が唱えるミロクの世の皇道経済とはいえ、
自由競争の社会に交われば、筆者だってどうしても金の魔力に惑わされ、
こんな厭な面を自ら味合わなければならなくなってしまうのだ。

要するに、これらの雑魚共が、こんな下賤な事を口走るのも、
みんな貧富上下の差が激しい事が原因なのだ。

皇道経済は、世界万民分け隔てなく、
今の値打ちで言ったら十億円の値打ちもあると考えられる、
この「霊界物語」の中での十万円を与えられ、
極端に貧しい者が一切無くなり、
またその今の値打ちで言ったら十億円と考えられる、
十万円以上の財産を私有する事が出来ないという貧富の極端な差がなくなる、
それはそれは結構な経済システムなので、
そんな世の中になったら、ここに出て来る様な悪人達は、
まず現れ様もなく、きっと、皆、品のいい温厚な皆さんになる筈なのだ。

この経済問題は、この三次元の物質社会を根本的に立直す為の重要課題である。

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乙 『大きな声でいふな、皆の前だ。
   また杓で一杯も舐らしてもらはうと思ひよつて、
   貴様の今言つた悪口を大将に告げる奴があつたらどうする』

甲 『どうするも、かうするも俺らの知つたことぢやない。
   春日姫は美山彦の大将が、どうかするのだらう。
   俺らはどうするあてもありやしないし、
   マア腐つた酒でも呑ンでおとなしく寝ることだよ』

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筆者はいわゆる社会の下層階級にいる養父や、その妹家族達が大好きである。

そしてその逞しさに心の底から尊敬の念を抱いてもいる。

だがしかしその一方で、この皇道経済が実施されたら、
養父や、その妹家族などの下層階級が味合わされている悔しさや、
それに打ち勝つ為の狡猾さも、まったく必要ない夢の様な地上天国が実現する。
…と思えば、これを養父や親戚達に言わずにはいれるわけがないのだが、
そんな筆者の熱い思いも、貧乏を逞しく生き抜く清貧に慣れ過ぎてしまうと、

「そんな夢みたいなことばかり言うな。」

…といって筆者をかえって馬鹿にするばかりで、
大好きで尊敬している養父や親戚達の無知さを呪わずにはいられなくなる。

それもこれも皇道経済が実施されるまでの仮の屈辱だと思う事は出来るが、
理屈では判っていても、感情の方はなかなか複雑である。

しかしそんな筆者ではあるが、筆者は、ここでの木っ端連と比べれば、
皇道経済という理想が与えられているのだから、大いに幸せである。

…と自分で自分を励ますわけなので、
やはり吾が愛する横浜で、APECの様な経済会議が催され、
そこでTPP「環太平洋戦略的経済連携協定」の様な事が論じられていると思えば、
なんとかもう一歩踏み込んで皇道経済に近づく話題が起こってほしい。
…という強い思いが込み上げて来るのを否めないのだ。

こんな話は、やはり中流階級以上の豊かさに慣れ親しんでいて、
それなりに学識のある身魂でなければ理解できるものではないと思うと、
ただの物知りではいけないが、教養の徹底というのは絶対に必要だと感じるのだ。

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丙 『オイあまり座が淋(サビ)しくなつたやうだ、一つ謡つたらどうだ。
   あのウラル彦の神さまの宣伝歌は俺らには天国の福音(フクイン)だ。
   呑(ノ)めや騒(サワ)げや一寸先(イツスンサキ)は闇(ヤミ)よ、
   闇の後(アト)には月(ツキ)がでるなンて甘(ウマ)くいひやあがらア。
   俺らは酒さへありや、嬶(カカ)も何も要(イ)らぬ』

丁 『お前何ほど天来(テンライ)の福音でも、呑めぬ酒に酔へるかい。
   酒は百薬の長だとか、生命(イノチ)の水だとかいふけれど、
   呑みたい酒もよう呑まずに、毎日扱(コ)き使はれて、
   ナイヤガラの赤い水を、酒だと思ふて呑んでゐても、
   ねつからとつくりと酔はぬぢやないか、これを思へば悲しい浮世だ』

とそろそろ泣きだす可笑(ヲカ)しさ。

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高貴な神々も歌を愛するのだが、こんな低俗な身魂でも、
やはり歌も踊りも好きなのだ。

しかし、そういえば太古、オウスノミコトがクマソタケルを騙し討ちにした時も、
女に化けて踊ったりしながら酒に酔って油断したクマソタケルを倒し、
ヤマトタケルノミコトの名を贈られたわけだが、それを名乗ったが為に、
父、景行天皇の取り巻きに嫌われて都から所払いされる様に遠征に明け暮れたので、
それに比べたら、ここでの春日姫の戦略は、多少はマシなのかもしれない。

…と思いつつも、筆者も自称ハードロッカーなので、
エレキギターをガンガン弾いてシャウトして歌い、
リズムに合わせて身体を動かすのが好きだから、
なるたけこうした正邪の神の戦いという様な世界とは関わりたくはないのだが、
ミュージシャンとして社会に受け入れられようと思えば、
どうしてもこうした政治的な方面と関わらざるを得ないのが若干不愉快ではある。

それもこれもやはり、皇道経済が実現されるまでの矛盾だとは思えるが、
こんなつまらん問題に巻き込まれないで、思う存分ギターをカキ鳴らし、
天国に昇る心地でシャウトして歌える世界を、一日も早く実現したいものだ。

丁 『お前何ほど天来(テンライ)の福音でも、呑めぬ酒に酔へるかい。
   酒は百薬の長だとか、生命(イノチ)の水だとかいふけれど、
   呑みたい酒もよう呑まずに、毎日扱(コ)き使はれて、
   ナイヤガラの赤い水を、酒だと思ふて呑んでゐても、
   ねつからとつくりと酔はぬぢやないか、これを思へば悲しい浮世だ』

筆者は血液型O型のラテン系気質だからなのかもしれないが、
あまり酒を飲まなくても、バンドのイケる演奏の中で、エレキ・ギターをカキ鳴らし、
シャウトして歌っていられれば、いわゆるアドレナリンが噴出して、
果てしなく自己陶酔していられる事を知っているから、
「世直し」という価値観に出会いさえしなければ、
きっとそれだけやって生きていられたろうと思うのだが、
世を立て直す誠の神様の道に触れてしまった以上、
皇道経済ということを抜きにしては、もう完全に自己陶酔することは出来なくなった。

技術として、そんなフリをする事は充分に出来る様になったので、
その程度でも喜んでくださる皆様とは、まだ楽しくやらして頂いてはいるのだが…

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戊 『オイ、こんな目出度い場所で、メソメソ泣くやつがあるかイ』

丁 『泣かいでか、今夜は美山彦が春日姫としつぽり泣きよるのだ。
   俺らはその乾児(コブン)だ、泣くのがあたり前よ』

戊 『貴様の泣くのと、春日姫の泣くのとは泣きやうが異ふ。
   丁度鶯(ウグヒス)の梅が枝にとまつて陽気な春を迎へて鳴くのと、
   鶏(ニハトリ)が首を捩(ネヂ)られ毛を抜かれ、
   絶命の声を張り上げて鳴くのと程の相違があるのだ』

甲 『この間もアタけつたいの悪い天教山(テンケウザン)の癲狂人(テンキヤウジン)が、
   そこらうちを歩きまはりよつて、
   照るとか、曇るとか、浮くとか死ぬとか、時鳥(ホトトギス)がどうとか、
   触(フ)れ歩くものだから、毎日々々地響きはしだす、
   雨はべそべそと貴様の涙のやうに降りしきる。
   谷間の水は赤泥(アカドロ)となつて、
   水もろくに呑まれやせないぢやないか。
   あんな奴(ヤツ)は一時も早くどうかして、
   ナイヤガラの滝にでも、打ち込んでしまひたいものだなア』

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最近筆者はナイヤガラの滝とか川は米国だけの事ではなく、
日本の華の東京の事でもあろう…という思いを強くしている。

…というのも、鬼城山の国魂は灰色の玉なのだが、
その灰色の玉がコンクリートだという事を、
ハリウッド映画「フリント・ストーン モダン石器時代」を、
テレビでたまたま観て直感する事が出来たからなのだ。

勿論、それが大本や愛善苑などで公式に言われている事かどうかは知らない。

あくまで筆者が個人的に感じた事なので、閲覧者の皆さんが、
これについてどう思うかは、各自の判断にお任せするのである。

この筆者の個人的な発見にしても、筆者にしてみれば天来の福音だが、
理解できない皆さんからすれば、ここでの酔ってくだまく連中の様に、
頭が痛くなる様な発見かもしれないわけだ。

筆者の「みんなしあわせになれ」でも、拍手喝采する人もあれば、
大いに眉をしかめる皆さんもあるわけである。

権力というものは、こうした反対勢力を強引に従わせるものだと思うのだが、
そういう事を「草薙の剣」というのではなかろうか?

日本武尊も、この草薙の剣を後妻に渡してから不運の連続に見舞われる。

反対勢力=必ずしも「悪」とも言い切れないが、理屈を説いて悦服しない相手には、
武力制圧という事も必要である。…という事かもしれない。

筆者は最近エアーソフトガンが趣味であるが、
他人にこれを薦める時には一応モラルとして、
これで生き物を撃つのは危険だという注意を付け加える事を忘れない。

MAGNUM FORCE(歌詞付き)~ 全世界のTOY GUN 愛好家たちに捧ぐ ~


だがそれは生き物が傷つくから危ないのではなくて、
あんな玩具のエアガンで、へたに生き物にチョッカイを出すと、
かえってその生き物に襲われる危険性があるから撃った本人が危険なのだ。

武器という物は、相手の命を奪える威力を持つ物で無ければ、
かえって持っている方が危険なのだ。
そんな武器は持っていない方がマシである。

「生兵法は怪我のもと」

…というやつである。

かの坂本龍馬でも、四人くらいの剣豪を相手になら、
六連発の銃で応戦出来たかもしれないが、
寺田屋で複数の捕り手に囲まれた時は、かえってその拳銃の限界が災いして、
深い手傷を負いながら命からがら逃げ出して生死の間を彷徨った。

あんな場合は下手に弾数が少ない拳銃に頼るより抜刀するか、
抜刀せずに屋根伝いに逃亡した方がマシだったのではないかと思う。

下手に高杉晋作の友情で頂いた拳銃があったので、その威力を試してみたくなり、
無駄な危険を招いたのかもしれないとも思えてしまうのだ。

今でも戦場などでは、接近戦、肉弾戦ともなれば、弾数がなくなれば、
刃物の方が優位だろうと思うのだが、
筆者が好きな歴史上の英雄であるワイアット・アープなども、
暴漢の拳銃を奪って、それで殴り倒すという戦法が得意だったらしい。

人間なんて、案外そんなもので充分撃退出来るのだが、
相手によっては艮(トドメ)を刺さないと後の復讐が恐ろしかったりするのが、
こうした修羅の世界の宿命だ。

「草薙の剣」は皇位継承の神器の一つである。

…というところに意味があるのだと言えると思うわけだが、
それを持っているだけで、特に日本人には効果があった。
…という事になろうと思う。

何せ、日本人というのは皇室好きの国民性だから…。

その草薙の剣を自ら手放してしまい、万民と平等の立場で理想を貫こうとしても、
たぶんおそらくうまくいくものではないのだろう。

世の中、どんな間違った事でも、東大博士とかが威厳を持って言えば採用されるし、
どんなに正しく立派な事でも、その辺の浮浪者が言っても、普通は誰も聞かない。

権威というのは、実に憎たらしいものだが、豪族を抑えるには不可欠なものらしい。

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